c h a o s II ( 3 )


 ざざぁん、ざざぁん……。バートは不思議な気持ちで心地よい波の音を聞いていた。隣には父親、クラリスが立っている。さっきまで戦っていた父親と、海を眺めながら普通に会話している。……不思議な光景だな、と他人事ひとごとのように思った。
「で……、父親はめでたく、その『大陸』を手に入れた、ってわけか……」
 バートは他人事のように言ってみた。それが何を意味するのかについては、考えたくもなかった。
「望みが叶ったってわけか。全く、めでたいことじゃねーか……」
「望みは、まだ、叶っていない」
 と、クラリスは言った。
「え」
「俺の、望みは」
「――ああ。そういや、『大陸』だけじゃなかったんだっけ。大陸を、惑星ほしを、全てを手に入れる――、それがあんたの望みだっけ」
「そう」
「なんで……ってか、手に入れてどうする気なんだよ。それで楽しいのか、父親……?」
 バートは父親を見上げた。クラリスはバートを見つめ返して、ゆっくりと口を開いた。
「それを、全てを、バートに譲る。それが、俺の、望み」
「……え?」
「大陸を、惑星ほしを、全てを手に入れて、それをバートに譲る――。それが、俺の、望み」
「…………」
 バートはがん、と頭を殴られたような衝撃を受けた。あまりの衝撃に声も出なかった。一体、何を言っているのだろう、この父親は……
「……正気か、あんた」
「もちろん」
 それは、バートにもわかっていた。クラリスは冗談でこんなことを言わない。本気で言っているのだ。本気で、バートに、大陸を、惑星ほしを、全てを手に入れて、それを譲る気でいるのだ……。
「……譲られた俺は、どうすれば良いんだ」
「好きにして、良い」
「…………」
 バートは呼吸いきをすることさえ忘れていた。心臓が大きく、早く音を立てている……。
「……なんで、俺に……」
「俺の、息子だから」
「……それ、だけか……?」
「そして、俺は、バートの父親だから」
「…………」
 バートは両の拳を握り締めた。……本気で、言っているのだ。この父親は……
 バートは大きく息を吸い込んだ。
「……冗談じゃ、ねーぞっ!」
 バートは感情を爆発させた。
「……?」
「なんでそんな勝手なこと……! 親だからって勝手に……」
「……勝手?」
「俺は要らねーよっ! 大陸も、惑星ほしも、全てなんて、要らねーよっ!」
「……要らない?」
 クラリスは不思議そうにバートを見つめた。
「何故」
「何故って……別に、そんな大それたもの手に入れたって、嬉しくも何ともねーからだよっ! 逆に迷惑だってんだよっ!」
「……迷惑?」
「困るってことだよ、勝手に決められて!」
「じゃあ、バートは、何が欲しいんだ?」
「……え、」
「バートの望みは、何?」
「ええと……」
 クラリスに言われて、バートは改めて考えてみた。
「……父親から貰って嬉しいものなんて、何もねーけど……強いて言うなら……」
「…………」
「ガルディアが攻めてくる前の……いや、四年前、父親が家を出て行っちまう前の、いつも通りの、普通の生活……」
「…………」
 クラリスは不思議そうにバートを見つめ続けていた。
 そして、その目が、赤く輝き――バートはぞくりと、背筋に寒いものを感じた。

 *

 暗闇。深い闇。闇色の混沌。
 自分の身体が完全に闇に溶け込んでしまって、何も見えなかった。もう意識だけの存在となってしまったのだろうか。目を開けているのか閉じているのかもわからなかった。闇色の混沌。深い闇。暗闇。
「やっぱり、こっちのほうが”ケイオス”っぽいわよね」
 暗闇の中、キリアは声に出して言ってみた。その声はちゃんと聞こえた。
「私、もう完全に呑み込まれちゃったのかな……」
 キリアは自分の存在を確かめるために、声を出し続けた。
「私、もう帰れないのかな……。でも、私がここに来た意味はあったわよね。最後にちゃんとバート助けられたもん。これでバートがクラリスさん倒して、”ケイオス”が止まれば、最悪の事態は免れるわよね」
 キリアの心は晴れ晴れとしていた。後悔はなかった。
「だからこれで良かったのよ、きっと。……後は任せたわよ、バート」
(冗談じゃねーぞ!)
 そのとき、誰かの意識が言葉となってキリアに届いた。
「え?」
(全然良くねー! 何で俺がこんな目に……! 俺は俺だ!『混沌』に呑み込まれて終わるなんてごめんだぜ!)
 その声には聞き覚えがあった。
「……メヴィアス?」
(くそっ、俺は一体、何のために……!)
「メヴィアスなの?」
(わからないのか?)
 キリアの知らない、女性の声。
(そなたがそなたである意味は、どこにある?)
(……カズナ様)
「カズナ……様?」
(そなたは、最初から我らの『一部』にすぎなかったのだ)
(一部だと?!)
(我らの、代々受け継がれてゆく『意思』の)
(王から子へ、そして孫へ)
(そして、我らは、『永遠』を手に入れる)
「……? 誰、なの……?」
 キリアは知らない声に呼びかけてみた。
(……そなた、は?)
「聞こえるの? 私の声が」
(そなたは、誰じゃ? 小娘よ)
「……私はキリア」
 小娘と言われてちょっとむっとしながらも、キリアは答えた。
「キグリスの大賢者の孫です。そして、バートの……仲間、です」
(ほう、キグリスの……。バートを助けて、こんなところまで来てしまうとはの。クラリスの報告では、ピアン王国とキグリス王国は、あまり仲が良くなかったそうではないか。……くくっ、それにしても、おかしなものよのう。ただの小娘と我が、こうやって会話できるというのも)
「あなたは……誰なんですか? カズナ、様……?」
(我は……一応、『ガルディアの王』と、呼ばれておったな)
 と、女性の声は答えた。
「ガルディアの……王?」
 キリアは驚いた。
「何故『王』がこんなところに……。”ケイオス”のコアは、『王』ではないということですよね? ……クラリスさんって、ガルディアの『何』なんですか?」
(クラリスは、我の息子だ)
「……じゃあ、クラリスさんは、ガルディアの王子……」
 キリアはつぶやいた。ということは、その息子であるバートは、ガルディアの王の孫、ということになる……。キリアは軽い衝撃を受けた。
(そうだ。我の全ては、息子であるクラリスに託してある。すなわち、もう、我は不要、ということだ)
「……え、」
(不要となった我は、消えるのみ。我は消えても、悔いはない……)
「……え、」
(……しゃべりすぎたかの。そろそろ、お別れの時間のようじゃ。最後に久しぶりに若い者と普通に喋れて、少々愉快だったのう……)
「王……」
(…………)
 それきり、『王』の声は途絶えた。後にはキリアの意識と、果てしなく広がる静かな闇だけが残された。
(……私も……)
 と、キリアは思った。
(ああいうふうに、消えちゃうんだ……。意識すらも、跡形も無く。身体はもう失っちゃったし、……死ぬんだ)
 ――嫌だ、と思った。死ぬのは怖い。死にたくない。心残りが有り過ぎる。サラのこと、リィルのこと、おじいちゃんのこと、リスティルのこと……。バートだって。もし自分がここで死んだら、バートは……きっと、苦しむ。自分の所為で。
(嫌だ。私、こんなところで死にたくない……! 生きて帰らなきゃ。何とか帰る方法を……!)
 キリアは意識を集中させた。一羽の『鳥』の形をイメージする。暗闇の中、銀色の光が出現し……それはやがて、光り輝く『鳥』の姿を形作かたちづくった。
(行って! 闇を切り裂いて、飛んで!)
 キリアの思いにこたえるかのように、銀色の鳥は暗闇の中、真っ直ぐに飛んだ。真っ直ぐに、どこまでも、どこまでも。キリアは鳥の軌跡をじっと見守っていた。鳥は真っ直ぐに飛び続け――
 やがて、遠くの闇が切り裂かれて、弾けるのが見えた。
(?!)
 裂かれた闇の向こう側から、黄金きん色の光が流れ込んできた。光はあたりの闇を覆いつくした。闇が光に呑みこまれ、あたりに黄金色の光が満ちる……。
 まぶしかった。それでもキリアは目を逸らさず、黄金色の光を正視し続けた。
(……綺麗……)
「キリア!」
 高い少女の声が聞こえてきた。キリアの良く知っている声。
「サラ?!」
 キリアは少女の名を叫んだ。キリアの目の前には、黄金色の光をまとったサラの姿があった。左手をキリアのほうに差し出している。右手は……
「リィル!」
 キリアは叫んだ。サラの右手は、リィルの左手と繋がれていた。リィルも黄金色の光に包まれている。リィルはキリアと目が合うとにこりと微笑んだ。
「良かった……無事だったんだ、キリア」
「……リィルこそ……やっと目が覚めたのね」
「キリア、手を!」
 サラが叫んだ。
 キリアはサラに向けて自分の右手を伸ばした。……無くしたはずの、自分の右手を。
 伸ばしたキリアの手を、サラはしっかりと握り締めた。キリアの身体を黄金色の光が包み込む。温かく、力強く、優しい光……。
 そして、キリアの身体は、輪郭を取り戻した。



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