ざざぁん、ざざぁん……。バートは不思議な気持ちで心地よい波の音を聞いていた。隣には父親、クラリスが立っている。さっきまで戦っていた父親と、海を眺めながら普通に会話している。……不思議な光景だな、と
「で……、父親はめでたく、その『大陸』を手に入れた、ってわけか……」
バートは他人事のように言ってみた。それが何を意味するのかについては、考えたくもなかった。
「望みが叶ったってわけか。全く、めでたいことじゃねーか……」
「望みは、まだ、叶っていない」
と、クラリスは言った。
「え」
「俺の、望みは」
「――ああ。そういや、『大陸』だけじゃなかったんだっけ。大陸を、
「そう」
「なんで……ってか、手に入れてどうする気なんだよ。それで楽しいのか、父親……?」
バートは父親を見上げた。クラリスはバートを見つめ返して、ゆっくりと口を開いた。
「それを、全てを、バートに譲る。それが、俺の、望み」
「……え?」
「大陸を、
「…………」
バートはがん、と頭を殴られたような衝撃を受けた。あまりの衝撃に声も出なかった。一体、何を言っているのだろう、この父親は……
「……正気か、あんた」
「もちろん」
それは、バートにもわかっていた。クラリスは冗談でこんなことを言わない。本気で言っているのだ。本気で、バートに、大陸を、
「……譲られた俺は、どうすれば良いんだ」
「好きにして、良い」
「…………」
バートは
「……なんで、俺に……」
「俺の、息子だから」
「……それ、だけか……?」
「そして、俺は、バートの父親だから」
「…………」
バートは両の拳を握り締めた。……本気で、言っているのだ。この父親は……
バートは大きく息を吸い込んだ。
「……冗談じゃ、ねーぞっ!」
バートは感情を爆発させた。
「……?」
「なんでそんな勝手なこと……! 親だからって勝手に……」
「……勝手?」
「俺は要らねーよっ! 大陸も、
「……要らない?」
クラリスは不思議そうにバートを見つめた。
「何故」
「何故って……別に、そんな大それたもの手に入れたって、嬉しくも何ともねーからだよっ! 逆に迷惑だってんだよっ!」
「……迷惑?」
「困るってことだよ、勝手に決められて!」
「じゃあ、バートは、何が欲しいんだ?」
「……え、」
「バートの望みは、何?」
「ええと……」
クラリスに言われて、バートは改めて考えてみた。
「……父親から貰って嬉しいものなんて、何もねーけど……強いて言うなら……」
「…………」
「ガルディアが攻めてくる前の……いや、四年前、父親が家を出て行っちまう前の、いつも通りの、普通の生活……」
「…………」
クラリスは不思議そうにバートを見つめ続けていた。
そして、その目が、赤く輝き――バートはぞくりと、背筋に寒いものを感じた。
*
暗闇。深い闇。闇色の混沌。
自分の身体が完全に闇に溶け込んでしまって、何も見えなかった。もう意識だけの存在となってしまったのだろうか。目を開けているのか閉じているのかもわからなかった。闇色の混沌。深い闇。暗闇。
「やっぱり、こっちのほうが”ケイオス”っぽいわよね」
暗闇の中、キリアは声に出して言ってみた。その声はちゃんと聞こえた。
「私、もう完全に呑み込まれちゃったのかな……」
キリアは自分の存在を確かめるために、声を出し続けた。
「私、もう帰れないのかな……。でも、私がここに来た意味はあったわよね。最後にちゃんとバート助けられたもん。これでバートがクラリスさん倒して、”ケイオス”が止まれば、最悪の事態は免れるわよね」
キリアの心は晴れ晴れとしていた。後悔はなかった。
「だからこれで良かったのよ、きっと。……後は任せたわよ、バート」
(冗談じゃねーぞ!)
そのとき、誰かの意識が言葉となってキリアに届いた。
「え?」
(全然良くねー! 何で俺がこんな目に……! 俺は俺だ!『混沌』に呑み込まれて終わるなんてごめんだぜ!)
その声には聞き覚えがあった。
「……メヴィアス?」
(くそっ、俺は一体、何のために……!)
「メヴィアスなの?」
(わからないのか?)
キリアの知らない、女性の声。
(そなたがそなたである意味は、どこにある?)
(……カズナ様)
「カズナ……様?」
(そなたは、最初から我らの『一部』にすぎなかったのだ)
(一部だと?!)
(我らの、代々受け継がれてゆく『意思』の)
(王から子へ、そして孫へ)
(そして、我らは、『永遠』を手に入れる)
「……? 誰、なの……?」
キリアは知らない声に呼びかけてみた。
(……そなた、は?)
「聞こえるの? 私の声が」
(そなたは、誰じゃ? 小娘よ)
「……私はキリア」
小娘と言われてちょっとむっとしながらも、キリアは答えた。
「キグリスの大賢者の孫です。そして、バートの……仲間、です」
(ほう、キグリスの……。バートを助けて、こんなところまで来てしまうとはの。クラリスの報告では、ピアン王国とキグリス王国は、あまり仲が良くなかったそうではないか。……くくっ、それにしても、おかしなものよのう。ただの小娘と我が、こうやって会話できるというのも)
「あなたは……誰なんですか? カズナ、様……?」
(我は……一応、『ガルディアの王』と、呼ばれておったな)
と、女性の声は答えた。
「ガルディアの……王?」
キリアは驚いた。
「何故『王』がこんなところに……。”ケイオス”の
(クラリスは、我の息子だ)
「……じゃあ、クラリスさんは、ガルディアの王子……」
キリアはつぶやいた。ということは、その息子であるバートは、ガルディアの王の孫、ということになる……。キリアは軽い衝撃を受けた。
(そうだ。我の全ては、息子であるクラリスに託してある。すなわち、もう、我は不要、ということだ)
「……え、」
(不要となった我は、消えるのみ。我は消えても、悔いはない……)
「……え、」
(……しゃべりすぎたかの。そろそろ、お別れの時間のようじゃ。最後に久しぶりに若い者と普通に喋れて、少々愉快だったのう……)
「王……」
(…………)
それきり、『王』の声は途絶えた。後にはキリアの意識と、果てしなく広がる静かな闇だけが残された。
(……私も……)
と、キリアは思った。
(ああいうふうに、消えちゃうんだ……。意識すらも、跡形も無く。身体はもう失っちゃったし、……死ぬんだ)
――嫌だ、と思った。死ぬのは怖い。死にたくない。心残りが有り過ぎる。サラのこと、リィルのこと、おじいちゃんのこと、リスティルのこと……。バートだって。もし自分がここで死んだら、バートは……きっと、苦しむ。自分の所為で。
(嫌だ。私、こんなところで死にたくない……! 生きて帰らなきゃ。何とか帰る方法を……!)
キリアは意識を集中させた。一羽の『鳥』の形をイメージする。暗闇の中、銀色の光が出現し……それはやがて、光り輝く『鳥』の姿を
(行って! 闇を切り裂いて、飛んで!)
キリアの思いに
やがて、遠くの闇が切り裂かれて、弾けるのが見えた。
(?!)
裂かれた闇の向こう側から、
まぶしかった。それでもキリアは目を逸らさず、黄金色の光を正視し続けた。
(……綺麗……)
「キリア!」
高い少女の声が聞こえてきた。キリアの良く知っている声。
「サラ?!」
キリアは少女の名を叫んだ。キリアの目の前には、黄金色の光をまとったサラの姿があった。左手をキリアのほうに差し出している。右手は……
「リィル!」
キリアは叫んだ。サラの右手は、リィルの左手と繋がれていた。リィルも黄金色の光に包まれている。リィルはキリアと目が合うとにこりと微笑んだ。
「良かった……無事だったんだ、キリア」
「……リィルこそ……やっと目が覚めたのね」
「キリア、手を!」
サラが叫んだ。
キリアはサラに向けて自分の右手を伸ばした。……無くしたはずの、自分の右手を。
伸ばしたキリアの手を、サラはしっかりと握り締めた。キリアの身体を黄金色の光が包み込む。温かく、力強く、優しい光……。
そして、キリアの身体は、輪郭を取り戻した。