接 触 ( 1 )


 翌朝、キリアの体調はすっかり回復し、その日の昼過ぎには塔を旅立つことになった。キリアはキルディアスとエニィルの関係を心配していたのだが、昨晩も今朝も二人は普通に会話しているように見えた。リスティルに頼んでおいた口添えが効いたのだろうか。
 別れ際に、キルディアスはエニィルに言った。
「わかっているとは思うが……第二のクラリスにはならないで欲しい。無論、わかっているとは思うが……」
「ええ……勿論。それは、勿論です」
 エニィルは大きく頷きながら少し寂しそうに笑った。
 一人で乗用陸鳥ヴェクタに乗り込もうとするエニィルに歩み寄って、キリアは声をかけた。
「ごめんなさい、エニィルさん。祖父の言うことは気にしないで下さい」
「ううん、とんでもない」
 そう言って、エニィルはキリアに微笑んだ。
「君のおじい様には、本当に感謝しているんだ」
 そして、五人は再びヴェクタでキグリスの大草原を渡り始めた。次の目的地は北のコルシカ王国の湖畔の町、「コリンズ」だとエニィルは言った。コリンズにはエニィルの知り合いがいるらしく、大賢者の塔から伝書鳥で連絡を入れたとのことだった。
「コルシカ王国かー。北の国境越えるのは初めてね」
 ヴェクタに揺られながら、キリアは言った。
「あたしも」とサラが同意する。
「俺も」とバートも言った。
「ピアン人にとっちゃあ、コルシカって遠すぎるもんな。こんな機会でもなきゃあ行かねーよな」
「でも、俺は……」
 リィルは呟くように言った。
「なんでだろう……なんか懐かしいような感じがするんだ、コルシカって。初めて行く場所ところのはずなのに……」
「もしかして、水の扉――水の精霊の影響力の強い場所ところだから、惹かれるんじゃない?」
 キリアは言って、ふと右手首の腕輪リングを見た。左手でそっと触れてみる。
「何なんだろう、”精霊”って……」
 そんな言葉が口から出た。
「精霊は精霊でしょ」
 サラがキリアを見て言う。
「いやまあそうなんだけど」
「あたし達が普段見て触れて感じている通り、で良いんじゃないかしら。それ以上でもそれ以下でもないと思うわ」

 *

 子供達四人の乗る乗用陸鳥ヴェクタの後姿を眺めながら、エニィルは小さくため息をついていた。風の扉の件は失敗だった。キリアは衝撃で気を失い、リスティルは腕輪リングの所為で負傷してしまった。炎の扉の件は特殊なケースだと思っていたのだが……まさか風の扉でも、二人の身にあんなことが起きてしまうなんて。
 しかし、それでもキルディアスは、素性の知れない異郷の者を信用し、これからの旅にキリアを、つまり腕輪リングの持ち主を同行させることを許可してくれた。キリア自身が「行きたい」と強く希望したから、というのもあったが。
(確かにアレは不可抗力ってやつで、僕の所為ではないんだけどなあ)
 それでもエニィルは全ての責任を押し付けられて責められてもおかしくない立場に立たされていたのだ。しかし、キルディアスはエニィルに「第二のクラリスにはならないで欲しい」と言っただけだった。
「クラリス、か」
 エニィルは呟いた。キルディアスの言いたいことはわかる。しかし、エニィルはクラリスとは根本的なところで違うとはっきりと自覚していた。クラリスの生き方はわかりやすくて羨ましい。でも、今のエニィルには絶対にできない生き方だった。
(今の僕はどう頑張ったってクラリスにはなれない。回り道になっても、自分が損することになっても、そういう普通の生き方は嫌いじゃないんだ)
 でも、とエニィルは思う。クラリスは、自分の息子――リィルを殺さなかった。そして、ちゃんとエニィルのもとに送り届けてくれた――。まだ自分のことを友人だと思ってくれているのかもしれない。そういう心が残っているのかもしれない。
「……なんで僕達が戦わなくちゃならないんだ」
 エニィルは悔しさに拳を握りしめた。
「ユーリアが悲しんでるの……わからないのか、クラリス。お前にとってのユーリアは……」
 ぼんやりと考え事をしながら、エニィルの乗用陸鳥ヴェクタの速度は落ちていった。だんだん子供達四人の乗る大型ヴェクタと離されていく。――来るならそろそろだろう、とエニィルは思った。直後、異質の大気の揺らぎを感じてはっと顔を上げた。手綱を引いてヴェクタを止める。
 エニィルはヴェクタから降りた。少し離れたところに赤い短髪の男が腕組みをして立っていた。その背中には赤い翼があった。草原を渡る風に白衣の裾が揺れた。
「いつ来るかと思ってたんだ」
 エニィルは男を見据えて言った。
「もしかしたら大賢者の塔の屋上かなって思ってたけど、さすがにそこまでバカではなかったようだね」
「フン、相変わらず言うじゃねーか」
 赤い短髪の『異形』の男――ガルディア軍・第三部隊隊長、メヴィアスが不敵に笑った。
「久しぶりだな」
「ピアンではどうも。……で。何の用かな?」
「決まってんだろ」
 メヴィアスが言うと、周囲の大気が赤く揺らいだ。膨大な熱エネルギーにあおられ、エニィルは思わず右腕で顔をかばう。口早に精神集中の言葉を呟いて水の精霊を召喚する。水の精霊は四羽の青い小鳥へと姿を変え、エニィルの四方を守るように取り囲んだ。周囲の大気が冷えて浄化される。
 メヴィアスの周囲には、前方に一体、左右に二体ずつ、計五体の赤い四つ足の獣が現れた。太い四肢で大地に立つ赤い大型獣は、野生の狼の三倍はある大きさだった。頭部の位置はほぼ人間の目線の高さ、獣の頭の大きさは人間の二倍はあった。一体だけでもかなりの殺傷力を持っていることがわかる。
「ハハハッ、これが実力の差ってやつだな」
 メヴィアスは自慢げに笑った。
「それを見せびらかすことが用件かい?」
 エニィルが冷静に尋ねる。
「早まるのは得策ではないでしょう」
 頭上で声がした。見上げると赤く長い髪の男が赤い翼を広げて舞い下りてくるところだった。――気付かなかった、とエニィルは小さく舌打ちをした。メヴィアスと自分の精霊召喚に気を取られていたのだ。しかし、メヴィアスと話すよりは、この男――ガルディア軍第五(特殊)部隊隊長、アビエスと話すほうが遥かにましだろうと思う。
「『西風の塔』でのことはだいたい見させていただきました」
 と、アビエスは言った。
「ピラキア山で炎の大精霊、西風の塔で風の大精霊の力を手に入れたようですね」
「…………」
 エニィルは答えない。
「北に向かっているということは、次は水の大精霊、ですか。どうやら我々が手に入れた『水の鍵』は、全て偽物だったようですね。本物の鍵は、今、貴方が持っている……違いますか?」
「わかっているとは思うけど」
 と、エニィルは口を開いた。
「『炎』と『風』については、奪おうとしたって無駄だ。アレを扱えるのは、今ではバート君とキリアちゃんだけだ」
「そんでお前は『水』と『大地』も手に入れようとしてるってわけだな。一人で強大な力を四つも手に入れて……いったい何を企んでいるんだ、エニィルさんよ?」
 メヴィアスが口元を歪めて笑う。
「企む?」
 エニィルはメヴィアスの言葉を繰り返した。
「お前も結局俺達と同じなんだろ。四大精霊の力を手に入れるのは……」
「この戦いを終わらせるため」
 エニィルはきっぱりと言った。
「僕は平和が好きなんだ。それ以上は望まないよ」
「まあ良いでしょう」と、アビエスが言った。
「我々は『炎』と『風』については様子を見ることにしましょう。しかし、『水の鏡』については見過ごすわけにはいきませんね」
「……なるほど、ね」
 エニィルは小さく息をついた。
「さ。どうする?」とメヴィアス。
「俺達だって無益な殺生は好まねーんだ。大人しく『水の鏡』を渡してくれりゃあ、この場は引いてやっても良いんだぜ」
「僕が応じると思って言ってる?」
「まさか。ハハハッ、お前とは一度、全力で戦ってみたかったんだ! 泣いて命乞いすることになったって知らねーからなあっ!」
 メヴィアスの声に応じて、一匹の赤い獣が地を蹴った。牙をむいてエニィルに襲いかかる。やれやれ、とアビエスが苦笑した。
「助けは呼ばないんですか?」
 と言って、アビエスは遠方の大型ヴェクタを見やった。
「それとも、本物の鏡は貴方の息子――あの少年が持っているから、呼べないんですか?」
「お好きな解釈で」
 エニィルは襲い来る赤い獣に水の精霊を放ちながらポーカーフェイスで答えた。
「じゃあ、念のため、こいつらにヤツらも襲わせておくか」
 メヴィアスが言うと、彼の周囲に残っていた四匹のうちの三匹が一斉に地を蹴った。子供達四人が乗る大型ヴェクタへ向かってまっすぐに駆けていく。アビエスが口元に笑みを浮かべながらそれを見送った。
 エニィルは一瞬だけそちらを見やったたが、すぐに表情を引き締め、目の前の敵、メヴィアスに集中することにした。



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