サイナスとトニーと。1


 ※ 色々あってサイナス怪我ったっぽい。

「……その先は、オレの口からは言えない」
 ウィンズムはきっぱりと言った。だめだったか、とリネッタは心の中でため息をついた。昨夜も夕食を作りながらそれとなく尋ねてみたのだが、同じことを言われてしまって、何も聞き出せなかったのだ。
 リネッタはコーヒーを淹れて、ミルクも砂糖も入れずにウィンズムに差し出した。ウィンズムは受け取ると、リネッタを見て少し表情を緩めた。
「……サイナスは、お前たちに余計な心配をかけたく無いと思っている」
「それは……わかるけど。ものすごく」
 リネッタが言うと、リスティルも真顔でうなずいた。
「……だから、オレの口からは何も言えない。聞きたければサイナスから直接聞け」
「……まあ、そうなんだけどねえ……」
 リネッタは兄と顔を見合わせると、はあ、と息をついた。
 サイナスが必要以上に弟妹きょうだいに気を使っていることを、リネッタは常々感じていた。父を亡くして以来、長男のサイナスが一家を背負って立たなくてはならなかったのだ。父の死周辺の出来事は、サイナスの、リスティルの、リネッタの、そして三兄妹の母の、消えることのない永遠のトラウマとなっている。
 妹の自分が言うのも変だが、サイナスは、本当に良くやってくれた。立派にリネッタの父役、兄役をこなしてくれた。サイナスがいなかったら、本当に一家は崩壊していたに違いない。
 実際、サイナスは弟妹に対しては本当に、出来過ぎるくらいの良い兄だった。その陰にどれだけサイナスの気遣いや苦悩があったのか。それはリネッタには想像することしかできない。おそらく想像以上のものがあったに違いない。
 いつだったか、アカデミーの友人に長兄のことを自慢したら、え、と怪訝けげんな顔をされたことがあった。
「ちょっと怖い人だと思ってたんだけど。人を寄せ付けないような雰囲気で……。あまり同級生たちとつるんでるところも見たことないし」
「えー。怖くなんかないよ。すごく優しいんだよ。本当に」
「それはね、アレよ」
 友人はにやりと笑った。
「シスコンってやつよ。十歳年下の妹って可愛いもんねー。リネ太愛されてるね」
「違う!」
 リネッタは叫んでいた。シスコンだなんて簡単に言って。サイ兄はそんなんじゃない。サイ兄のこと何もわかってない。そう言ってその友人とは軽く喧嘩してしまった。
 今思えば、その友人の指摘は当然のものだったと思う。その友人がサイ兄のことを何もわかっていないのも当然なのだから。
 サイナスにはちょっとそういうところがある。身内に対してはとても良い顔をするのだが、外に対してはどういう顔で生きているのか、時々心配になってしまう。というか、多分、世界中の全てを敵に回しても「身内」のことだけは守る。サイナスはそういう考えを持っている節がある。妹としてそれを喜んで良いのかどうかはわからない。
 とにかく。サイナスが弟妹きょうだいのために決意してしまったことをくつがえすのは難しい、ということだ。あのときは「後で問い詰めてみよう」なんて軽く考えてしまったけれど、やっぱり無理かなあと思えてきた。

 *

 ダイニングテーブルで従兄妹いとこ三人で朝のコーヒーを飲んでいると、玄関から呼び鈴の鳴る音が聞こえてきた。リネッタは反射的に「はーい」と叫んで立ち上がった。
 玄関まで歩いてドアを開けると、そこには郵便課のトニーが立っていた。
「おはようリネッタちゃん。帰ってたんだ」
「おはようございます、トニーさん」
 リネッタはぺこりとお辞儀をした。
「ここ数日留守してたみたいだけど……。あ、なっちゃんには会えた?」
「はい、おかげさまで」
 リネッタはうなずいた。
「じゃあもしかしてなっちゃん、今いる? ウィンズムさん宛ての手紙返したいし、呼んできてくれないかな?」
「…………」
 リネッタはしまった、と思った。頭の中が真っ白になってしまった。こういうときにどう対応したら良いのか、サイ兄と口裏を合わせておくのを忘れていた。……いや、考えすぎなのかもしれない。普通に「サイ兄は今怪我して寝てます」と言えば良いのかもしれない。いやしかしやっぱり、そう言って良いのか確認しないと……。兄はプライド高いし。担架も嫌がってたし医者も呼ばなかったし……。
「うー。あー。ええと。ごめんなさい、今確認してきます……」
 リネッタはしどろもどろで答えながら、覚束おぼつかない足取りでサイナスの部屋へと向かった。

 *

 リネッタは兄の部屋の扉を開けた。けっこう広い部屋だ。大きな寝心地の良さそうなベッド。大きな窓。大きな本棚。大きな衣装戸棚ワードローブ。五、六人で食事ができそうなテーブルと椅子もある。リネッタはトニーに椅子を勧め、テーブルにコーヒーとミルクと砂糖を置くと、自分も椅子に腰かけた。
「驚いたなあ……大丈夫なのか……?」
 トニーはベッドに横たわるサイナスを眺めて心配そうに声をかけた。
「ああ。全然平気だって」
 笑顔でサイナスは答える。
「医者とかちゃんと行ったんだよな? 後は治るだけなんだよな?」
「もちろん」
「そっか……」
 トニーはコーヒーにミルクを入れるとスプーンでかき混ぜた。
「魔物にやられたんだって?」
「ああ、ちょっと油断してな。あっ、役場のみんなには内緒だぞ」
 サイナスは言った。トニーに対しては『魔物にやられた』で通すことにしたらしい。
「内緒ったって……そうもいかないだろ」
 トニーはコーヒーに口をつけながら言った。
「なっちゃん、明々後日しあさってから出勤だろ。明日明後日で完治する怪我なのか?」
「……しまった。時間感覚狂ったままだったか」
「え?」
「あ、いや……」
 サイナスは首を振った。
「うーん。じゃあ、首都でしばらくのんびりすることにしたから追加休暇ってことにして、」
「ダメだよ。なっちゃんがそんな理由で仕事サボるもんか」
「そこを何とか」
「ダメ」
 トニーは頑として聞き入れなかった。
「とにかく、オレ隠しごとなんてできないし。役場のみんなには本当のこと言っておくから。まあ、今まで働きすぎたツケだと思ってゆっくり休むと良いよ」
「トニー……」
 サイナスが情けない声を出したが、トニーは涼しい顔でコーヒーを飲み干すと「ごちそうさま」と言って立ち上がった。
「あ、もう少しゆっくりしていって下さい」
 リネッタが言うと、トニーは首を振った。
「ありがとう。でももう出勤しないといけないんだ。じゃあなっちゃん、また来るから」
「ああ……」
 サイナスは力なく言った。

 *

 その日はまさに、千客万来の日だった。午前中にさっそくギール町役場の人たちがお見舞いにおとずれた。白いひげを生やした風格のあるおじさま、眼鏡をかけたおねえさん、太った愛想の良いおばちゃん、背の高い青年、新米ほやほやですと言った感じのリネッタとそう歳の変わらない男の人……。色々な人々が三、四人ずつのグループになって代わる代わるサイナスの家にやってきた。サイナスの部屋のテーブルの上には食べきれないほどのお見舞いのフルーツが並んだ。
 午後にはどこから何を聞きつけたんだか近所の人々がやって来た。おじいさん、おばあさん、おばちゃん、老夫婦、主婦と子供……。そして皆お見舞いのフルーツを置いていく。
「サイ兄って意外と慕われてんだね……」
 リネッタはテーブルの上のフルーツを眺めながらその事実にかなり驚いていた。
「普通だろ……」
 サイナスはふうと息をつきながら言った。
「リネも社会に出たらわかるって。役場のやつらが見舞いに来るのは、暇だから……もとい義務みたいなもんだから」
「ううん、わかるよ。慕われてるって。みんなの態度とか、会話とかでね」
 リネッタは葡萄ぶどうを口に運びながら言った。良く冷えていて甘酸っぱくて美味しくて、自然と笑みがこぼれた。
「それに、近所のみんなも来てくれちゃって」
「暇だからだろ。……あと、」
「ん?」
「……俺がだひとり身だから、要らんおせっかい焼いてんだろ」
 そう言って、サイナスは掛け布団を首まで引き上げて目を閉じた。
「…………。そういえばさっき来たおばちゃんに、早く結婚しなさいよとか言われてたね」
「結婚ったって……相手がいなきゃあできないだろ……」
 目を閉じたまま、サイナスが意味深なことを呟いた。
「…………。寝る? サイ兄」
 リネッタは小声で声をかけた。
「ああ。さすがに喋り疲れた」
「あはは。全然休養にならなかったね。……カーテン閉めようか」
「ああ。頼む……」
 リネッタはゆっくりと窓のカーテンを閉めると、テーブルの上に散らばったカップ類をお盆に乗せて部屋を出た。
「おやすみ、サイ兄……」
 小さく呟いて、リネッタは片手でそっと扉を閉めた。



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