父 の 望 み 、母 の 願 い ( 6 )


 午後。バートが家に戻ると、母親のユーリアが買いこんできた食料をテーブルの上に並べているところだった。買い出しから帰ってきたところなの、とユーリアは言った。
「あれ? 母親ひとりなのか? フィル兄やルトさんたちは?」
「私が帰ってきたときにはもういなかったわ。そこにルトの書き置きがあるでしょう」
 バートはテーブルの端に置いてあった紙片を手に取った。
「ルトさんたち、リィルのとこ行ってるのか」
 ユーリアはうなずいて、「リィル君の様子はどうなの?」と尋ねてきた。
「まだ眠ったままなんだ、あいつ」
 とバートは答えた。
「あいつ昔っから寝起き悪かったからなあ……」
「そうなの。それは心配ね……」
 ユーリアは表情を曇らせる。
「サラちゃんのほうは?」
「ああ、出歩けるくらいにはなったけど、出歩いてたらまた具合悪くなったみたいで……。今は王居の自分の部屋で休んでる」
 あの後、バートとキリアとサラとリスティルは仮の王居に向かった。ケイオスを止める方法についてピアン王に報告するためだった。しかし、王居に到着したとき、サラは今にも倒れそうなほど具合が悪くなっていた。サラは結局、王との話し合いの席には同席できなかった。
「でも、少しは元気になったのね?」とユーリア。
「まあ、昨日と比べると、だいぶ。ちょっとずつだけど喋ってくれるようになったし。相変わらず肝心なことは喋ってくれないけどな……」
 バートたちと離れている間、サラとリィルの身に何が起こったのか――。気にならないといえば嘘になる。しかし、サラが喋りたくないことを無理やり聞き出す気にはなれなかった。サラとリィルが生きて『ここ』にいる、とりあえずは、それで十分だった。
「まあ、『戦い』が終わってからゆっくり聞き出せば良いしな。それにリィルならすぐ喋ってくれそうだし。起きてさえくれれば」
「……『戦い』?」
 ユーリアは真っ直ぐにバートを見た。息子の次の言葉をうながすように。
 バートは言葉を続けた。
「俺たち、またケイオス、あの黒い砂漠に行くことになったんだ。ケイオスを止めるために」
「ケイオスを止める方法がわかったのね?」
「ああ。それに、早くケイオスを止めないとヤバいんだ。このままだと、数日後にはケイオスはリンツに到達するって」
 バートはリスティルや王と話し合った内容をを母親に語った。ケイオスのコアのこと。それを破壊すればケイオスは止まること。バートとキリアがケイオスの内部で見た炎、それがおそらくコアであること……
「それで、明日、行くのね。キリアちゃんと二人で。大丈夫なの? 二人だけで」
「だってなあ。人数が増えたからって、今んとこ切り札っていったら『これ』だけだもんなあ」
 バートは腰に提げていた短剣を鞘から抜いた。刃が氷のような輝きを放つ。サラがケイオスから戻ったとき握りしめていた短剣だった。リィルが水の精霊を物質化させて生み出した剣。
「本当なら一人で行きたかったんだ」
 とバートはユーリアに言った。
「でもなあ、キリアが真剣だったから断れなくて。これで置いてったら帰ってきたときにキリアに半殺しにされそうだったから、仕方なく。……キリアには色々借りちゃってるしな」
「でも、一人より二人のほうが心強いでしょ」
 ユーリアの言葉を、バートは首を振って否定した。
「キリア一人だって、随分な重荷なんだ」
「生意気」ユーリアはぴしゃりと言い放った。
「いつからアンタはキリアちゃんのことを重荷扱いできるほど偉くなったの」
「違う、そういうんじゃなくて」バートは慌てた。
「なんつったらいーんだろ。つまり、さ。俺、父親と戦うわけだろ。負ける気はしねーけど、一度も勝ったことがない相手なんだ。父親だし、まあ、敵だって割り切ってるけどさ、……そういう場に、キリアに居合わせて欲しくねーんだよ……」
「ふーん……。なるほどね」
 ユーリアはゆっくりとうなずいた。
「そういうことなら、なんとなくわかるわ」
 それからユーリアは息子を励ますように笑いかけた。
「でも、勝つんでしょ。相手がクラリスだとしても」
「ああ。もちろん」
 バートは迷うことなく言い切った。
「勝ってね、お願いだから」
 息子の目を見つめて、ユーリアは言った。
「あの人を止めてやって。息子のあんたの手で、引導を渡してやって」
 バートは力強くうなずいた。心配するなって、と言って笑う。

 *

「どうしても理解できねーことがあるんだ」
 とバートは言った。
「なんで父親は突然、『この大陸を、この惑星ほしを、全てを手に入れる』とか言い出したんだろ。父親がそんな意思を持たなけりゃあ、俺は父親を止めるために戦わなくたって……。本当に『父親の』意思なのか? 父親が”ケイオス”に取り込まれて、頭おかしくなったとしか思えねーんだよな」
「なるほど」
 ユーリアは息子の言葉に感心した。
「それは新説だわ。私もその説に賛成したいところだけど……」
 ユーリアは言葉を切って、次の言葉を言いよどんだ。
「けど?」
「……もし、あの人がそんな大それた、あんたにとっちゃあ馬鹿げた意思を持っているのだとしたら、その理由ってのも、何となくわかるの」
「え?」
 バートは驚いて母親の顔を見つめた。
「あの人はね、……理屈でもなく、感情でもなく、もっと根本的な、本能の部分で『生きて』いるようなところが、あるから」
「根本的な……本能?」バートは首をかしげた。
「それが父親の馬鹿げた『意思』……ってことなのかよ? まさか」
「…………」
 ユーリアは口を開きかけて、口を閉ざした。今は息子には言わないほうが良いと思った。今ここで、それを息子に背負わせるのは、あまりに重すぎるから。
「いつか、あんたにもわかるわよ」
 とだけユーリアは言った。
 それを知ったとき、息子は――。おそらく怒り狂うだろう。理解できない、と言って。
(可哀想ね……。クラリス)
 せっかくだから、息子に伝言でも頼もうかと思った。しかし、息子の口を通してあの人に伝えなくてはならないことなんて何ひとつないことに気付く。
(今更「愛してる」なんて言えるもんですか)
 あの人は敵。ユーリアは自分に言い聞かせる。パファック大陸全ての人間を脅かす敵。あの人の意思はケイオスの意思。
「勝ってね、お願いだから」とユーリアはバートに言った。
「あの人を止めてやって。息子のあんたの手で、引導を渡してやって」、と。
 さっきの「お願い」は、自分のためなの、とユーリアは思った。どうしても声に出して、息子に言っておきたかったのだ。引導を渡されたかったのは、自分のほう……。



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