奪 わ れ た 王 女 Ver. C


 キグリス王国、「道の駅」。

 小屋の扉がきしむ音が聞こえた。
 扉が外から開けられて、ひんやりとした外気が流れ込んでくる。
 そして、「何者か」が、小屋の中に足を踏み入れ‥‥
 足音が一歩一歩、近付いてくる。
(こんなこと、前にもあったな)
 バートは、床に倒れて動けないまま、ボンヤリと考えていた。
 空気がよどんで、頭が痛くなり、手足がしびれてきて、目の前が真っ白に‥‥
(あれは、確か、リンツのカレー屋、だったか‥‥?)
 何者かが、バートのすぐ近くで立ち止まった。
 気配でわかる。
 なのに、何も出来ない――指一本動かせない自分が、もどかしい。
「ピアンの将の息子も、大したことないな」
 低い男の声が、頭上から降ってきた。
(なんだと!!)
 カッとなって、思わずバートは跳ね起きていた。
「てっ、てめー、もう一度‥‥!!」
 無理やり声を絞り出し、バートは「そいつ」を睨みつける。
 「そいつ」は、さすがに驚いたようだった。
 動きの止まった「そいつ」と目が合う。
 裾の長い漆黒のローブ。
 目深に被ったフードからこぼれる、長い髪。
 そして、「そいつ」の腕の中には、ぐったりとなっている金髪の少女の姿が、あった。
「サラ!!」
「ちっ」
 男は小さく呟いて、サラを抱いたまま、暗闇の外へと飛び出す。
「ま、待ちやがれッ!! てめーサラをっ‥‥!!」
 バートも床を蹴って、後を追った。

 × × ×

「サラ!!」
 バートの声が耳に届いて、キリアははっと飛び起きた。
 顔を上げると、外へ飛び出していくバートの後姿。
「え?」
 頭がズキンと痛んで、思わず手で押さえた。
 キリアは改めてあたりを見回す。
 酒の臭い。転がっている酒瓶。
 目を閉じて横たわっているリネッタ。
 開け放たれた扉と、外へ続く暗闇。
「これは一体‥‥?!」

 リネッタを起こすのを諦め、キリアはランプを片手に外に飛び出した。
 一声叫んで出て行ったと思われるバートの姿は、もうどこにもない。
 その代わり。
 ランプの灯りが、草むらに横たわる、茶髪の少年の姿を映し出した。
「リィル?!」
 キリアは慌てて、リィルを揺さぶり起こす。
 リィルはすぐに気がついて、飛び起きた。
「あれっ、キリア?!」
「リィル、大丈夫?」
「俺は大丈夫だけど‥‥」
 何か嫌な予感を感じたのか、リィルの言葉が止まる。
「サラが連れ去られたみたい。今バートが追っかけてる」
「‥‥ええっ?!」
 一呼吸置いて、リィルは大声を上げた。
「誰かが‥‥来て?」
「そうみたい。私たち全員眠らされかけて‥‥多分、『眠りの粉』で」
「ああ‥‥確かリンツで‥‥盗賊ウィンズムが使ってたやつ?」
 キリアは頷いた。
「私たち一度吸ってるから、効きが悪かったみたい。でもリネッタはダメ、起きてくれない」
「そっか‥‥で、バートは」
「見失っちゃったんだけど‥‥リィル」
「ん?」
「『誰か』は‥‥サラを抱えたまま走って逃げるつもりだと思う?」

 × × ×

 月明かりの中、バートは男を追って走っていた。
 『眠りの粉』の所為で、頭はぼーっとし身体はだるかったが、それでも懸命に両手両足を動かした。
 遠くを走る男との距離は縮まらない。
(ちくしょう、アイツなんだってサラを)
 右手で剣の柄を握り締め、バートは駆けた。
 鳥の羽ばたく音が聞こえた。
(あ、まさか)
 前を走る男は、待ち構えていた乗用陸鳥ヴェクタに、ひらりと飛び乗った。
 一声鳴いて、男を乗せたヴェクタは一気に速度を上げる。
「きったねーー!! そりゃあねーぜーー!!」
 バートは思わず絶望の声を上げた。
 人間の足が、ヴェクタの全力疾走に敵うわけがない。
 そのとき。
 後ろからの灯りがバートを照らした。
「バート、乗って!!」
「え?」
 振り返ったバートは、ヴェクタに乗って駆けてくる、リィルとキリアの姿を見た。
 キリアがランプを掲げ、リィルが走るヴェクタの上から手を伸ばす。
 バートはその手を掴んで、ヴェクタの中に転がり込んだ。
「助かったぜ!! キリア、あのヴェクタを追ってくれ!!」
「言われなくともっ!! 気合入れて走るわよ、ヴェクタ!!」
 真剣そのものの表情で、キリアが答える。
 バートは大きく息をつき、荒い呼吸を整えた。
「お疲れ、バート。‥‥何だかえらいことになってんな」
 リィルが言った。
「ああ‥‥一体何がどーなってんだ?」
「こっちが聞きたいよ。‥‥とにかく、サラが何者かに連れ去られようとしてんだろ?」
「‥‥絶対に阻止しなくちゃ‥‥」
 前を走るヴェクタを睨みながら、キリアが呟いた。
 そんなキリアに、リィルが声をかける。
「キリア、運転代わろうか」
「え」
「キリアの方が得意だろ? 遠距離攻撃」
「‥‥」
 キリアは黙ったまま、ランプをリィルに押し付けた。
 そして、風の精霊を呼ぶために、意識を集中し始める。
「サラには当てんなよ!」
 横からバートが言う。
「当たり前でしょ!」
 ムッとしたように、キリアは言い返した。
「ヴェクタの足を狙うの‥‥風の刃よ!」

 × × ×

 ヴェクタが苦痛の鳴き声を上げ、がくん、と速度が落ちた。
 男は後ろを振り返り、追いすがって走るヴェクタを見た。
「風の精霊か。ククク、そうこなくてはな‥‥」
 愉快そうに低く笑った後、男は天に向かって片手を掲げる。
 天には、綺麗な丸い月が浮かんでいた。
「風よ」

 × × ×

(‥‥来る!!)
 リィルは得体の知れない強大な力を感じた。
「みんな‥‥」
 言いかけたとき、強大な風の精霊が、刃となって、リィルたち三人とヴェクタを襲った。
 ヴェクタの悲痛な鳴き声。
 バートとキリアの叫び声。
 リィルの身体は地面に投げ出される。
 地面に叩きつけられた衝撃と、全身を切り裂かれたような痛み。
 すぐに起き上がろうとしたが、起き上がれなかった。
 身体のどこにも力が入らない。
 意識が遠のいていく。
(まるでキリアの「風の刃」‥‥いいや)
 薄れゆく意識の片隅で、リィルは思った。
(キリアの何倍も強力な‥‥)
(そんな‥‥そんな恐ろしい力を持ったヤツが、サラを‥‥?!)

 × × ×

「く‥‥そっ‥‥!!」
 バートも風の精霊の攻撃を受け、地面から起き上がれないでいた。
 痛みよりも、悔しさで胸が熱くなる。
 自分の目の前で、まんまと、ピアンの王女を連れ去られたのだ。
「サラ‥‥!!」

 × × ×

 キリアはヴェクタから投げ出されただけで、「風の刃」による攻撃からは上手く逃れていた。
 立ち上がったキリアは、月明かりが照らし出す光景に、思わず息を呑む。
「‥‥!!」
 男二人とヴェクタが、酷い傷を負って、血を流して倒れている。
 そして、キリアたちをあざ笑うかのように、男とサラを乗せ、遠ざかっていくヴェクタ。
 キリアは、それを呆然と見送ることしか、できなかった。


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