c h a o s II ( 1 )


 雲ひとつない青い空。真上から照りつける黄金色の太陽。どこまでも広がる荒野の色は、錆び付いたような赤色だった。
「ここ、どこだ……?」
 バートはつぶやいた。
 生暖かい風が吹き抜けた。目の前に立つ男の長い黒髪と赤いマントと軍服の裾を揺らす。男は腰に剣を挿していた。先日までバートが振るっていた、大精霊”ホノオ”の力を宿していた剣。
「やっぱり、来てくれた」
 黒髪の男は言った。まぎれもないバートの父親、クラリスの姿で。
「俺は、”ケイオス”に来たつもりだったんだけどな」
 バートは言った。
「ここは、”ケイオス”」
 クラリスは言う。
「この光景は、俺の記憶。歓迎する、バート」
「もしかして……、『異世界』?」
 キリアはつぶやいた。
「『異世界』?」
 クラリスはキリアを見た。
「こんな赤い色の大地、こんな角度の太陽。ここは、パファック大陸じゃない。あなたの記憶、かつてあなたが住んでいた『異世界』の光景、そういうことですか、クラリスさん?」
「君も、来たのか」
 クラリスはキリアを見て言った。キリアは大きくうなずいた。
「あなたは、」
 キリアはクラリスの姿に問いかけた。
「ケイオスのコア、なのですね?」
「そうだ」
 クラリスは答えた。
「この大陸を呑み込もうとしているケイオスの意思は、あなたの意思、なのですね?」
「そうだ。そして、俺は、全てを手に入れる」
「やっぱり、そう言うのか」
 バートはため息をついた。
「悪いな。俺たちは、それを阻止するために来たんだ」
 バートは腰の剣を抜き放った。リィルの母ルトレインから託された細身の剣。この剣がどこまで『クラリス』に通用するのかは、やってみなければわからないが……
「とにかく、やってみるしかねえってことだ」
「……バートと戦うのは、俺の望みじゃ、ない」
 と、クラリスは言う。
「でも、このまま放っといたら、あんたはリンツを、やがては大陸全土を呑み込むんだろ?」
「そう。それが俺の望み」
「だったら、俺の望みは……!」
 バートは大地を蹴って一気に間合いを詰めた。渾身の力を込めて剣を振り下ろす。クラリスも腰の剣を抜き放ってバートの一撃を受け止めた。金属と金属がぶつかり合う音。右腕に重い衝撃。バートはクラリスから飛び退って剣を構えて息を吐いた。
「なかなか良い一撃だ」
 クラリスは微笑んだ。
「また、腕を上げたな」
「俺は、あんたと戦いたかった」
 バートはクラリスを見据えて言った。
「ツバル洞窟では悔しい思いさせられたからな。今ここでそれを晴らす。あんたに勝つ」
「…………」
 クラリスはじっとバートを見つめ、ぽつりとつぶやいた。
「世界を手に入れるには、それに見合う強さが、必要だ」
「……え?」
「バート」
 クラリスはバートを真っ直ぐに見つめて、口を開いた。
「良いだろう。相手に、なる」

 *

 赤い大地で剣を交える父と子の戦いを、キリアは離れたところで見守っていた。もちろんバートを手助けするために自分はここに来た。しかし、今は手出しできない。風の精霊を使おうにも使える状況ではない。それに、下手に手出ししようものなら絶対にバートは本気で怒る。
「勝ってよね……、バート」
 キリアはつぶやいた。
「私の援護なんて必要としないくらい、余裕で勝ってみせてよね……」
 それにしても、”ケイオス”のコアとの戦いが、このような形で繰り広げられることになるとは。キリアにとって”ケイオス”といったら黒い砂漠、暗闇の空間で、コアといったら暗闇を照らす炎、だったのだ。ここに来るまではそう思い込んでいた。
(クラリスさんの記憶って言ってた……。コアは空間すら自由に操れるというの?)
 ここは既にクラリスのフィールドなのだ。そこに立たされている時点で、自分たちは圧倒的に不利なのかもしれない。
(バートが勝ったとして……ううん、勝ってくれなきゃ困るんだけど……)
(私たち、ちゃんと元の世界に帰れるの……?)

 *

 バートの何度目かの一撃を、クラリスは自らの剣で受け止めた。
「太刀筋は良い。しかし――」
「ああ?」
 バートは荒い息を悟られないようにクラリスを見上げた。
「その剣、ルトの剣、だろ」
「……ああ」
「ルトは、力任せに振り下ろすような戦い方を、しない」
「悪かったなあ!」バートは叫んだ。
「バートは力任せでも、良いんだ」
 クラリスはバートに向かって剣を繰り出した。バートは剣で受け止めようとする。
「!」
 嫌な音と手応え。右腕に握りしめていた剣がふっと軽くなる。続けて飛び散る赤い鮮血。左肩に痛みが走る。クラリスの剣が左肩をえぐっていた。バートの剣は折れ、剣先が地面に落ちて転がった。バートは思わず右手で左肩を抑えて片膝をついた。
「っ……」
 バートは歯を喰いしばって堪える。
「やっぱり」
 クラリスはバートを見下ろして言った。
「ルトの剣では、バートの力に、耐えられない」
「くそ……」
 バートは左肩を抑えて何とか立ち上がった。流れ落ちる血液は止まらない。
「バート、もう良い」
 クラリスは剣を鞘に収めて言った。
「バートの強さは、わかった。俺は、これ以上、バートを苦しめたくない」
「ふざけんな!」
 バートは腹の底から叫んだ。
「まだ勝負はついてない!」
「剣は折れた。それにその怪我、もう戦えないだろう」
「まだだ!」
 バートは腰の短剣を抜いて、右手で握りしめた。氷のような刃が煌めく。
「その短剣で、戦うつもりか」
「ああ」バートはうなずいた。
「短剣で戦ったことは、あるのか?」
「うるせー!」バートは叫んだ。
「バカにすんな! やってみなけりゃ、わかんねーだろーが!」
「待ってバート、無茶よ!」
 背後からキリアの叫び声が聞こえてきた。そしてキリアがこちらに駆けよって来る足音。
「キリア、来るなっ!」
「せめて怪我を治してからにしなさい!」
「――闇よ、」
 クラリスが低く呟いた。
「……え?」
 クラリスのぞっとするような嫌な声に、バートの身体が冷えた。
「もう、戦いは、良いだろう。場所を、変えよう」
「……は?」
「俺たちが、ゆっくり語り合える場所へ」
「!」
 バートの足元から一気に『闇』が吹き出てきた。
「なっ……?!」
 バートの全身は『闇』に包まれ、バートの目の前が真っ暗になった。
「バート!」
 キリアの声。バートは突き飛ばされて赤い大地に投げ出された。直感的に、今突き飛ばしたのがキリアだとわかった。バートは半身を起こして顔を上げた。黒い霧が大気にまぎれて薄まって消えていくところだった。
 そして、キリアの姿が、どこにもなかった。
「キリア?!」
 バートは叫んだ。返事はない。
「まさか、俺をかばって……」
 バートの思考が一瞬停止する。
「……てめえ!」
 バートはクラリスに向かって叫んだ。
「今のあんたか?! キリアを消したのはあんたか?!」
「どっちでも、良い」
 と、クラリスは答える。
「何が!」
「彼女が先だろうと、俺たちが先だろうと。いずれは、同じこと。とにかくこれで、二人でゆっくりと話せる」
「…………」
 バートは奥歯を噛みしめた。短剣を握る右腕が震えてくる。
「バート?」
「……武者震いだよっ!」
 バートは短剣をクラリスに向けて振り下ろした。クラリスは素早く自分の剣を抜いて受け止める。
「その短剣では、無理だ」
「うるせえ! この短剣は……」
(もし俺に何かあったら……)
 真剣なまなざしで短剣を差し出すリィルの姿が浮かぶ。
(この短剣を、俺だと思って。俺はいつでも、一緒にいるから)
 クラリスの繰り出す剣をバートは短剣で受け止めた。ものすごい衝撃に右腕が痺れる。そして――
「……っ?!」
 バートは息が詰まる思いでその光景を呆然と見るしかなかった。
 短剣の刃が粉々に砕け、きらめきながら細かな破片を周囲にふりいた。



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