父 の 望 み 、母 の 願 い ( 3 )


 夜。
 結局この日はリィルは意識を取り戻さず、サラはリィルの眠る病室を出たがらなかった。ユーリアとルトとエルザとフィルはリィルの顔を見て自分たちの仮設住宅に帰っていった。バートとキリアとエンリッジは時々サラに話しかけながら言葉少なに過ごしていた。話しかけられたサラの反応は、全くといって良いほど、なかった。
「それじゃあ、俺は隣の部屋で寝るけど、」
 エンリッジはキリアに声をかけた。
「何かあったら呼べよ。些細なことでも構わない。遠慮なんてするなよ、キリア」
「しないわよ」キリアはエンリッジに言った。
「何かあったら遠慮なく叩き起こすから。……悪いわね」
「こっちこそ、ありがとな、キリア」
「バートはどうするの? いったん帰る?」
 キリアはバートに尋ねた。
「うーん。気分的には帰りたくねーな……」
「じゃあ、バートも俺の部屋に泊まるか? ベッドひとつ空いてるし」
 エンリッジの言葉にバートはうなずいた。
「キリア、何かあったら俺も叩き起こしてくれ」
「わかった」
 エンリッジとバートは部屋を出て行った。扉が閉まり、残されたのは、眠り続けるリィルと、動かないサラと、キリアだけとなった。
「サラ」
 キリアは普通の声でサラに話しかけた。
「そろそろ私たちも寝よ。疲れてるんでしょ?」
「…………」
 サラはうつむいたまま答えない。キリアはため息をついた。
「ほら、心配しなくたってリィルは大丈夫だから。眠ってるだけだから」
「…………」
「もう……。あんまりリィルの心配ばっかしてると、バートがやきもち焼くわよ」
「…………」
「私、思うんだけど……」
 キリアはリィルの寝顔を見つめてつぶやいた。
「リィルって、サラのこと好きだったんじゃないかな……」
 いつの頃からだったか、心の奥底にずっと引っかかり続けていた仮説。でも勘の良いリィルのことだから、サラの気持ちには当然気付いていて。それで、ずっとサラへの想いを封じていたのではないか……
「……『好き』……?」
 サラがゆっくりと顔を上げてキリアを見た。それからゆっくりと首を振る。
「それは、違うわ……」
 サラは静かにきっぱりと言い切った。
「リィルは、フェミニストなのよ……」
「フェミ……?」
「あたしだけじゃないわ。キリアに対してだってそうでしょう」
「そう……かな」キリアは首をかしげた。
「……うん、そうかもしれない。そういえば何度も歯がゆい思いさせられたっけ……」
 サラはわずかに微笑みを浮かべた。
「で……。バートは逆なのよね。女性でも対等に扱ってくれる。……あたしはそっちのほうが、嬉しいわ」
「……そっか」
 キリアも微笑んだ。ようやく、サラが喋ってくれたのだ。今の状況を一時忘れられるくらい嬉しかった。
「もう、大丈夫よね。あらためてお帰りなさい……サラ」
「ありがとう……キリア」
 それ以上は、まだ聞けない。キリアはぐっと堪えた。あれから……ツバル洞窟で別れてから、サラとリィルの身に何が起こったのか。何故リィルは目覚めないのか。今すぐにでも聞き出したいけれど、まだ、聞けない。
「灯り、消そうか。そろそろ寝ましょう」
 キリアが言うと、そうね、とサラはうなずいた。

 *

 キリアがふと目を覚ますと、窓の外は薄明るかった。夜と朝の境目くらいの時刻。眠くはなかったので、キリアはゆっくりと身体を起こした。隣のベッドのサラと、その向こうのベッドのリィルを見やる。二人とも静かに眠り続けていた。
 とりあえず良かった、とキリアは思った。二人はちゃんとリンツに帰ってきてくれたのだ。目覚めないリィルと、サラの精神状態については、まだ少し不安は残っているけれど。
 とりあえずサラにはゆっくりと休んでいてもらおうと思い、キリアは立ち上がってリィルが眠るベッドのそばまで歩いた。
「リィル、おはよ。朝よ」
 キリアはそっと声をかけた。リィルは静かに眠り続けている。もともとリィルは朝に弱く寝起きが悪い。放っておくといつまでたっても眠っている。
「もう十分寝たでしょ。そろそろ起きてよ」
 キリアはリィルの肩に触れて揺さぶってみた。最初はそっと、だんだん力を込めて。あまりに反応がなくて、リィルがちゃんと生きているのか不安に駆られる。キリアは手のひらをリィルの口元にかざしてみる。
 背後で扉の開く音が聞こえて、キリアは驚いて振り返った。バートが何のためらいもなく部屋の中に入ってくるところだった。
「おはようバート。早いわね」
 キリアは平静を装って口を開いた。
「……っていうかノックくらいしてから入ってきてよ」
「ああ、悪い」
 悪びれた様子もなくバートは言った。
「二人の様子はどうだ?」
「リィルは相変わらず」
 バートの問いに、キリアは答えた。
「やっぱり揺さぶっても目覚まさないの。ちゃんと息はしてるんだけどね……」
「サラは?」
「サラは、たぶん、もう大丈夫」
 と言って、キリアは微笑んでみせた。
「昨日寝る前にね、少しだけだけど、ちゃんと話、できたから」
「そうか」
 バートはほっと息をついた。
「で、話って? 『あのあと』何が起こったのか、とか聞けたのか?」
「…………」
 キリアは言葉に詰まった。頬がわずかに熱を帯びてくる。昨夜はサラに喋らせるためとはいえとんでもない話題をふってしまった……
「あ、ええとね、ただの当たり障りのない会話。『あのあと』何が起こったのかについては、時間をかけてゆっくり話してもらおうと思うの。思い出すの、つらいと思うし」
「……ありがとな、キリア」
「え」
 キリアはバートを見た。
「いや、サラがお前と喋って少しは回復したんだろ」
「あ、うん、多分」
「俺のほうが付き合い長いのにな……」
 独り言のようにバートは言った。
「できれば俺が、サラの支えになって、色々話も聞いてやりたかったんだけど……」
「……今のセリフ、ちゃんと、サラが起きてるときにも言ってあげなさいよ。私だけが聞くなんて勿体ないっ」
「何でお前が赤くなるんだよ」
「うるさいっ」
 キリアはバートを小突いた。

 *

 しばらくして「悪ぃ、寝過ごした!」とか叫びながら部屋の中にエンリッジが駆け込んできた。部屋の外はまだ完全に明るさを取り戻してはおらず、窓から流れ込む早朝の空気はまだ少し夜の空気を含んでいる。キリアはエンリッジに苦笑した。
「全っ然寝過ごしてないからアンタ。私とバートが異様に早起きなだけ。ほら、こっちの二人はこの通りまだ寝てるし」
 キリアはリィルとサラについてバートに語ったことをエンリッジにも説明した。エンリッジは「そうか」とうなずいた。
「アンタってつくづく……」
 エンリッジを見上げてキリアは呟いた。
「ん?」
「変わったわよね。すっかり『医師』になっちゃって。ガキで我侭でいじめっ子だった昔のアンタからは想像もできない」
「いじめっ子?」
「私、昔しょっちゅういじめられて泣かされてたんだからね、アンタに」
 キリアはエンリッジに言い放った。
「今でもよーく覚えてるし、多分一生忘れないから」
「へえー」
 バートがエンリッジを見て意外そうに言った。エンリッジは困ったような顔つきになる。
「そうだったっけ……。だとしたら悪いことしたなぁ、キリア」
「今更そんなふうに謝られても……。反応に困るんだけど。うん、でも、もう良いの、昔のことは忘れるから。今のアンタは十分信頼できるしね」
「信頼、かぁ。正面きってそう言われると照れるな」
「別にアンタに照れさせるために言ったんじゃないわよ」
「ははっ」
 しばらくしてサラが目を覚ました。まだ疲労の影は残っているが、昨日とは違ってその瞳にはちゃんと光が戻っている。キリアはサラの様子にほっとした。サラはベッドから抜け出すと、バートとエンリッジに頭を下げた。
「バート。エンリッジさん。心配かけてごめんなさい」
「サラ……」
「いや。そうか。良かったよ」
 エンリッジは微笑んだ。それからエンリッジはサラに身体の調子について色々と質問を始めた。
「もしかして、腹減ってるだろ?」
 エンリッジはサラに言う。
「はい」
「歩けるんだったらさ、バートとキリアと三人で外出て何か食ってきな。それから、ピアン王に顔見せに行ってやると良い」
「はい」
 サラはうなずいた。
 キリアとバートとサラの三人はリィルのことをエンリッジに任せると、病室を後にした。



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