炎 の 扉 II ( 2 )


「う……あ、あああああ!」
 バートが叫び声を上げた。剣先が地面に落ちる。バートは両手で剣の柄を握りしめたまま地面に片膝をついていた。
「バート……君……」
 エニィルは呆然と呟いた。
「…………」
 キリアも、サラも、遠くで見守っていたリィルも、バートを見つめて、声が出なかった。
 バートがゆっくりと立ち上がった。
 そのバートの背中には、一対の赤い翼が、あった。
「バート君……」
 エニィルがバートに声をかける。バートはゆっくりとした動作で、右手に握りしめた剣を振り上げた。
「おじさまっ」
 サラが叫んでバートに駆け寄る。バートがエニィルに向けて剣を振り下ろそうとするのと、サラがバートの右腕を掴んで止めたのが同時だった。
「サラ王女っ」
「きゃあっ」
 バートは無言でサラを突き飛ばした。サラは床に倒れる。
「サラ!」
 キリアは叫ぶ。
「サラを突き飛ばすなんて……アイツ正気じゃない!」
「……ダメだ」
 キリアの後ろでリィルが小さく呟いた。
「やっぱりここでは『水』が使えない。力が制限されてるみたいなんだ……。多分、父さんも」
 バートは右手の剣を掲げた。背中の赤い翼が赤く輝く。キリアはバートの表情を見た。その瞳には、生気がなかった。
「エニィルさん、下がって下さいっ」
 キリアは叫んで駆け出した。
「すまない、キリアちゃん」
 バートは炎の精霊を召喚して、こちらに放ってきた。キリアも風の精霊を召喚して放って相殺する。
「アイツ……。炎の精霊を、使いこなしてる……?」
 いつものバートなら「炎の精霊を召喚して、放つ」なんてこと、できないはずなのに。
「バート……どうしちゃったの?」
 サラが立ち上がってバートに問いかけた。
「サラ……」
「なんで攻撃するの……? お願い、元に戻って!」
「キリアちゃん、サラ王女!」
 二人の後方から、エニィルが鋭く叫んだ。
「ここは、いったん退こう」
「え……?」
 サラがエニィルを見る。
「みんなでいったん『この場』から離れるんだ。ここだと僕は力を使えないから」
「外に出るってことですか?」
「リィル、急げ! サラ王女とキリアちゃんも早く!」
 エニィルの言葉には有無を言わせぬ響きがあった。リィルもそんな父の意図を感じ取ったのか、すぐに小さく頷いて外に向かって駆け出した。キリアもサラの手を取って駆け出そうとする。
「バート……」
 サラはバートと、その背中の赤い翼を眺めて、呟いた。
「サラ、ここはいったん……」
 キリアはサラに声をかけて、行きましょう、とうながした。サラは小さく頷いた。

 *

 リィル、キリア、サラ、エニィルの四人は『部屋』を出て、通路を駆け抜け、扉の外に出た。太陽の光がまぶしかった。
「……はあ。生き返る……」
 リィルは大きく息をつくと、よし、と気合を入れて、今出てきた扉のほうを見やった。
ここでなら、例えバートが攻撃を仕掛けてきたって、互角に戦える」
「ちょっとリィルちゃん、物騒なこと言わないでよ……!」
 サラが少しとがめるような口調で言う。
「そうよリィル、変な対抗意識燃やさないでよ」
「キリアまで……別にそんなつもりは」
 四人はしばらくの間、無言で扉を見つめていた。しかし、バートが四人を追って扉から出てくる気配は無かった。
「……エニィルさん」
 キリアはエニィルを見て問いかけた。
「これは……予期していたことだったんですか……?」
「いや」
 エニィルは即答して、首を振った。その顔は少し青ざめているように見えた。
「まさか、こんなことになるなんて……正直、ちょっと、動揺してる」
「そうですか……」
 キリアは呟いて、さっきのバートの姿を思い浮かべた。背中に生えた、一対の赤い翼――。『敵』である、『異形』の姿。確かにバートには異形の敵、クラリスの血が流れているのかもしれない。しかし、それでも、今まで一度だってバートのこんな姿は見たことがなかった。
「でも、どうして……」
 サラが小さく呟く。
「父さん、まさか、今のが『大精霊”ホノオ”』の力……?」
 リィルが厳しい表情でエニィルに尋ねる。エニィルは静かに首を振った。
「いや……。『大精霊”ホノオ”』は、単なる引き金に過ぎないと思う。……あれは、クラリスの……ガルディアの、血……?」
「血……」
 サラが心配そうに呟いた。
「バートは……元に戻るのかしら……?」
「…………」
 エニィルもリィルもキリアも、その呟きに答えを返せなかった。サラはふらりと扉のほうに歩を進めた。
「サラ王女?!」
 扉の中に入っていこうとするサラに、エニィルが慌てて声をかけた。
「あたし、バートを見てきます」
「しかし……王女、」
「バート一人にしてきちゃったから……心配になってきちゃって……」
「サラっ!」
 リィルが叫び声を上げた。サラははっとしてすぐに反応して動いた。今までサラが立っていた場所に、炎をまとった剣が振り下ろされていた。
 赤い翼を生やした黒髪の少年――バートが、扉から出てきていた。その瞳には相変わらず生気が宿っていない。右手には、炎をまとった剣を握っていた。
「「バートっ!」」
 リィルとキリアは同時に叫んでいた。しかし、バートは反応を示さない。左手を掲げて、炎の精霊を召喚しようとしている。
「やめて!」
 サラが叫んでバートの左腕にすがりついた。バートは虚ろな瞳でサラを見る。
「やめて! あたしたちは貴方の敵じゃないわ! 今までずっと一緒だったじゃない! あたしたちは貴方の仲間よ! だから攻撃はやめて!」
 バートは無言で右手の剣を振りかぶった。
「サラ、逃げて!」
 キリアが叫ぶ。
 バートはサラに向けて、右手の剣を振り下ろそうとしている。
「バート、やめろっ!」
 リィルが叫ぶ。
「あたしたちは貴方の敵じゃないわ、仲間よ!」
 サラはバートの瞳を見つめて叫んだ。
「たとえ貴方に赤い翼が生えても、貴方がガルディアでも――あたしたちは仲間よ! 当たり前じゃない!」
「…………」
 バートはサラの言葉に反応するように、右手の動きを止めた。
「バート……?」
 からん、と音がして、炎をまとっていた剣が地面に落ちた。
「バート……正気に……?」
「サラ王女、ごめんっ」
 エニィルの声が聞こえた。次の瞬間、バートの頭上に大量の「水」が出現した。水はそのままバートの頭の上に落ちる。ばしゃん、と音がして、サラもその水の三分の一くらいを頭からかぶった。サラは思わずその場に尻餅をついていた。
 サラがはっと気がつくと、サラの目の前で、全身ずぶ濡れ状態のバートがサラと同じように座り込んでいた。
「あ……れ……」
 バートはびしょびしょの前髪をかき上げながらサラを見て呟いた。バートの背中からは、赤い翼が消えていた。



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