c h a o s I ( 2 )


「どういうことだよ、父親……」
 バートは呆れたように口を開いた。
「ってーか、お前本当に”父親”なのか? さっきっからわけわっかんねーことばっか口走りやがって……。全てを手に入れる? この惑星ほしを? そんなことして何が楽しいんだよ。俺には全く理解不能だ! 頭痛くなってきたし、さっさと帰らせてもらうぜっ!」
「バート」
 炎がバートの名を呼ぶ。
「ああ?」
「俺は、クラリス。バートの、父親。信じて欲しい」
「まあ、確かに声は父親の声だけどさ、」とバート。
「俺の父親は翼は生えてたけど見た目はちゃんと『人間』だったもんな。『人間』の母親と結婚できたし、それで『人間』の俺が生まれたんだからな。暗闇の中いきなり現れた炎が父親だって名乗ったって、信じろってほうが無茶だろ?」
「でも、事実だから」
「帰らせてもらう」
 バートは剣を両手で握りしめて構えた。
「落ち着いてバート」
 キリアはバートを止めた。
「コイツの言ってること突拍子もないけど、一応辻褄合ってるし、だからせめて、リィルとサラのことを聞いて……」
 バートはキリアを振り切って駆け出した。暗闇の中、床のない空間を蹴って、一直線に炎のもとへ。そして剣を振りかぶる。
 炎は輝きを増してバートを包み込んだ。バートの全身を熱の痛みが襲う。バートは歯を喰いしばった。振りかぶった剣が振り下ろせない。
「バート!」キリアが悲鳴を上げる。
「くっ、そ……」
 バートは渾身の力を込めて剣を振り下ろした。炎の輝きがスパークして消滅した。
 そして、バートの剣は暗闇の空間をも切り裂いていた。裂けた隙間から空の青色が見えた。
「え……?」
 バートは呆然と布のように裂けた暗闇と、その隙間から見える青色、そして自分の両手で握りしめた剣を見た。
「……その、剣は」
 クラリスの驚いたような声。バートの近くに、再びオレンジ色のゆらめく炎が出現した。切り裂かれた空間がゆっくりと元に戻っていき、空色が完全に消滅する。
「え? フィル兄の剣だけど……」
「……エニィル、か」
「?! 今なんつった父親?!」
 炎は答えず、輝きを増してバートを包み込もうと襲いかかってきた。バートは剣を繰り出す。
「クラリスさん!」
 戦いを始めてしまった二人にキリアが叫んだ。
「最後に、答えて下さい! サラとリィルは、今、どこにいるんですか!」
「キリア、無駄だ!」バートは叫んだ。
「コイツにそんなこと聞いたって……、コイツが何て答えたって、俺は信じねーからなっ!」
「バート」
 クラリスが息子に呼びかけた。
「お前も”ケイオス”の一部に、なるんだ」
 暗闇の空間から黒い腕が伸びてきた。それはバートの右腕に絡みつく。バートは動きを封じられる。別の方向から伸びてきた暗闇の腕がバートの左足に絡みつき、暗闇の空間の中に引きずり込もうとしてくる。
「バート!」
 キリアは叫んで、バートに駆け寄ろうとした。
「バカ、お前またっ……!」
 暗闇は今度はキリアに手を伸ばす。バートは無理やり右腕に絡みついた闇を振り切って剣を振り下ろす。
 剣は闇を切り裂き、闇は布のように裂けた。切り裂いた闇の向こうには、確かにパファックの大地がある。空の空気が見える。
「脱出するぞ、キリア!」バートは叫んだ。
「風の精霊で援護しろっ!」
「わかった!」
 二人に襲いかかる暗闇と、輝きを増す炎。バートは夢中で闇を切り裂き続ける。キリアは炎に向けて風の精霊を放つ……

 *

 バートは青い空を見上げていた。背中にはまぎれもないパファックの大地の感触。全身がひどく疲労していて、身動きすらできなかった。バートは全身を地面に預け、空を見上げたまま呼吸を繰り返していた。
 長い長い時間が経過していった。時々乾いた風が吹き、空気の流れと細かな砂が身体に当たるのを感じた。バートの視界を薄い雲が青空を透かしながらゆっくりと通り過ぎていった。
 バートは無理やり重い身体を動かして上半身を起こした。右腕に力をこめ、右腕がちゃんと動くことを確認する。左足に触れ、左足の感覚が戻っていることを確認する。
 バートは右腕と左足が暗闇の腕に掴まれたときのことを思い出していた。掴まれた腕を、足を通して、「暗闇」が自分の身体に進入してこようとしていた。思い出すだけでも気分が悪くなる感覚。そういえば、何故、暗闇の空間の中で「暗闇の腕」が伸びてきたことがわかったのだろう。
 バートは大きく息をつき、あたりを見回した。依然として目の前には黒い砂漠が広がり続けている。黒い砂漠と大地の境目は、十歩ほど進んだところ、すぐ近くにある。
 少し離れたところに、キリアがぐったりとうつぶせになって横たわっていた。バートはまだ上手く動かない足で何とか立ち上がり、キリアのもとへ急いだ。近くに乗用陸鳥ヴェクタの姿が見えないことに気が付いた。フィル兄の剣もいつの間にか無くなっている。
「キリア、おい、大丈夫かっ」
 バートはキリアの背中に呼びかけた。
「バート……?」
 キリアはゆっくりと首を動かしてバートを見上げた。バートの姿を見とめて、地面に手をついて身体を起こそうとする。バートは手を貸して起こしてやった。
「戻って、来れたんだ……」
 キリアはぽつりとつぶやいた。
「もうダメかと思った……」
 キリアは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「黒い砂漠に呑み込まれて、気が付いたら暗闇の空間で……。喋る炎は出てくるし、よく、あそこからこっち世界に生還できたわよね、私たち」
「そうだな。夢中だったからな、どうやって帰ってこれたんだか、よく覚えてねーや……」
「正直言うとね、半分以上、諦めてたんだ」
 キリアはバートから視線を外して青い空を見上げた。
「でも、いーやって思った。バートと一緒なら。サラとリィルと同じ世界に来れたのなら。ひとりでこっちの世界に取り残されるより、バートとリィルとサラと一緒にわけわからない体験したほうが、ずっと良い……」
「キリア……」
 バートはキリアが涙を流していることに気がついた。ツバル洞窟でサラとリィルと四大精霊が奪われてから一度も涙を見せなかったキリアが、泣いている。
「ごめん……。バートだってつらいのにね」
「別にいーんだぜ、泣いたって」
「……うん」
 キリアはしばらく声を殺して泣き続けていた。

 *

 それから、バートとキリアはリンツへ戻った。フィルとルトが乗用陸鳥ヴェクタに乗って迎えに来たのだった。バートとキリアは黒い砂漠に呑み込まれたこと、暗闇の空間でクラリスと名乗る炎を見たことを話した。ルトはリンツから連れてきていた伝書鳥をリンツに向けて放った。
「書き置きを見たよ」とフィルは言った。
「ピアン王には?」バートは尋ねる。
「ユーリアさんとエルザが知らせてる。まだ軍は動かしてないと思う。今、伝書鳥でも知らせたけれど」
「動かさなくて、正解だな」とルトは言った。
「あれはもはや軍で解決できる問題ではないだろう」
「ごめんなさい」
 キリアはルトに頭を下げた。
「私たちの勝手な行動で手をわずらわせてしまって。それに、結局、自分たちが脱出するだけで精一杯で、リィルとサラは見つけることができなかった……」
「いや……」
 ルトはキリアに優しい目を向けた。
「結果的には、キリアちゃんたちの行動は正しかったんだ。軍を動かす前に、あの黒い砂漠のことと、消滅したガルディアのことがわかったんだから」
「そうだよ。良く、無事で、脱出してきてくれたよ……」
 と、フィルも言った。
「フィル兄、もうひとつ謝らなくちゃならないことがあるんだ」
 とバートは言った。
「オヤジとリィルのこと以外だろうな」
「フィル兄の剣のこと。俺の剣は父親に奪われたから、勝手にフィル兄の剣を持ち出してきちまったんだ」
「ああ、良いよ、そのことなら」
「で、その剣。……無くしちゃったんだ」
「……そうなのか。まあ、良いよ。バート君が無事だったんなら。お袋だって剣持ちだし、剣くらい何とかなるさ」
「それで、何となく思ったんだけど、」とバートは言った。
「俺とキリアが黒い砂漠から脱出できたの、フィル兄の剣のおかげだと思うんだ。フィル兄の剣で『闇』が切り裂けたわけだし。そのこと、父親が驚いてたし」
「クラリスさんが?」フィルは意外そうに言う。
「そう、確かそのとき、クラリスさんが言ってた、エニィルさんがどうのって……」
 キリアも思い出して言った。
「その剣、もしかして、エニィルが『作った』剣だな?」
 と、ルトが言った。
「作った?」
 バートは聞き返す。ルトはうなずいた。
「エニィルは『精霊』を物質化することができるからな」
「そうだ、確かガルディアから脱出するとき、オヤジが作ってくれた剣だ」
「エニィルさんて、何者なんだ?」
 バートはひとりごとのように聞いてみた。
「精霊を物質化できたり、色々なことを知ってたり、……突然、いなくなっちまったり」
「人間は人間だ、もちろん」
 とルトは言った。
「もっとも、エニィルはパファック大陸の人間ではないが。……それを言うなら、『異世界人』であるガルディアも『人間』だ」
「翼を持つ、異形の者でも?」とバート。
「ああ」ルトはうなずく。
「ただ、『炎』の力を、強く持ちすぎているだけで」



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