攻 防 ( 2 )


 ガルディア軍第六部隊副隊長・ファオミンは、ピアン王を暗殺すべくリンツの町を目指していた。夜通し長距離を飛び続けるのはさすがに疲労する。しかし、この大陸の人間が使う移動手段『乗用陸鳥ヴェクタ』よりは確実に速い。
 ファオミンが動くのは、正確にはガルディアのためでもガルディアの王のためでもなかった。全ては愛する一人の男性のため。少しでも彼に近付きたい。彼のそばで役に立ちたい。
 しかし、その男性は、敵地に潜入していたのだが数年ぶりに帰ってきたときには既に妻子を持っていた。敵地の女と一つ屋根の下で暮らしていたというのだ。信じられなかった。彼が言うには『敵』を確実に欺くためとのことだったが。
 それにしても、そのピアンの女を殺さず捕らえて連れてくるなんて、まだ未練があるということか。愛に国境はないとかいうつもりなのか。――まだ、あの女を、ピアンに捨ててきたはずの女を愛しているということか。
 クラリスが連れてきたピアン女――名前はユーリアとかいうらしい――には会わないようにしていた。顔も見たくない、というのが半分。顔を見てしまったら自分の感情を抑えられないだろう、というのが半分。いくらピアン女だからといって、さすがにクラリスがいるところで手を出すのはまずいだろう。
「?」
 ファオミンは首をひねった。遠くに見えるリンツの南門の前に、自分を待ち構えるように五人の若い男女の姿があった。ピアンの兵には見えないが、待ち構え……? あり得ない。自分がリンツに向かっていることを知っているのは、アビエスとエニィルの息子だけのはずだ。思い立ったらすぐ動き、ピアンにはもちろんのことガルディアにも極力知らせず、完全に意表を付いたつもりだった。このことはガルディアの王もクラリスも『カズナ』も『メヴィアス』も知らない。完全な独断だった。成功すれば大きな益になる。そしてたとえ失敗したとしても失うものは少ない。
 情報が漏れた可能性としては、アビエスが漏らしたか。あのエニィルの息子が生き延びて何らかの方法でリンツに知らせたか。あのあとあの場に誰かが来たのかもしれない。
 しかし、五人だ。仰々しい兵士団が待ち構えているわけではない。きっと向こうも情報が届いたばかりで対応に追われているところなのだろう。
 翼で飛んで城壁を越えることはできる。しかし塀の向こうに弓隊が伏せてあったら? 王の周囲にも兵はいるだろう。遠くから短剣を投げ少しでも傷を負わせれば仕留めたも同然なのだが、それも難しいかもしれない。
 失敗か? とファオミンは唇を噛む。しかし、ただでは退けない。
 ふと、南門の前に立つ少女の姿が目に止まった。――あれはピアン王女ではないだろうか? 話には聞いていた。金のウェーブのロングヘア、青い瞳の十六歳の少女。
 ――まだいけるわ、と、ファオミンは唇の片端をにやりとつり上げて笑った。

 *

 その女はひとりで草原を堂々と歩いてきた。赤い髪はウェーブがかっていて肩まで伸びている。ガルディアの軍服。エニィルが手紙で言っていたとおりの容貌。
「良い度胸してるわね、彼女」
 キリアは思わず呟いた。
 サラは背筋を伸ばして女のほうへ一歩を踏み出した。そのまま歩いていこうとする後姿にキリアは慌てて声をかけた。
「サラ、気をつけて!」
「彼女と話がしたいの」
 と、サラは言う。
「そんな……相手は暗殺者よ、話なんて通用しないわよ」
 サラはキリアを振り返って微笑んだ。
「でもキリア……そういう考えが、争いを生むと思うの」
「サラ……」
 キリアは何も言い返せず言葉を失った。

 *

「ようこそ、ガルディアの者」
 ファオミンの前で立ち止まったピアン王女サラがそう声をかけてきた。
「あら? 歓迎してくれるの?」
「用件次第です」とサラは言う。
「貴女がピアン王――父を暗殺するために来たというのなら、そして、まだその気があるというのなら、私は貴女を許すことはできません。ここにいる五人で全力で阻止します。もっとも、父を暗殺することはもう不可能でしょう。貴女の動きはこちらに筒抜けだったのですから、こちらにも迎え撃つ準備はできています。だから、大人しく引き返してくれるというのなら……」
「……アハハハ!」
 ファオミンは笑った。
「あなた本当に『姫』ね」
「どういう意味?」
「甘いのよ王女!」
 ファオミンは叫んだ。
「欲しいものは何でも手に入るんでしょう。身の安全は国家が保障してくれるんでしょう。わたくしは違う! 生きるってことは常に死と隣り合わせなのよ。生きるためには、望むもののためには命をかけるわ」
 ぶつけられた言葉に、サラがしばし絶句する。
「貴女、ピアン首都が落ちたとき、その場にいなかったらしいじゃない。自国ピアンが大変なことになってるっていうのにひとりで安全な場所にいたっていうのね。貴女や貴女の父親のために何人が命を落としたと思ってるの。王女だからっていい気になってんじゃないわよ!」
「な……違う!」
 明らかにサラは動揺を見せた。その顔が泣きそうに歪む。
「フフフ……悔しい? 悔しかったら……」
 ファオミンは腰のベルトの短剣を一本引き抜いた。
「貴女も命かけてみせなさいよ! ピアン王女として!」
 ファオミンはサラに向けて短剣を投げつけた。普通の人間なら、ましてや『姫』ならかわせるはずはなかった。ピアン王女だけでも仕留めてから帰ろうと思ったのだ。
 しかしサラは投げつけられた短剣をかわした。偶然、というのではなさそうだった。武術の心得のある者の動きだった。ファオミンは短く口笛を吹いた。
「なかなかやるわね、ピアン王女」
 ファオミンは二本目の短剣を抜くと素早く王女に接近して斬りつけようとした。しかし王女はそれもかわす。逆に繰り出した右手を押さえ込まれ身動きとれなくなった。
「くっ……」
 関節の痛みに声を上げ、ファオミンは片膝をついた。にらみつけるように王女を見上げると……サラはその両の瞳から大粒の涙をあふれさせていた。
「な……どういうつもり? バカにしてんの?!」
 思わずファオミンは叫ぶ。
「ごめんなさい、貴女の言うとおりだわ……」
 ファオミンを押さえつけたまま、涙をこぼしながらサラが小さく呟いた。ファオミンにはこの王女の言動が全く理解できなかった。
「王は、王女だって国民を守るためにいるのに……お父様は国民を守るために兵の先頭に立って戦ったのに……あたしは何もできなかった……あたしもみんなと一緒に戦いたかったのに……戦うべきだったのに……」
「…………」
 ファオミンはしばらく無言で涙を流す王女を見つめていたが、やがて、ふう、と息をついて抵抗する力を抜いた。
「負けたわ、ピアン王女」
「え」
「どうやら王も貴女も仕留めることは難しそうだし、今日のところは大人しく退いてあげる。それに……貴女のこと、少し勘違いしてたみたい。見直したわ、ピアン王女」
「……ありがとう」
 サラはファオミンを押さえつけていた力をゆるめた。
「……なんてね」
 次の瞬間、ファオミンは素早く動き王女の胸に短剣を突きたてた。王女の目が大きく見開かれる。純白のワンピースの胸の部分が赤く染まる……
「さようなら、ピアン王女」
 ファオミンは笑い声を上げると、赤い翼を広げて南の空へ飛び立った。



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