c h a o s II ( 7 )


「あれは……?!」
 サラがつぶやいた。サラとキリアとリィルの三人は、言葉もなくただ呆然とその光景を見つめていた。
 闇を切り裂いた向こう側の闇の中には、確かにバートがいた。
 ――背中には、赤い翼。右手には、赤い剣。彼の全身を包むのは、オレンジ色の炎……。
「まさか、あのときと同じ……?」
 キリアはつぶやいた。
「バート……」
 リィルがつぶやく。
 炎に包まれたバートが、三人に気が付いたのか、こちらを見た。その目は怪しく赤く輝いている……。キリアはぞっとした。
 バートは右手の赤い剣を掲げるような動きを見せた。次の瞬間、
「……!」
 サラが素早く何かを叫んだ。え?と聞き返そうとしたときには、サラはキリアの右手を離して、ひとりで真っ直ぐにバートに向かって飛んでいた。サラの右手には、いつの間にか青く輝く剣が握られていた。
「……サラ?」
 一呼吸遅れて、キリアは声を発した。さっきまで右手に感じていた温もりが消えて、急に不安に襲われる。
 そのキリアの右手を別の手が掴んだ。
「リィル……」
 キリアはリィルを見た。リィルはキリアの手を握りしめたまま、息を詰めてバートとサラを見守っていた。

 *

「バート!」
 サラは叫んで、バートのほうへ飛んだ。炎に包まれたバートもサラのほうへ飛んでくる。バートは赤い剣を大きく振りかぶり、サラに向けて振り下ろした。
 サラも両手で青い剣を握りしめ、バートの一撃を受け止めた。
「っ!」
 両手首に重い衝撃が走り、思わず声が漏れた。バートはそのままぐいぐいと刃を押し込んでくる。ものすごい力だった。サラは両腕に力を込めて耐えた。剣を握りしめてバートと刃を合わせたまま、身動きがとれなくなった。少しでも力をゆるめれば、自分の身体は真っ二つに斬り裂かれてしまうだろう。
「バート……」
 サラは顔を上げてバートを見た。赤い瞳を真っ直ぐに見つめる。その右目から、赤い液体が一粒、こぼれ落ちた。
(――涙? 血……?)
 バートの赤い瞳は、深い悲しみをたたえていた。サラは胸が詰まるような思いでバートを見つめていた。
「バート……。クラリスさんは……」
 その先は、言えなかった。

 *

(やめろおおぉぉっ!)
 バートは絶叫していた。いつの間にか自分は再び暗闇の中にいた。目まぐるしい場面転換に振り回されるのにも、もう慣れてしまった。
 あろうことか”バート”は、サラに刃を向けていた。自分の国の王女。一緒に旅してきた仲間。大切な幼なじみに……。
(頼む……もう、やめてくれ……! 俺の身体、なんでまだ、動いてるんだよ……! もうとっくに限界のはずだろ……? 父親さえ止められれば、俺はどうなったって……父親と相討ちってことで、死んだって良かったのに……!)
 自分の身体は外側も内部ももうボロボロのはずだった。そして自分の精神は、自分の身体を離れてしまった。もう後は死ぬしか道は無いだろう。今更『生』に未練はない。覚悟は決めている。
 最期にサラの元気な姿を見ることができたのは嬉しかった。リィルとキリアの姿も見えた。何故ここに?とも思ったが、それよりも嬉しさのほうが勝った。夢を見ているのかもしれないと思った。
(くそ……! 夢ならせめて、良い夢にしてくれってんだ……! なんで最期の最期で、サラに刃を向けている”俺”を見なくちゃならないんだ……!)
「……はああぁぁっ!」
 サラが気合の声を発した。サラは曲げていた両腕を思い切り伸ばした。サラの刃に”バート”の刃が押され、両者はバランスを崩す。力の均衡が崩れ――
(?!)
 バートは息を呑んだ。サラは自ら青い剣を手放していた。サラの手を離れた青い剣は、周囲の闇に溶け込んで消滅してしまう。
(サラ、何考えて……!)
 次の瞬間、サラは素早く動いて”バート”の懐に飛び込んだ。”バート”は赤い剣を振りかぶる。その右腕にサラはしがみついた。
 そのとき、どこからともなく銀色の小鳥が飛んできた。銀色に輝く鳥のくちばしが”バート”の右手首を貫く。
『!』
 ”バート”は小さく呻いて、赤い剣を手放した。赤い剣はゆっくりと暗闇の中を漂った後、周囲の闇に呑まれて消滅した。
「バート……!」
 サラは”バート”の右腕をいったん離すと、”バート”の背中に両手を回し、包み込むようにしっかりと抱きしめた。
(サラ……)
 サラの身体が黄金きん色の光を放つ。”バート”の身体も黄金きん色の光に包まれる。あたたかな心地良さが”バート”の身体を通じてバートにも流れ込んでくる……。バートは目を閉じた。
 大きく深呼吸をして、心地良さに身をゆだねながら、バートはゆっくりと目を開けた。金髪の華奢な少女が、自分の胸に顔をうずめ、自分をしっかりと抱きしめていた。バートもサラの背中に手を回し、サラを優しく抱きしめ返してやった。
「……バート……?」
 サラがゆっくりと顔を上げた。サラの青い瞳と目が合う。
「戻ったの……?」
「……ああ」
 サラの瞳を見つめて、バートはうなずいた。
「身体……大丈夫?」
「ああ」
 ボロボロだった身体はもう、どこも痛くも苦しくもなかった。そして、自分の意思でちゃんと動くようになっていた。
「……良かった……」
 サラは小さくつぶやくと、再び胸の中に顔をうずめてきた。小さな肩が小刻みに震えている……。
「サラ……」
「泣ーかした」
「!」
 はっとして声がしたほうを見やると、すぐ近くでリィルが微笑を浮かべていた。バートはかっと頬を紅潮させた。
「だ、誰が! こいつが勝手に……ってか、お前も他人ひとのこと言えるのか?」
 え?とつぶやいてリィルは、リィルの隣のキリアを見た。リィルの左手はキリアの右手を握りしめていて、キリアは左手で頬を伝う涙をぬぐっているところだった。
「お、俺が泣かしたわけじゃ……!」
 珍しくうろたえるリィルを見て、バートは笑いがこみ上げてきた。リィルがいて、キリアがいて、サラがいて。こうしてまた四人一緒に、同じ時間に同じ場所にいて。
 ちょっと前までは当たり前のことだと思っていたのに――。
 バートは小さく息を吸い込んだ。三人に言わなくてはならないことがある。
「俺は……さっき、”ケイオス”のコアを、父親を、クラリスを、倒した」
 バートはっきりとした口調で、三人に告げた。
「バート……」
 サラが泣き止んで、顔を上げた。リィルの表情が固まり、キリアは息を呑む。
「そ……か」
 リィルがぽつりとつぶやいた。サラとキリアは何も言わない。しばらく沈黙の時間が流れる。
「……それでお前ら、俺がへこんでると思ってるだろ」
「え? 違うの?」
 驚いたようにキリアが聞き返してきた。
「いったんは凹んだけどな……、でも、」
 バートは父親の顔を思い浮かべた。長い間、心の底から憎んでいた父親。しかし、今は、自分でも不思議なくらい、穏やかな気持ちで思い浮かべることができる。
「父親だって、俺がいつまでも凹んでること、望んでねーと思うし」
「……そうね」
 サラがバートを見上げて言った。
「それに……リィルとキリアとサラが、ここにいるから」
「バート……」
「だから、もう、俺は大丈夫だ」



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