c h a o s II ( 5 )


「――!」
 バートは声にならない声を上げていた。全身を焼き尽くす業火。今まで感じたことのない熱さ。苦痛。喉が焼けつく痛み。呼吸もできない――
(……死ぬ!)
 バートは直感的に思った。炎の精霊剣を使う自分が炎に焼かれて死ぬなんて――。しかし、この状況で今の自分に出来ることは何もない。それに……
(父親は、本気で俺を殺そうとしている)
 ということを、バートは悟ってしまった。今までも何度か父親と対峙したことはあったが、どんなに自分が劣勢でも、バートは自分が「死ぬ」と思ったことはなかった。過去の対峙では父親から「殺気」を感じたことがなかったのだ。しかし、今の父親は……。
(父親……。さっきまで普通に、会話、できてたのに……)
(少しだけど……普通の、親子みたいに……)
(……「会話」……?)
 そういえば、とバートは思った。今まで、父親とまともに「会話」しようと思ったことなんてなかった。一方的に父親を拒絶してきた。
(でも、それは……)
 父親がピアンを裏切ったから。それが許せなかったから。
(でも……)
 自分が一方的に拒絶していた父親は……
『大陸を、惑星ほしを、全てを手に入れて、それをバートに譲る――。それが、俺の、望み』
(なんで……そんなこと……言えるんだよ……)
 やっぱり理解できない。父親は理解できない。でも……!
(もし俺が……一方的に拒絶なんかしないで……父親の話をちゃんと聞いて……理解できなくても、理解しようと、努力してたら……)
(こんなことには……ならなかっ、た……?)
 全身を焼き尽くす業火。今まで感じたことのない熱さ。苦痛……
(この苦しみは、痛みは……その、罰、なの、か……)

 *

「私も、改めて聞きたいです。……貴方は、何者なんですか?」
 キリアもアビエスを見つめて問いかけた。
「『何者』……」
 アビエスは視線を落として、自らの身体に目を向けた。
「実は、正直、私もわかっていないんです。『私』が、何者なのか」
「……え」
 アビエスの予想外の答えに、キリアは言葉を失った。
「『私』のこの身体――『器』は、かつてのガルディアの研究者の青年だった……と、聞きました。『彼』の記憶は、私の中には残っていませんが」
うつわ……?」
 リィルがつぶやいた。
「……名前は確か、『アルベール=トリム』。けっこう有名な研究者だったようですね。なので、その名前をそのまま名乗るのはやめておいたのですよ」
「アルベール……って、まさか……」
 キリアは息を呑んだ。アビエスは意外そうにキリアを見た。
「知っているのですか? 『ガルディアの』青年だった『彼』を」
「……『アルベール=トリム』は、パファック大陸の有名な冒険家にして『迷宮』研究家の第一人者の名前です。中世代の……千年前の、人物ですけど」
「千年前、ですか。時代は合っていますね。それに『アルベール』は『リープ』でパファックに渡っていましたから、貴女の知っている『アルベール』と、同一人物かもしれません」
「じゃあ、貴方の『器』は、千年前の人物なんですか?」
 キリアは尋ねた。
「そういうことになりますね」
 アビエスはうなずいた。
「私はこの『器』で、千年間、生きてきました」
 さらりとアビエスは言った。
「千年間……」
 キリアはつぶやいた。それは、想像もつかないくらいのとてつもなく長い時間――。そんな長い時間を、この男は一体、何のために生きてきたのか。『力』を持ちながら、目的もなくただ生きていただけとは思えない。
「私には『使命』がありますから」
 キリアの心を読んだように、アビエスは口を開いた。
「代償と引き替えに得た『力』を以て、長い時間を生きて、果たさなくてはならない使命が」
「代償……」
 リィルがつぶやいた。
「もっとも、代償を払ったのは、私ではなく『アルベール』ですがね。私には『アルベール』だった頃の記憶はありませんが、彼が払った代償については、……想像は、つきます」
「…………」
「私が『アルベール』だった頃の記憶を持っていないこと――。それが、おそらく、彼が払った『代償』、なのでしょう。それ『だけ』ではないかもしれませんが」
「…………」
「当時の『アルベール』がどのような状況に追い込まれて、このような決断を下したのかについては、さすがに想像はつきませんが。……まあ、今の私にとっては、正直どうでも良い話ですね」
「…………」
 キリアはだんだんアビエスの話についていけなくなってきた。
「……リィルちゃん、」
 サラが心配そうな声でつぶやいた。キリアがリィルを見ると、彼の顔は青ざめていた。
「リィル……?」
 サラの手を握っているリィルの手が、細かく震えている……。リィルには、アビエスの話に何か感じるところがあったのだろうか。
「……アビエスさん、」
 リィルが顔を上げて、アビエスに問いかけた。彼の声は僅かに震えていた。
「何ですか、リィル君」
「貴方は、時空を越えて『真実』を見極められる『眼』を持っていると言いましたね。それなら……俺の父――エニィルが今、どこにいるかも、貴方には見えているんですか?」
「……ええ、もちろん」
 アビエスはにっこりと微笑んだ。
「!」
 キリアたちは息を詰めてアビエスの次の言葉を待った。
「彼――エニィルは今、間違いなくパファック大陸に『存在』しています。会いに行こうと思えば、すぐにでも会いに行けますよ」
「パファック大陸? どこに……ピアンの近くなんですか?」
「……待ってキリア、」
 リィルが小さな声で言ったので、キリアは言葉を止めた。
「それは聞きました。父も、『本気で会おうと思うのなら、会えないことは、ない』って、言っていましたから」
 リィルは言った。
「そうですか」
 アビエスは言った。
「……ありがとう、ございました」
 リィルはアビエスに向けて頭を下げた。
「もう、良いんですか」
「はい」
「彼がパファック大陸のどこにいるかは、聞かないんですか?」
「今の俺には……それを聞く、勇気が無いから……良いんです」
 リィルは言って、力無く笑った。
「リィル……?」
「それにしても……正直、ここまでぺらぺら喋ってくれるとは思いませんでした」
 いつもの調子に戻って、リィルはアビエスに言った。
「千年生きているとか、時空を越える『眼』だとか、『使命』がどうのとか、『代償』とか……。良かったんですか?」
「ここでこうして会えたのも、何かの縁でしょうから、サービスですよ」
 アビエスは言った。
「それに……」
 アビエスは三人を順番に見ながら、口を開いた。
「貴方たち三人にとって、私の話など、私の存在など、本当にちっぽけな、どうでも良いことでしょう。私と話した内容ことなんて、すぐに忘れますよ。それに、私が話した内容こと全てが真実だという保証はどこにもありません。”ケイオス”で変な夢を見た――とでも思っていただければ、」
「確かに、その通りです」
 アビエスを見つめて、きっぱりとサラは言い切った。
「貴方が何者かなんて、あたしは興味ありません。でも、貴方に聞きたいことはあります。もし貴方が時空を越えて『真実』を見極められる『眼』を持っているのなら……教えて下さい。バートは今、どこにいるんですか? 無事なんですか?」
 アビエスはサラを見つめて、微笑んだ。
「……ええ。まだ無事で、生きていますよ。バート君は」
「そこへあたし達を連れていって下さい! お願い!」
 サラは叫んだ。
「……私には、そんな力はありませんよ」
 アビエスは首を振った。
「私はDiosでもCreadorでもありません――。『器』を越えたことは出来ませんし、『動かす力』に逆らうことは、Diosですら出来ません。私達に出来ることは限られているんですよ。それに……」
 アビエスはキリアを見つめ、リィルを見つめ、サラを見つめて、言った。
「あなた達は、私達の力を借りずとも、自分たちで目の前の闇を切り裂いて、前に進める力を、持っているでしょう」
「……はい」
 リィルの身体が薄青く発光した。キリアがそちらを見ると、リィルの右手には、薄青く輝く一振りの剣が握られていた。
「行きなさい。バート君は、この先にいます」
 アビエスは暗闇の一点を指して言った。
「ありがとう、ございます」
 リィルはサラの手を引いて、アビエスが指す闇を目指して飛んだ。キリアもサラの手に引かれて闇の中を飛ぶ。リィルは右手の剣を大きく振りかぶる――。

 *

 切り裂かれた闇がゆっくりと元に戻っていき、アビエスの目の前から、三人の姿が完全に消えた。後には闇だけが残った。
adiosさようなら、」
 アビエスは悲しげな瞳を闇の空間に向けた。
「もう二度と、会うこともないでしょう――。健闘を、祈っていますよ」



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