d e p t h ( 5 )


(……ル、リィ……ル……)
 懐かしい声が、リィルの名前を呼んでいた。何も見えない、真っ白な空間で。
(……父、さん……?)
 リィルは頭を巡らせた。周りは何も見えない。
 ――いや。父さんのはず、ない。
 リィルはすぐに否定した。リィルの父エニィルは、『あのとき』、消えてしまったのだから。あのとき以来、いくら神経を研ぎ澄ませても、父の気配の欠片すらつかむむことはできなかったのだから……。
(……後のことは……だ、よ……)
(まずは、”陸土リクト”を。そして、……)
(……そう。僕は、最初から……)
(こんなことを……に、背負わせるつもりは……。本当なら、自分の、この手で……)
(でも、みんなは、……より、大切だから、って……)
(……かもしれないけれど……ガルディアを、止めるには……もう、……)
 エニィルの声は途切れ途切れに、リィルに何かを語りかけてきていた。父は消えてしまったはずなのに……。これは、夢? ――違う。これは……
 ……「記憶」、だった。あのときの……

 *

「リィル君」
 名前を呼ばれてリィルはゆっくりと目を開けた。リィルの意識は現実世界に引き戻された。――悪夢のような、現実世界に。
 リィルは自分を見下ろすクラリスとその腕の中に抱えられたサラを見た。サラは完全に意識を失っているようだった。リィルはサラの名前を呼ぶが、サラは目を覚まさない。クラリスは自分が扉の中でおこなってきたことをリィルに告げる。
「じゃあ、行こう」
 クラリスはリィルに呼びかけた。
「立てるね、リィル君」
 リィルはうなずいて立ち上がった。
(サラ……。みんな……)
 リィルは静かに覚悟を決めた。起こってしまったことはもう元には戻せない。今の現実は受け入れるしかない。こうなってしまった今、自分にできることは……。
(あたしは、最後まであきらめないから……)
 サラの言葉がよみがえる。
(リィルちゃんも、最後まで……あきらめないで、ね……)
 リィルは唇を噛んで拳を握り締めると、きっとクラリスの背中を見据えた。

 *

 バートとアビエスは戦っていた。バートが剣を振り下ろし、アビエスが剣で受け止める。バートが突きを放ち、アビエスが剣でなぎ払う。それの繰り返しだった。バートの剣はアビエスに傷ひとつ負わせることができず、アビエスの剣もバートを傷つけることはない。
「お前、やる気あんのか?!」
 バートはアビエスに叫んだ。
「防戦一方じゃんか。そんなんじゃ俺たちを突破して大精霊を手に入れることなんかできねーぜ」
「それは、貴方が強いから攻めあぐねているんですよ」
 と言って、アビエスは微笑む。
「そんな戯れ言は通用しねーよ! バカにしやがって!」
 バートは攻撃をやめてアビエスを見据えた。
「俺がクラリスの息子だから遠慮してるのか……?」
「…………」
 バートの問いに、アビエスは黙っている。
「アンタに俺を倒す意思がねーのなら、お互い、戦うのは時間と体力の無駄だ。そう思わねーか」
「全くその通りですね」
「認めたな」とバート。
「どういうつもりなんだ、お前……」
「大ヒントをあげましょう」とアビエスは言った。
「例えば、もし、私たちの行動が、ただの時間稼ぎ、だったとしたら」
「!」
 バートははっとした。嫌な予感がバートを襲う。時間稼ぎ? 何の……。バートはこの場にいない二人、サラとリィルのことを思った。もしかして、自分たちはどこかで致命的な過ちを犯した……?
「来ましたね」
 バートから視線を外して、アビエスが呟いた。アビエスの視線の先を見やって、バートは息を呑んだ。
 そこには、バートの父親、クラリスが立っていた。その腕の中に、サラを抱えている。サラはクラリスの腕の中で目を閉じてぐったりとしている。
 クラリスのかたわらにはリィルが立っていた。自分の感情をどこかに置き忘れてきたような表情で。
「父親……。サラ、リィル……」
 バートは呆然と三人の名前を呟いた。
 メヴィアスと戦っていたキリアは三人の姿を見て、しまった、と唇を噛んでいた。まさかアビエスとメヴィアスの他に、クラリスまで来ていたなんて。ということは、多分、アビエスとメヴィアスは囮だったのだ。そしてクラリスが洞窟内部で待ち伏せていた……
「サラに何したの!」
 キリアはクラリスに叫んだ。
「王女には、”陸土リクト”の力を手に入れてもらった」
 と、クラリスは言う。
「サラは大丈夫なの?!」
「大丈夫、衝撃で気を失っているだけ」
「サラは、鍵を持っていたってことなの? それとも、鍵は貴方が?」
「王女は、自らの内部に鍵を持っていた」
 と、クラリスは答えた。
「ピアン王家の”血”……。それが鍵、なんだ」
「サラ……」
 バートは意識のないサラを見つめて呟いた。サラは目を閉じたまま答えない。
「サラを……どうする気なの」
 キリアはクラリスに尋ねた。
「我が王のもとへ連れて行く」
 と、クラリスは言う。
「リィル君にも来てもらう」
「リィル……」
 キリアはその名を声に出して呼んだ。リィルはキリアを真っ直ぐに見た。しかし、その表情は何も語っていない。
「何でリィルを……」
「我々は、どうしても水の大精霊”流水ルスイ”だけは扱えませんからね」
 とアビエスが答える。
「リィル……」
 キリアはもう一度つぶやく。
「そして、」とクラリスは言った。
「君たちには、『鍵』を渡してもらう」
「この腕輪と、バートの剣を?」
 そうだ、とクラリスはうなずいた。
「貴方たちに”ホノオ”と”風雅フウガ”は扱えないはずよ」
 キリアは平静を装って言った。
「第一、私とバート以外はこの鍵に触れることだってできないはず……」
「できる」
 クラリスはキリアの言葉を否定した。
「持ち主が手放せば、鍵は誰のものでもなくなる。俺は王女の命を盾に君たちに『手放せ』と命じる。君たちは手放す」
 悪夢だ、とキリアは思った。どこでどう間違ってしまったのだろう。今まさに、自分たちが必死で集めてきた四大精霊が、敵の手に渡ろうとしている……
(エニィルさん……)
 キリアは黒いスーツの謎めいた男性の姿を思い浮かべていた。
(もし、貴方がこの場にいたら、どうするんですか……? 貴方は、この展開まで予見していたんですか? どうして、私たちの前から姿を消したんですか……?)
「父親……」
 バートが口を開いた。炎の剣を握り締めて。
「俺はアンタと戦いたい。アンタを倒したい。あのときは負けたけど、大精霊の力を手に入れた今なら勝てるんじゃねーかって思っている。アンタが現れたら問答無用で斬りかかるつもりだった」
 バートは剣を握り締めてクラリスの前まで歩いた。クラリスはサラを抱く腕に力を込める。
「今は、アンタに従うしかなさそうだけど……、俺は、いつか、絶対、アンタを倒すからな……」
 絞り出すようにそう言うと、バートは剣を地面に投げ捨てた。
「バート……」
 キリアは涙があふれそうになるのをぐっとこらえた。もう、何にすがれば良いのかわからない。頭の中がぐちゃぐちゃになって、混乱している。
「キリアちゃんも」
 クラリスの言葉に、キリアは身をかたくした。――身体が、金縛りにかかったかのように動かない。
「メヴィアス、アビエス」
 クラリスは二人の部下の名を呼んだ。二人はクラリスの元まで歩いた。
「アビエスはリィル君を。メヴィアスは”ホノオ”と”風雅フウガ”を」
「俺に任せてくれるってのか。光栄だな!」
 メヴィアスはバートの剣を拾い上げた。クラリスの言った通り、メヴィアスが剣に触れても何も起こらなかった。
 メヴィアスはバートの剣の切っ先をサラの白い頬に当ててキリアに向かってニヤリと笑った。
「王女の奇麗な顔に傷がついてもいーのか? ええ、お嬢ちゃんよ?」
「っ、わかった、わよ……」
 キリアは腕輪を外してメヴィアスに向けて投げつけた。メヴィアスはそれを片手でキャッチした。
「クククッ……ハハハッ」
 メヴィアスは愉快そうに笑った。
「これで揃ったってわけだ、四大精霊が。そして、最後に四大精霊全てを手に入れたのは俺たちガルディアだったってわけだ。ハハハッ」
 キリアは奥歯を噛み締める。身体の震えが止まらない。
「悔しいか、悔しいだろう。ハハハハハッ」
 メヴィアスの耳障りな笑い声。キリアは頭が痛くなってきた。
「リィル君」
 アビエスがリィルの隣に立った。リィルは表情を殺してアビエスを見返す。
「貴方は、飛べますね?」
 リィルは首を振った。
「私に抱えられるのは嫌でしょう? 手を貸しますから、それで、良いですね」
 アビエスはリィルの手をとった。リィルは抵抗しない。二人の身体がふわりと宙に浮かび上がる。サラを抱えたクラリスと、剣と腕輪を手にしたメヴィアスも赤い翼を広げて宙に舞い上がった。
 バートとキリアは声もなく飛び去っていく三対の赤い翼を見上げていた。赤い翼が見えなくなって、よどんだ空だけが残っても、いつまでも、いつまでも……

(第3部・完)



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