攻 防 ( 3 )


「サラ!」
 草原に倒れたピアン王女を見てキリアが絶叫した。リネッタも同時に言葉にならない悲鳴を上げていた。キリアは真っ先にサラに駆け寄るだろうと思っていたが、キリアはリネッタを振り返って、それからエンリッジを見た。
「エンリッジ、サラのことお願いっ!」
 キリアは短く叫ぶと乗用陸鳥ヴェクタの手綱を握ってその背に飛び乗った。赤い翼の女を見据えて猛スピードでヴェクタを走らせる。
「ああ、まかせろ」
 エンリッジはすぐにサラに駆け寄った。リネッタとウィンズムもエンリッジを追う。
 サラは胸を押さえて草原に横たわっていた。白いワンピースとその生地を握りしめた指が血で赤く染まっている。苦しそうに呼吸を繰り返している。
「姫様……!」
 それしか言えなくて、リネッタは唇を噛んだ。
「リネちゃん……」
 薄目を開けて、サラがリネッタを見た。
「ごめんなさい……あたし……」
「喋らなくて良いから! 大丈夫……大丈夫だからね……」
 泣きそうになるのをこらえながら、リネッタはすがるようにエンリッジを見上げた。エンリッジはサラの傷の様子を診て言う。
「大丈夫、傷はそんなに深くない」
 エンリッジは右手をかざして治癒を開始した。あたたかい光がサラを包み込む。大丈夫、と聞いてリネッタはひとまずほっとしたが、リネッタの後ろでウィンズムが低く呟いた。
「……姫の様子がおかしい。『毒』じゃないのか? 医者」
「ああ、多分」
 サラを治癒しながら、厳しい表情でエンリッジはうなずいた。
「何それ、どういうこと?!」
 リネッタはサラの左手を両手で握りしめながら二人に尋ねた。その手は熱かった。サラがくり返し吐き出す息も荒く、熱い。
「刃物に毒が塗ってあったんだ」
 と、エンリッジが答えた。
「毒が? ……でもアンタ医者なんでしょ、解毒くらいできるんでしょ」
「今すぐにはできない。適切な解毒薬が手元にない」
「じゃあ、どうするの」
「医院に取りに行ってくる。心当たりはいくつかあるが……」
 そこまで言ってエンリッジは言いよどんだ。続きは言わなかったが、リネッタには彼の心の声が想像できた。もしリンツに『適切な』解毒薬が無かったら……?
「とにかく、俺は行ってくる。リネッタ達はここ、たのむな」
「うん……」
 リネッタはうなずいてサラの手を握る両手に力をこめた。
「ウィンズム……」
 リネッタは背後に立つウィンズムを見上げた。ウィンズムはリネッタの頭をぽんぽんと叩いた。
「……解毒薬なら、『あの女』が持ってるかもしれないな。奪ったほうが早いだろう」
「あの女?」
 ウィンズムの言葉を繰り返してリネッタははっとした。
「冴えてる、ウィンズム!」
「……上手い具合にアイツが足止めしているみたいだしな」
「キリア、でしょ。味方の名前ぐらい覚えなよ」

 *

 ――あの女、許さない!
 草むらに倒れたサラを見てキリアは声を上げた。やっぱり王の命を狙う暗殺者にのこのこ近付いてしまったサラが甘かったのだ。それを黙認してしまった自分も甘かったのだ。これでもしサラにもしものことがあったら……悔やんでも、悔やみきれない。
 キリアはちらりとエンリッジを見た。エンリッジに、というのは少々不本意なのだが、任せられることは任せよう、と思った。彼は一応『医者』なのだから。
「エンリッジ、サラのことお願いっ!」
 キリアは短く叫ぶと乗用陸鳥ヴェクタの手綱を握ってその背に飛び乗った。「ああ、まかせろ」という彼の声を聞きながら、赤い翼の女を見据えて猛スピードでヴェクタを走らせる。
 女の飛ぶスピードは速かった。これ以上距離は縮まらない、と悟ると、キリアは女に狙いを定め、精神を集中させた。
(風の精霊――!)
 キリアは右手を空にかざし、召喚した力を女に向けて一気に放った。「風」は女の軍服の何箇所かを同時に切り裂き、血飛沫(しぶき)が上がった。女は振り返ってキリアを見とめると、赤い翼を大きく広げて地面に下りてきた。右手で短剣を抜いて構える。
「どうやらただでは帰してくれないみたいね」
 女はキリアをにらみ付けて言った。切り裂かれた軍服からは血が滴り落ちている。
「当たり前よ! サラを傷つけてただで帰れると思わないでよ!」
 ヴェクタの上から見下ろしてキリアは叫んだ。
「もし、サラにもしものことがあったら……! アンタは絶対に生かして帰さない!」
「それは困るわ。ピアン王女は死んだも同然だけど……」
「何ですって!」
「あたしは必ずクラリス様のもとへ帰ってみせる。アンタを殺してね」
 女は短剣を構えて一気に間合いを詰めてきた。精霊使いであるキリアは接近戦は苦手だった。精霊を発動させるのには時間がかかる。そのためには距離を置いて戦う必要がある。急いで女との距離を離そうと思ったが、ヴェクタに乗っていてはすぐに女の動きに対応できない。いつもならこんな些細なミスは犯さないのだが、今回はサラのことで冷静さを欠いていたのだろう。キリアは素早く発動させられるような小さめの精霊術を使うことにした。
 至近距離まで間合いを詰めた女がキリアに向けて短剣を投げつけようと振りかぶった。同時にキリアは風の術を発動させた。風の刃は女の右手を傷つけ、女があっと声を上げた。女の手を離れた短剣はキリアを大きく反れてキリアの背後の草むらに突き立った。
 何気なくそちらを見やってキリアは驚いた。草むらに突き立った短剣を拾い上げる銀髪の少年の姿。ウィンズムがいつの間にか追いついてきたのだった。キリアが何か言おうとした瞬間……ウィンズムは素早くその短剣を女に向けて投げつけた。
 ウィンズムの手を離れた短剣は正確に女の胸に突き刺さった。
「きゃあああああ!」
 女が胸を押さえて高く絶叫する。この世のものとは思えない絶叫にキリアは耳をふさぎたくなった。
「……俺もナイフ投げは得意なんだ」
 ウィンズムがボソリと呟いた。
「……お見事」
 キリアはヴェクタから飛び下りてウィンズムに並んだ。
「……あの女の短剣には毒が塗ってある」
 と、ウィンズムは言った。
「ちょっとでも斬りつけられていたらお前もアウトだったな」
「え……じゃあサラは!」
 キリアは顔色を変える。
「……傷自体は浅かった。解毒薬を使えば助かるだろう」
「解毒薬……って。エンリッジ持ってるの?」
「……わからん。でも、あの女なら持ってるだろう」
「あ……そうか!」
 キリアは胸を押さえて苦しみにのたうつ女を見た。彼女も自分の毒を喰らったのだ。持っているのなら解毒薬を出すはずだ。
 女は懐から茶色の小瓶を取り出し、キリアたちを見た。
「……わたくしにこれを出させることが目的だったのね、やるじゃない……」
「わかってんならよこして、早く!」
 キリアは叫ぶ。
「フフ……」
 ファオミンは苦しげに笑った。
「この瓶は……渡さないわ、絶対に!」
 ファオミンは手にした小瓶を地面に叩きつけた。硝子ガラスが砕ける音。茶色の小瓶は粉々に砕け散り、破片と中身を地面にばらまいた。
「なんてことを!」キリアは叫んだ。
「アンタ自分だって……命惜しくないのっ?!」
「おあにくさまね……」
 ファオミンはキリアを見て、薄笑いを浮かべた。
「わたくしは自分の使う毒には慣れているのよ。だから効きが悪い。多少具合が悪くなってもこの毒で死ぬ、ってことはないわ」
「そん、な……」
 キリアは絶句する。
「アハハハハ……!」
 ファオミンは天を仰いで高い声で笑った。
「これでピアン王女が助かる道はついえた! ピアンは終わりね! クラリス様、やりましたわ……っ!」
 そこまで言って、ファオミンは完全に意識を失ってがっくりとその場に崩れ落ちた。ウィンズムが素早く近付いてファオミンの鳩尾みぞおちに拳を入れたのだった。
「……コイツ、どうする?」
 ウィンズムがキリアを振り返り、意識を失ってうつ伏せている赤い髪の女を指して尋ねた。
 キリアは大きく息を吸い込んで心を落ち着けようとしていた。これでピアン王女が助かる道はついえた、という女の高い声が耳に残っている。この女を今ここで殺すのは簡単だ。それでサラが助かるのなら迷わずそうするだろう。でも……
「ピアン王に引き渡す」
 キリアははっきりとした口調で答えた。
「……わかった」
 ウィンズムはどこからともなく取り出したロープで女を縛り上げ始めた。



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