不 可 解 な 感 情 ( 3 )


 バートは抜き放った剣の鞘を地面に落とし、草を踏みしめて歩き出す。空き地の中央には、かつてバートに剣を託した彼の父親が立っている。バートは父に声が届けられる距離まで近付いて立ち止まった。顔を上げて父の顔を見据える。父親の黒い瞳を、真っ直ぐに射抜くように。
「バート」
 クラリスが歩み寄ろうと一歩を踏み出す。それをバートは剣を構えて制した。
「来てくれて、嬉しい」
「はあ? 何か勘違いしてねーか?」
 バートは右腕を水平に伸ばし、剣の切っ先をクラリスに突きつけた。
「俺は、ピアンの剣士として、あんたを成敗しに来たんだ」
「…………」
 クラリスは黙ったままバートを見つめる。
「剣を抜け、父親」
「…………」
「父親は……その剣で何人のピアン兵を斬ったんだ」
「…………」
「いちいち覚えてねーってことか」
 クラリスの沈黙を、バートはそう解釈する。
「ユーリア、お前のこと、心配してた」
「だから何だってんだ!」
 叫ぶと同時に、バートは地面を蹴った。
「はあっ!」
 気合一閃、大きく振りかぶって真っ直ぐに振り下ろす。迷いの無い太刀筋だった。金属と金属がぶつかり合う音が響く。クラリスは息子の一撃を自らの剣で受け止めた。剣を右に払われ、バートは体勢を崩しかけたが、辛うじて踏みとどまる。剣を構え直し、父親をにらみつけて、搾り出すように声を発した。
「俺は……てめーを、許さねー……!」

 *

(ついに始まった……か)
 断続的に響く剣戟の音を聞きながら、リィルは屈みこんでバートの剣の鞘を拾い上げた。
 父と子の戦い。もう止められない。バートは止めたって聞かないだろうから。それはわかっていた。覚悟はしていた。自分がこの場に立ち会えるだけでも上出来だと思っていた。
 でも、とリィルは考える。
(本当に……これで良かったのか……?)

 *

(炎の精霊――!)
 バートは剣を振り下ろす瞬間に短く念じた。炎をまとう刀身をクラリスは余裕でかわす。
(甘いぜっ!)
 バートはすぐに次の動作に移った。もう一度炎の精霊を呼ぶと同時に二撃目を横になぎ払う。予想していなかった二撃目の「火炎斬」にクラリスは驚いたようで、身を引くのがわずかに遅れた。
 飛び散る、赤い液体。バートの剣から血が滴り落ちる。バートは大きく息を吐きながらクラリスとの間合いを取り、剣を構え直した。
 クラリスの右頬がざっくりと切り裂かれ、鮮血が溢れ出していた。それでもクラリスは顔色一つ変えずバートを見つめている。流れ落ちる血を拭おうともせずに。
「バート……。強く、なったな」
 クラリスはゆっくりとした動作で自らの剣を鞘に収めた。顔には穏やかな微笑を浮かべている。
「な……んだよ。顔に傷つけられたくらいでもう降参かよ……?」
 そんなわけない、とバートは直感的にわかっていた。声が震えた。
(なんで剣を収める?! 父親の強さはあんなもんじゃねー……!)
 クラリスは空いた右手を虚空にかざした。見えない何かを掴み取ろうとするように掌を広げ……次の瞬間。
(?!)
 バートは我が目を疑った。クラリスの右手には見たことのないような剣が握られていた。柄から刀身の先までわずかに赤い光を発する大きな剣。さっきまでクラリスが振るっていた剣ではない。
「見せてやる」
 クラリスは赤く輝く剣を両手で構え直して言った。
「究極の、炎を」
 クラリスの顔から笑みが消えた。真っ直ぐに見つめられて、バートは息苦しさを覚える。
(父親の……『気』……?)
 バートは気圧けおされないように、唇を噛みしめ、両の足に力を入れ、剣を握る手にも力を込める。
 次の瞬間、クラリスが動く。バートも反応して動いたつもりだった。
 が――
「!」
 剣を合わせることすらできず、直後、右肩に痛みが走った。
「っ?!」
 バートは呻いて右手の剣を取り落とす。既に視界にクラリスの姿はない。バートは慌てて振り返る。大きく剣を振りかぶったクラリスが目に映る。
「!」
 バートは息を呑んだ。
(――殺られる……ッ?!)

 *

「やめて下さ」
 言いかけて、リィルは言葉を途中で飲み込んだ。
 クラリスは容赦なく刃を振り下ろす。
 バートが、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。
 彼の全身を赤い液体が塗らす……
「バート……っ!」
 一瞬だけ、やっぱりキリア連れてくれば良かったと思った。
 リィルは倒れたバートに駆け寄ろうとして、足を止めた。赤い剣を手にしたクラリスが、リィルとバートの間に立ちはだかってリィルを見下ろしていた。
「クラリスさん……」
 リィルは心を落ち着けようと何度か息を吸い込んだ。
「あなたは……なんでっ……」
 声が震える。無意識のうちに左掌に水の精霊を呼び寄せていた。
「水よ!」
 リィルはクラリスに向けてそれを放つ。クラリスは赤い剣を一閃させて一瞬で水の精霊を消滅させた。
「落ち着いて、リィル君」
「お……落ち着いていられますかっ!」
 リィルは叫ぶ。視界に血に染まって倒れたままのバートが映った。――悔しかった。
「君とオレが戦う理由なんて」
「あります」リィルはクラリスを見据えた。
「何でここまでするんですか! 本気で斬るなんて……! バートは……バートは、あんたの、何なんですかっ! あんたは、バートの『父親』じゃないんですか!」
 言い過ぎた、と思った。しかし口は止まってくれなかった。
「そもそも俺が……甘かったんだ! こんな回りくどい……もっと、ストレートに止めればよかったんだ……! バートはどうせ止まらないだろうけど……けどっ…… 俺が……俺がここにいるのは……あなたに斬られるバートを見るためじゃなかったのに……!」
「リィル君」
「?」
「ごめん、リィル君」
「あ、謝るくらいなら……」
「オレは、君が何を言いたいのか、わからない」
「…………」
 ――もっともだ、とリィルは少し我に返った。リィル自身、頭の中がぐちゃぐちゃで、自分で何言ってるのかわかっていなかったのだから。
「君が、ここに来たのは」
 クラリスが一歩歩み寄ってきた。リィルは思わず一歩下がる。
「エニィルに、会うため?」
 クラリスの左手がリィルの右腕に伸びる。
「あなたには関係ないッ!」
 リィルはクラリスの手を振り払い、精霊を召喚しようとした。しかし、クラリスに手首をつかまれて簡単に止められてしまう。ヤバイ、と思って身を引こうとしたが振りほどけない。次の瞬間、クラリスにつかまれた右腕で何かが爆発するような衝撃に襲われた。
「……っ!」
 一瞬、目の前が真っ白になる。立っていられなくなって膝をついた。吐き気がこみ上げてきて草むらにうずくまる。右腕は熱く、ズキズキとうずき……
(な……何をしたんだ……?)
 吐き気をこらえながらリィルは頭の片隅で考える。顔中から血の気が引いていく――。そして、リィルの意識は急激に薄れていった。

 *

 クラリスは気を失ったリィルを背に歩き出した。うつぶせに倒れている息子のもとに屈みこむ。
(早く、医師を)
 バートに応急手当を施すと、その身体を抱え上げ、王宮に向かって歩き出した。
 暫く歩いて、立ち止まって振り返る。草むらに倒れたままのリィルが目に映る。
(――わからない)
 クラリスは首を傾げると、再び王宮に向かって歩き始めた。



inserted by FC2 system