A S o n g f o r ...


「――サイ兄、今まで本当にありがとう。
 父さまが死んじゃってからずっと、サイ兄は私の父であり兄でした。
 大きな娘がいっぱい迷惑かけちゃってごめんね。
 これからは、本当の父親になって、サイ兄自身の新しい幸せな家庭を築いて下さい。

 それでは。二人のために心を込めて歌います。
 ……あっ、実は今、すっごいすっごい緊張してるんです。会場の皆さん、手拍子とかで援護して下さると嬉しいです」

 リネッタが真っ赤になってぺこりと頭を下げると、会場からくすくすと笑い声がもれ、小さな拍手が湧き起こった。
(よし。やらなきゃ)
 リネッタは小さく短く息を吐いて気合いを入れ直した。
 隣に立つ従兄いとこと視線を交わし、斜め後ろのピアノに合図を送る。
 ピアノが優しい音を奏で始める。弾いているのは二番目の兄リスティルだ。
 ゆっくりと一音一音丁寧に正確に奏でられる音。リスティルはちゃんとした先生にピアノを習ったことはないはずなのだが、それでもここまで弾ければ十分だった。もちろんプロの演奏には敵わないが、今自分たちに求められている演奏はプロレベルの「上手い」演奏ではないはずだ。
 ウィンズムがフルートを構える。ピアノに重ねて音を奏でる。半年足らずの特訓で、ウィンズムはフルートからちゃんと「音」を出せるようになっていた。指遣いはもちろん完璧だ。音質については……まあ、素人にしては、これだけ吹ければ上出来だろう。
 ……と、兄と従兄の演奏に微妙に辛口の評価を下しながら、リネッタは会場全体を見渡した。丸いテーブルが八つくらいの式場。テーブルの上には豪華な料理。テーブルの席に着いている人々は老若男女、皆着飾っている。リスティルとウィンズムも正装のスーツを着ている。リネッタは水色の肩の出るドレスを着て、ショールを羽織り、気合を入れて髪をセットして、真珠の首飾りと耳飾りと髪飾りをつけている。一番近くのテーブルにはリネッタの親族一同が着席している。会場の奥、一番遠くには、真っ白のタキシードを着たサイナスが座っていて、嬉しそうにこちらを見ている。その隣には、真っ白のウェディングドレス姿の、小柄な可愛らしい女性が座っていて、やはり笑顔でこちらを見ている。
(ああ、ますます緊張してきた。最初の一声がかすれたりしたらどうしよう)
 会場の何人かは、ゆったりとした音楽に合わせてちいさく手拍子を打ってくれている。よし、と覚悟を決めて、リネッタは腹筋に力を入れた。

 気持ちを込めて放った第一声はきれいに会場に響き渡り、良かった、とリネッタは満足した。あとはリハーサル通りに歌うだけだ。詩の言葉を優しいメロディに乗せて、兄に、新しい義姉あねに届くよう心を込めて、歌う。
 実はリネッタは何かしら機会があって歌う度に、必ず「上手いね」と言われてきた。それがプレッシャーになったこともあったが、元々歌うことは好きだった。長兄の結婚式の日取りと会場が決まったときから、お祝いに何か歌おうと決めて密かに曲選びをしていた。数日後、兄から正式に「余興で歌ってくれ」と頼まれ、二つ返事でOKした。せっかくだから次兄と従兄も巻き込むことにした。

 サビの部分。リネッタが一番好きな歌詞とメロディーのところ。リスティルが小さく下パートを歌ってくれる。リネッタのソプラノと兄のアルトのハーモニーが会場全体に響き渡る。たまに半々音くらい外す兄が今日は完璧だった。リハーサルより上手くいった。気持ち良くなっていたリネッタは、そこではっと我に返った。
 最初のうち遠慮がちに打たれていた手拍子の音は消えていた。ささやかれていた雑談も消えていた。会場のみんなの顔から笑顔が消え、全員がじっと真顔で、食い入るようにこちらを見ている。
(え? え?)
 リネッタは焦った。もしかして選曲間違えたのだろうか。こんなゆったりとした曲、手拍子打ちづらいもんね。もっと明るくて楽しくてテンポの良い盛り上がれる曲にしたほうが良かった? おめでたい結婚式の席なんだから。

 ふいに、近くに座っていたリネッタの母がハンカチを取り出して目にあてた。――泣いている?
 伯母さまも義妹いもうとの涙がうつったのか、両の瞳をうるませている。
 リネッタは遠くの正面に座るサイナスに目を移した。
 サイナスもじっとこちらを見ていた。
 その両目から、涙があふれてこぼれ落ちていた。止めどなく、次から次へと。
(えええっ?!)
 リネッタはかなり動揺した。兄がこんなふうに泣くのを初めて見てしまった。見てはいけないものを見てしまったような気がした。気まずくなって目をそらしながら、それでも最後まで歌い切らなきゃと頑張って歌い続けた。
 涙というものは伝染するらしかった。サイナスの隣に座る花嫁も手袋をはめた手で涙をぬぐっていた。会場のあちこちからすすり泣く声まで聞こえてきた。――リネッタも泣きたくなってきた。色々な意味で。それでも最後まで歌い切らなきゃと頑張って歌った。
 二番まで歌い終えてお辞儀をすると、会場から拍手が湧き起こった。拍手はしばらく鳴り止まなかった。恐る恐る顔を上げてサイナスを見ると、彼の涙は止まっていて、満面の笑顔で手を叩いていた。――良かった、とリネッタはほっとした。

 *

「ごめんね……。なんか歌ってる最中、微妙な雰囲気になっちゃったね……」
 式が無事終わった後、親族控え室で兄に謝ったら、何言ってんだお前、と笑われた。
「いや正直、びっくりした。あそこまでやってくれるとは……。お前、そのうちスカウトが来るかもしれないぞ」
「え、どこから」
 驚いて聞き返すと、ははは、と兄は笑った。
「お前のことだから自覚ないんだろうな。まあとにかく、あの歌はちょっとした伝説になるぞ。俺はお前のこと誇りに思う」
「……っ」
 かっと頬が熱くなった。兄からそんなふうに、対等な目線で本気で褒められたのは初めてかもしれなかった。
「……テンション高いね、サイ兄。あんなきれいなお嫁さんもらうんだもんね」
 照れ隠しにそう言ってやると、
「ま、日頃の行いが良いからなっ」
 悪びれることなくサイナスは言ってのけた。
「とにかくおめでとう、サイ兄。私、サイ兄がいて幸せだった。サイ兄とリス兄と、三人兄妹(きょうだい)ですごい幸せだった。だから、子供は最低三人ね」
 リネッタが言うと、サイナスはまあな、と言って、幸せそうな笑みを浮かべた。


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