d e p t h ( 4 )


「あんたたちは……」
 キリアは呆然と呟いた。ひとりは赤い短髪に白衣の男で、もうひとりは赤く長い髪にガルディアの軍服を身にまとった男だった。彼らには見覚えがあった。大賢者の塔からコリンズに向かう道中でエニィルを襲った男たちに違いなかった。
「アビエス……」
 キリアは長髪の部隊長を見つめてその名を口にした。男はキリアに向けて優雅に微笑みを返した。
「初めまして、かな」
 赤い短髪の男が口を開いた。
「俺はメヴィアスってんだ。ガルディアの第三部隊の隊長。そして、これはほんの挨拶代わり……っと」
 メヴィアスは右手をキリアに向けて突き出した。火球が燃え上がり放たれると同時にキリアも腕輪リングをはめた右手を掲げて風の精霊を放った。ずきりと頭が痛む。万全ではない状態で放った『風』は、火球を完全に相殺できなかった。左頬を熱がかすめ、左肩に焼けるような痛みが走る。キリアは右手で左肩を押さえて小さく声を上げた。唇を噛みしめて痛みをこらえる。
「なかなか良い反応してんじゃねーか。その状態で」
 メヴィアスがニヤリと笑った。
「バカにしないで!」
 キリアは左肩の痛みと気分の悪さをこらえながら叫んだ。
「あまり無理をしないほうが良いですよ」
 アビエスが薄笑いを浮かべて、キリアに言った。
「私たちの目的は貴女ではありません。賢明なお嬢さんなら、私たちが何故、何のためにここに現れたか、わかっているでしょう」
「……大精霊”陸土リクト”ね」
 キリアはアビエスを見据えて言った。
「ここに”陸土リクト”がいるって、貴方たちも気が付いた。そして、鍵と”陸土リクト”を奪いに来た……」
 そこまで言って、キリアは風の精霊をアビエスに向けて放った。再びメヴィアスが火球を放ってキリアの『風』を相殺した。
「フン、”風雅フウガ”の威力はこんなもんか?」
 メヴィアスが不適に笑う。
「出し惜しんでいるのよ」
 キリアは強がってみせた。
「私は無益な殺生は好まない性質たちなんですよ。メヴィアス様はどうだか知りませんが」
 とアビエスは言う。
「私たちの目的は、”陸土リクト”とその鍵です。貴女たちは”陸土リクト”の『鍵』を手に入れた。そして大地の力を持つ少女――そう、ピアン王女が、扉を開けて”陸土リクト”の力を手に入れるために、”陸土リクト”のもとに向かっている。そうですね?」
「…………」
 キリアは否定も肯定もせずに黙っていた。否定したところで彼らの目的は変わらないだろう。
「私は無益な殺生は好みません。もし、貴女が大人しく……」
「行かせないわよ」
 アビエスの言葉をさえぎってキリアは言った。
「ほら見ろ、アビエス」
 と、メヴィアスがアビエスを見る。
「やっぱりこのお嬢ちゃんには、痛い目見てもらわないといけねーみたいだぜ?」
「二対一で、貴女の調子は万全ではない。それでも?」
 と、アビエス。
「当たり前でしょ」
 キリアは言い放った。アビエスは苦笑してため息をついた。
「仕方ありませんね」
「二対一じゃねーぜ、二対二だ。互角だろ?」
 キリアの前に黒髪の少年が立った。右手に剣を握りしめ、キリアをその背にかばう。
「バート、行ったんじゃなかったの?」
 キリアは驚いてその背に問いかけた。
「頭上でこんだけ騒いでて行けるかっつうの。気になって出てきてみたら案の定じゃんか」
 バートは振り返らずに答える。キリアは返す言葉もなかった。
「ごめん、ありがとう。正直、ひとりだったらちょっとやばかったかも」
 キリアは素直な言葉を口にしていた。
「いーって。お前はゆっくり休んでな」
 バートは地を蹴った。一気に間合いを詰めてアビエスに斬りかかる。アビエスは剣で受け止める。いつの間にかアビエスの右手には剣が握られていた。
(アイツ、剣が使えるの?!)
 キリアは驚いた。しかもアビエスは、バートと互角に剣を合わせている。
「今回は本気出してくれんだろーなっ?!」
 バートが叫ぶ。その言葉にキリアはさらに驚いた。
「私はいつだって全力ですよ」
 バートの剣を受け流しながらアビエスが微笑わらった。
「嘘つけ! お前、二刀流だっただろ? もう一本の剣は抜かないのかよっ?!」
 二人は激しく剣を合わせている。キリアは息を詰めてそれを見守っていた。信じられない思いだった。全力で振り下ろしているはずのバートの重い一撃を、アビエスは軽々と受け流している。しかも、バートの剣は大精霊の力でパワーアップしているはずなのだ。
 キリアはアビエスのことをどちらかというと頭脳派、策士、もしくは精霊使いタイプだと思っていた。非力そうな細身の身体に、バートと互角に渡り合えるだけの力が秘められているとは思ってもみなかったのだ。
(人は見かけによらないのね……)
「俺は眼中に無しかよ、ちっ、面白くねーな」
 メヴィアスが不機嫌に呟いた。彼の周囲の大気が赤く揺らぎ、左右に、二体の赤い四足の獣が現れる。
「何をする気なの」
 キリアはメヴィアスに言った。いくらバートでも今の状態でメヴィアスの獣に襲いかかられるのは厳しいだろう。メヴィアスの注意をこちらに向けさせなければならない。
 キリアは右手の腕輪を通じて『風』に語りかけた。メヴィアスは赤い獣を生み出す。エニィルは青い小鳥を生み出す。そしてアビエスは剣を……
(私にも、きっとできる)
 何度もこの目で見たのだ。それに、今は”風雅フウガ”の力も得ている。
 キリアが望めば、もしかして、銀の翼で自由に空を羽ばたくことだってできるかもしれない……
 キリアは右のてのひらに意識を集中させる。
 そこに、一羽の銀色の小鳥が現れた。
「ほう」
 それを見てメヴィアスがニヤリと笑った。
「なかなかセンスあるじゃねーか、お嬢ちゃん」
「行っけぇっ!」
 キリアは叫ぶ。銀色の小鳥はメヴィアス目がけて飛び立った。

 *

 ツバル地下洞窟、最深部。
 通路は行き止まりになっていた。どこかで見たことのあるような古びた金属製の扉がはめこまれている。岩石の床も壁も天井も、相変わらず薄明るい光を放っている。
 扉の前には、ひとりの男が立っていた。長い黒髪に、ガルディアの軍服。その立派な軍服とマントは、彼がガルディア軍の幹部であることを示していた。
「久しぶり、ピアン王女」
 扉の前に立つ男は言った。
「クラヴィス将軍……」
 サラは呟いた。
「待っていた」
 と、クラリスは言う。
「あたしを? バートじゃなくて?」
「そう、君を。ピアンの王女である君を」
 少し遅れてリィルはサラに追いついた。行き止まりの扉の前に立つクラリスを見てその場に凍りつく。
「クラリスさん……?」
「あたしに何の用なんですか」
 クラリスを見据えて、サラは毅然として言葉を放った。
「サラ、ダメだ!」
 リィルは素早く動いてサラをその背にかばった。相手は「敵」なのだ。たとえバートの父親であっても、元ピアンの将軍であっても、敵なのだ。リィルはリンツでサラが倒れたときの話をキリアから聞かされていた。キリアはサラが倒れたのは自分の所為だと悔しそうに言い、もう二度とあんな思いはしたくない、だからバートもリィルも敵に対して甘い考え持っちゃだめよ、後で後悔して苦しみたくないでしょ、と言った。それにリィルはクラリスが容赦なくバートを斬り捨てたところを見ていた。もし彼が剣を抜いてサラに斬りかかろうというのなら、本当に自分の命を捨てる覚悟で立ち向かわなくてはならない。
「君はこの扉を開けて、”陸土リクト”の力を手に入れることができる」
 クラリスはサラに言った。
「”陸土リクト”……。その扉の奥に大精霊がいるのね?」
「そう」クラリスはうなずいた。
「そしてこの扉は、君にしか開けられない」
「炎の扉がバートにしか開けられなかったように?」
 サラの言葉に、クラリスはうなずく。
「もしあたしが、嫌だと言ったら?」
「言ってみる?」
 クラリスは無表情で問い返してきた。
「…………」
 サラは口を閉ざした。リィルは全身に冷たい汗をかいていた。この状況で、自分たち二人に、選択の余地は残されているのだろうか。もしバートがこの場に現れたとしたら、状況は変わるのかもしれないが……
「あたしも、将軍に聞きたいことがあるんです」
 サラは口を開いた。
「何?」
「将軍がピアンを去っていったとき、あたしのお父さま……ピアン王カシスは、貴方がガルディアの将だってこと、知ってたんじゃないですか?」
「?」
 リィルはサラの発言に驚いた。どこからそういう発想が出てくるのか、リィルには全く見当がつかなかった。
「約束、だった」
 と、クラリスは答える。
「え」
「最初から、俺がピアンに来たときからの」
「どういうことですか」
「それ以上説明することはない」とクラリスは言う。
「そんなことよりも、王女、こちらに来て、この扉を開けて」
 落ち着いた、しかし有無を言わせぬ口調で、クラリスはサラに言った。
「扉を開けるには『鍵』が必要なんですよね? あたし、『鍵』なんて持っていません」
「いや」クラリスは首を振った。
「君なら開けられる」
「リィルちゃん……」
 サラはリィルにどうしよう、というように小声で問いかけた。リィルはクラリスを見据えて口を開いた。
「サラに扉を開けさせて、サラに”陸土リクト”の力を手に入れさせて、どうするつもりなんですか? 返答次第では、サラにそんなことさせるの、黙って見過ごすわけにはいきません」
「どうするも何も」
 と、クラリスは言う。
「見過ごすも何も、君たちに残された道は、それだけ」
 クラリスは腰の剣を抜き放った。リィルは唇を噛みしめた。全くクラリスの言うとおりだった。頭の中が真っ白になって、鼓動の速さを抑えることができない。
「サラ、逃げろっ!」
 リィルは叫んで、右手をかざして水の精霊を召喚し、クラリスに向けて放った。”流水ルスイ”の力も合わさった威力の水の精霊を、クラリスは手にした剣で簡単に斬り捨てた。剣のまとう炎が水の精霊を相殺し、青い輝きがスパークしてもとの薄明るい岩石に囲まれた空間に戻る。
 次の瞬間、クラリスが左手で炎の精霊を放った。リィルは為す術も無く壁に叩きつけられていた。息が詰まって、口の中に鉄の味が広がる。全身が熱いんだか痛いんだかわからない。感覚が正常に働かない。岩石の床に両手と膝をつく。呼吸をすることさえ忘れ――
「やめて下さい!」
 サラが叫んだ。リィルが顔を上げると、クラリスの剣の切っ先が間近に迫っていた。死を覚悟する暇もなかった。
 クラリスはサラを見て、剣を止めた。
「将軍の言うとおりにします。だから……!」
 サラはリィルのそばにかがみこんで、クラリスを見上げた。
「サラ……ダメ……だ……」
 リィルは何とか声を絞り出した。クラリスを目の前にして、自分の無力が泣きたいくらい悔しかった。
「リィルちゃん……」
 サラは首を振って、リィルの肩にそっと触れた。サラのあたたかい力が流れ込んできて苦痛を和らげていく。
「ごめんなさい……」
「……? な、んで、謝る……ん……」
「将軍からは、もう、逃げられないわ……。だから、あたしは……こうすることしか……」
「……サラ……?」
「でも、あたしは、最後まであきらめないから……。リィルちゃんも、最後まで……あきらめないで、ね……」
「…………」
 サラの言葉をひとつひとつ聞きながら、リィルはゆっくりと呼吸いきをした。心地よい眠気がリィルを誘う。サラの大地の精霊の力かもしれない……。
「……ありがとう、あたしのために……。でも今は……ゆっくり休んでて良いから……」
 目を閉じて完全に意識を失ったリィルの身体を、サラはそっと横たえた。
「行きましょう」
 と言って、立ち上がる。クラリスはサラを見てうなずいた。



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