父 の 望 み 、母 の 願 い ( 2 )


 次の日、十名ほどの小隊が”ケイオス”の調査に向かうためにリンツを発った。バートとキリアはリンツで身体を休めることにした。バートは右腕と左足の違和感が気になり、知り合いの医師エンリッジを訪ねることにした。
「うーん……」
 バートの右腕を注意深く診察して、エンリッジは首をかしげた。
「外傷も内傷も無いようだが。……暗闇の腕に掴まれた?」
 エンリッジの問いに、バートはうなずいた。
「そんで、闇が内部に入り込んでくるような感触があって」
「”闇”か……。嫌な感触なんだろうな、それ」
 エンリッジは眉をひそめた。
 エンリッジに治癒してもらい、『違和感』はだいぶ治まった。しかし、完全に消えてはくれなかった。バートの身体の中には、未だ”闇”が眠っている。
 その次の日、”ケイオス”の調査にあたっていた小隊の隊員のうち二人がリンツに帰還した。彼らは四人乗りの乗用陸鳥ヴェクタに乗って四人で帰還した。――サラと、リィルを連れて。
 サラとリィルが帰ってきた――。その報せを、バートとキリアはリンツの仮設住宅で聞いた。時刻は昼をだいぶ回った頃で、ユーリアとルトとフィルとエルザも一緒にその報せを聞いた。六人は急いで二人が運び込まれたというエンリッジの医院に向かった。どうやら二人とも無傷の状態で帰ってきたわけではないようだった。
「二人とも、命に別状はないんですよね?」
 医院までの道を急ぎながら、キリアはピアンの兵士に確認した。
「ええ、そう聞いていますが……。二人ともまともに喋れない状態だそうで」
「相当、悪いってこと? 重傷なの?」
 ユーリアが心配そうに尋ねる。
「いや、怪我自体はたいしたことないらしいんです、二人とも」
「え?」
「……すみません、詳しいことは私もあまり……。とにかく、会えない状態ではないですから、会ってみて下さい」
 キリアは嫌な予感がした。リィルとサラが帰ってきてくれたこと自体はものすごく嬉しい。心の奥底で、最悪、もう一生会えないかもしれないと覚悟していたのだから。しかし、兵士の話を聞く限り、今の時点で素直に喜んではいけないような気がする。少なくとも実際に二人の様子をこの目で見るまでは。
 キリアはバートやルトの顔をちらりとうかがい見た。二人とも厳しい表情を崩していなかった。

 *

 リィルとサラが運び込まれたという病室の前。兵士のノックに応じて中からエンリッジが姿を現した。普段着の上に白衣を羽織って、首から聴診器を提げている。
「サラとリィルの様子はどうなの?」
 キリアはエンリッジを見上げてずばりと本題を切り出した。
「ああ、眠ってるよ、リィルは」
 エンリッジは穏やかに微笑んでみせた。
「怪我もちょっとしてたけど、たいしたことなかったし、もう治したし」
「……そう。それで、サラは?」
「サラ王女か……」
 エンリッジはわずかに表情を曇らせた。
「王女はほとんど無傷だったし、今も意識はある……っていうか起きてるんだけど、」
 エンリッジはいったん言葉を止めて、言いにくそうに続けた。
「……ちょっと錯乱というか、混乱しちゃってるんだ。二人とも中にいるんだけど、あまり一度に大人数で入らないほうが良いと思う」
「じゃあ私は、落ち着くまでここで待たせてもらうわ」
 ユーリアはすぐに言った。
「あたしもそうする」とルトが続ける。
「まずはバート君とキリアちゃん、二人で入ると良い。構わないだろ? エルザ、フィル」
「そうね」エルザも言った。
「どうやらリィルのほうは大したことなさそうだし。むしろ深刻なのは王女の精神状態……そういうこと、でしょ?」
「ん……まあ。どっちかというと、な」
 エルザに見つめられ、エンリッジは微妙な表情でうなずいた。
「そういうことなら、俺も遠慮しておくよ。どうせリィルは眠ってるんだろ」
 フィルはバートの背中を押した。
「フィル兄……」
「頼んだよ、バート君。キリアちゃんも」
「わかりました」
 キリアはエンリッジが言った言葉の意味をあまり深く考えないようにしながらエンリッジに続いて病室の中に入った。バートも続く。
 明るい白い壁。薬品の匂い。窓からわずかに流れ込む外の新鮮な空気。棚に並べられた医療用具、硬い背表紙の本、薬品の瓶と木箱。部屋の右側に置かれた大きな机。いくつかの椅子。部屋の左側には三つのベッド。ベッドの傍らの椅子に座り込み、うつむいている、やつれた様子の金髪の少女――。間違いなく、サラだ。
「サラ」
 キリアは少女に呼びかけた。キリアの声に応じて、金髪の少女がゆっくりと顔を上げた。虚ろな青い瞳がキリアをとらえる。
「サラ」
 バートもサラの名前を呼んだ。バートはキリアの隣を追い越してサラに歩み寄った。
 サラはがたり、と椅子を鳴らして立ち上がった。真っ直ぐにバートのもとに駆け寄り、その胸の中に飛び込む。バートの胸に顔をうずめて、バートにしがみついて小さな肩を震わせる。
「サラ……」
 バートはサラの背中に手を回して、サラをそっと抱いた。
 そのまま、時間がゆっくりと流れていく。
「無事だったんだな」
「……!」
 バートの呟きに、サラはびくりと小さな肩を震わせた。首を左右に振り、バートの肩に手を置いて顔を上げてバートを見つめる。
「サラ……?」
「……う、の……」
 サラは小さく言葉を発した。サラの両の瞳から、涙がこぼれ落ちる。
「……な、さ……」
 サラはバートの胸に顔をうずめて、声を立てずに泣き始めた。
「サラ……」
 バートはサラの肩に手を回して、サラの涙を受け止めてやることしかできない。
「……ずっと、この調子なんだ」
 エンリッジがキリアに言った。
「朝、ここに来たときから、ほとんど喋ってくれなくて……。王宮関係者に対してもな。……リィルは目覚めてくれないし」
 エンリッジはリィルが眠るベッドのもとへ歩いた。キリアも続く。
 リィルはベッドで昏々と眠り続けていた。寝顔は穏やかで苦しそうな様子はなく、ただ眠っているだけのように見えた。しかしエンリッジが言うには、どんなに刺激を与えても意識が戻らないらしい。呼吸も心拍も安定しているし、体温も少し低いだけで、いつ目覚めてもおかしくない状態だというのに……
「これは俺のカンなんだけどさ」
 とエンリッジはキリアに言った。
「王女は、リィルが目覚めてくれないことに対して自分を責めているみたいなんだ……。”ケイオス”のことはちらっと聞いたけどさ、バートとキリアも大変な経験したんだろ。この二人だって、きっと……」

 *

 サラは再びリィルが眠るベッドの傍らの椅子に腰かけて、うつむいたまま動かなくなってしまった。バートとキリアがどんなに呼びかけても反応しない。虚ろな青い瞳は、何も映していない。
 キリアとバートはエンリッジに勧められてテーブルのそばの椅子に腰を下ろした。ふと、テーブルの上に置かれている短剣に目が留まった。白い布――おそらくサラのハンカチが広げられていて、その上に置かれている短剣。鞘はなく、刀身が剥き出しになっている。その刃は薄青い光を放っていた。
「フィル兄の剣? ……”ケイオス”で無くしたはずなのに」
 バートは思わずそう声に出していた。
「嘘、でもこんなに小さくなかったでしょ」とキリア。
「ああ、まあ、そうなんだけど」
「この短剣は、」とエンリッジが口を開いた。
「黒い砂漠で王女たちが発見されたときに、王女が握りしめていた短剣、だって聞いてる」
「……え、」
 サラとリィルを発見した兵士たちの話によると、とエンリッジは語り始めた。
「昨日の夕方、って言ってたっけな。兵士たちはみんなで西の空、真っ赤に沈みゆく太陽を眺めてたんだって。で、夕日がほとんど沈んだ頃、ひとりが黒い砂漠の真ん中に、黄金色に輝く『何か』を見たんだ。それは確かに黄金色のオーラを放っていて、ゆっくり、ゆっくりと、兵士たちのほうに近づいて来たんだって。兵士たちは警戒しながらそれを見守っていたんだが……それが、王女だったっていうんだ」
「えっ……?!」
 バートとキリアは同時に声を上げていた。
「王女は、黄金色の光に包まれながら、黒い砂漠を『歩いて』兵士たちのところまで来たんだと。左腕に、気を失ったリィルを抱えて。右手で、この短剣を握りしめて」
「歩いて……?」キリアは驚く。
「それに、黄金色の光って……」
「王女は、」とエンリッジは続けた。
「兵士たちのところまで歩いて来ると、突然、体中の力が抜けたようにその場に突っ伏したらしい。兵士たちは慌てて王女とリィルを抱き起こした。二人とも気を失ってはいたけれど、幸い大きな怪我は負っていなかった。それで兵士のうちの二人が、王女とリィルを乗用陸鳥ヴェクタに乗せて、夜通し走らせてリンツに帰ってきたんだと」
「ってことは、発見されたときからリィルは意識を失ったままなのね」
 キリアはエンリッジを見た。
「サラは、リンツに帰ってきたときには目覚めてたの?」
「ああ。でもずっとあの調子で、何を聞いても答えない。ピアン王に対してもな。ただ、ずっとリィルのことを気にしているみたいで、そばを離れたがらないから、二人まとめてここで預かってるってわけなんだ」
「じゃあ、リィルが起きたら……」
 と言ってバートは立ち上がりかけた。それをエンリッジは待て、と制する。
「俺だって何度も起こそうと試みた。叩き起こすくらいの勢いでな。でも、だめだった。起きてくれない。原因はわからないが、多分、バートが起こしたって起きてくれないと思う」
 ふう、とため息をついて、バートは椅子に腰を下ろした。
「まあ、リィルのことは俺が見とくからさ」
 エンリッジはバートとキリアを見て言った。
「王女のことは、キリアたちに任せて良いかな。俺じゃあ多分、彼女の心の傷は癒せないから」



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