c h a o s II ( 6 )


(……何故だ、何故だ、何故だ、何故だ、何故だ何故だ何故だ何故だ何故……!)
 バートの全身は、相変わらず容赦のない業炎に包まれていた。クラリスの意識がバートの頭の中でがんがん響く。身体中が焼けつく熱さに悲鳴を上げている。
(……ダメだ……俺、きっと、死ぬな……)
(悪ぃ……みんな……)
 バートは思った。痛み。苦しみ。哀しみ。悔しさ。恐怖。絶望。様々な負の感情が、バートの頭の中でぐちゃぐちゃになっていた。
(…………。そういえば……)
 頭の片隅で、ふと、バートは思い出していた。
(いつだったか、リィルが、言ってたっけ……)
『死の誘惑って……まじでやばいよね……』
『……?』
『俺、一度だけ、本気で”死ぬな”って思ったことがあってさ。ガルディアの本拠地で、クラリスさんの攻撃受けた後、高熱出して寝込んでたとき。すっごい熱くて苦しくって苦しくって……、でもその先に、何か穏やかな、安らぎの世界が見えたんだよね。それが、多分”死”――。……俺、そっちに行かなくて本当に良かった』
『ふーん。そういうもんなのか……?』
 苦しみの先にある、安らぎの世界、それが『死』なんだと、死の世界に片足突っ込んだ体験をリィルはそんなふうに語っていた。
(くそ……怖くなんか……ねーぞ……っ! 来るなら早く、来やがれってんだ……)
 やがてバートにも、『安らぎ』が訪れるのだろう……。今はこんなに苦しくても、やがて……
『勝ってね、お願いだから』
(……?)
 女性の声が響いた。バートが良く知っている声。
『あの人を止めてやって。息子のあんたの手で、引導を渡してやって』
(!)
「……バッカ、やろ……!」
 バートは呻いた。自分は今まで何を考えていた? 苦しみの終わり、安らぎの『死』を求めていなかったか?!
(俺は、何のために、ここに来たんだ、よっ……!)
(考えろ! 何か方法を! 父親を止める方法を!)
(俺は死ぬのかもしれない。でも、ただで死ねるか? せめて相討ちに……!)
(剣を失ってしまった今の俺に……できること……何か……)
「!」
 そう言えば――と、バートは思い出した。バートは一度、剣を使わずに炎の精霊を使ったことがあった。ピラキア山の”ホノオ”の扉で、意識を失って『暴走』していたとき。あのときの記憶は、断片的にバートの中に残っている。あのときの自分は、確かに炎の精霊を使いこなしていた。
(あのときのこと……思い出せ……!)
(炎のエネルギーが、身体の中に、流れ込んできて……)
 あのときも、そうだった。こんなふうに身体中が熱くて……
 バートは心を落ち着けると、ゆっくりと息を吐き出し、ゆっくりと息を吸い込んだ。吸い込んだ空気は熱かった。もう一度ゆっくりと息を吐き出し、ゆっくりと熱い気を吸い込む。どくん、と自らの鼓動が聞こえた。熱い気が全身を巡る……。
「!」
 バートの背中で、熱い熱が弾けた。弾けた熱は発散せずバートの背中のあたりに留まり、『何か』を形作る……
(『翼』……?!)
 自分の背中に赤い翼が生えたのを、バートは自分の身体の外側から見ていた。
(え?!)
 自分の背中と赤い翼が確かに見える。自分の身体はオレンジ色の光を放っていた。自分は右手を高く掲げ、炎の精霊を召喚する――
(あれは……俺?!)
 ”バート”の右手に、赤く輝く剣が現れた。”バート”は剣を片手に、暗闇の空間を飛ぶ。クラリス目がけて一直線に――。
 バートは自分の意思とは関係なく動く自分の身体を、外側から呆然と見守るしかなかった。自分の身体が勝手に『暴走』しているのを。
 クラリスは”バート”を見て、剣を構えた。”バート”はクラリスに向けて剣を振り下ろす。
(何故……!)
 クラリスの意識。
 赤い刃と赤い刃がぶつかり合う。赤い閃光のスパーク。二人の身体は赤い光に包まれる――
 そして、バートは見た。
 ”バート”が繰り出した剣が、クラリスの胸を貫いているのを。

 *

 バートは再び赤い荒野に立っていた。目の前には、クラリスがうつ伏せになって倒れている。”バート”が剣を突き立てた、実の父親。
 クラリスがゆっくりと顔を上げた。バートが初めて見る、クラリスの弱々しい表情。
「バート」
 クラリスの声は小さかった。バートはクラリスのそばにかがみこんで、顔を近づけた。
「そんな顔を、するな」
「…………」
 自分は今どんな顔をしているのだろうとバートは思う。
「バートにとっては、これで良かったんだろう」
「…………」
 バートは肯定することも否定することもできずに、沈黙を続けていた。
(母親……)
 バートの脳裏に、母親の顔が浮かんだ。悲しそうに笑う、バートの母親。
(俺は……)
 クラリスを倒した。クラリスに勝った。なのに、ちっとも嬉しくない。代わりに母親の悲しそうな顔が浮かんでくる。
(母親……俺は、本当に、これで、良かったのかよ……?)
「……ユーリア、は、」
 クラリスがバートの母親の名前をつぶやいたので、バートははっとして父親の顔を見つめた。
「ユーリアは……元気に、している……?」
「ああ。すっげー元気」
 バートは答えた。
「ここに来る前に、『勝ってね』ってお願いされた」
「そうか」
「でも、母親は多分……、今でもあんたのこと好きなんだと思う」
「……そうか」
 クラリスはわずかに微笑んだように見えた。
「……ユーリア、に」
 クラリスは絞り出すように声を発した。小さく弱々しい声で。
「え?」
「伝えて……欲しい」
「……うん」
 バートは父親の、おそらく最期になるであろう言葉を待った。
「……、……」
 クラリスが聞き取りづらい声で言葉を発した。一度では聞き取れなくて、もう一度聞こうとバートは自分の耳を父親の口元に近づけた。
「…………」
 クラリスはわずかに微笑んで目を閉じた。
「…………」
 バートはゆっくりと立ち上がった。あたたかく乾いた風が吹いてきた。バートの髪を、クラリスの髪を、クラリスのマントを揺らして通り過ぎていく。クラリスのマントが、服が、身体が、少しずつ少しずつ風化して赤い砂になって風に乗って大気に消えていく。
 長い時間をかけて、クラリスは細かな赤い粒子となって大気に消えていった。涙で視界がぼやけて、クラリスが消えていくのを最後まで見届けられなかった。ぬぐってもぬぐっても止まらない涙。
「ちくしょう……」
 バートは右手の甲で何度も涙をぬぐった。ぬぐってもぬぐっても止まらない涙。
「ちくしょう……なんで今更……!」
 空にはまぶしい太陽。ぎらぎらと照りつける光熱。バートの涙と、バートの心を乾かすように。
 優しい風はもう吹いてこない。赤い大地に足をつけて立っているのは、バートひとりだけだった。



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