c h a o s I ( 1 )


 見渡す限りの、一面の黒い砂だった。黒い砂丘に乾いた風が吹く。細かな黒い粒子が風に舞い上がる。
 バートとキリアは乗用陸鳥ヴェクタから降りて、かつてのピアン首都、敵の本拠地だった地に立っていた。かつて、ここには街があり、王宮があり、ピアン国民とピアン王家の者たちが生活していた。その後、ピアン首都はガルディアに占領されてしまった。バートとリィルは二人でここに来て、クラリスに戦いを挑み、敗れ、敵に囚われの身となった。それからバートの母親やリィルの家族と再会し、共にここを脱出してリンツに向かった。バートの父親に別れを告げて。
 今、バートとキリアの目の前に広がっているのは、一面の黒い砂漠だった。街を囲んでいた城壁も街並みも王宮も何もかもが無くなっていた。遠くまで見渡せる黒い砂漠が広がっているだけだった。その向こうには、くすんだ色の青い空。
「どういうことなの、これ……」
 長い長い沈黙の後、ようやく絞り出すようにキリアが声を発した。
「街は……、ガルディア軍は……。それにサラとリィルは!」
「黒い、砂漠……」
 バートは呟いた。自分たちは今、黒い砂漠と大地の境目に立っていた。バートが二、三歩歩いて進めば、黒い砂漠に足を踏み入れ、黒い砂を踏みしめることになる。
「どうしようバート……」
 キリアが黒い砂漠を見つめて、口を開いた。
「こんなの、全然予想してなかった。全く私の想像の範囲を超えた事態になっちゃってる。どうしたら良いんだろう、私たち……」
「……進むか、退くか、留まるか、しかねーよな」
 と、バートは言った。
「そうね」キリアは同意した。
「例えば引き返して、ピアン王や何か知ってるかもしれないおじいちゃんに報告する、ってのが一つの選択肢よね」
「まあ、ここで何かが起こるのをじっと待ってる、ってのは性に合わねーからな」
「バートならそうよね」
「だから、俺は進んでみようと思う」
「…………」
 キリアはバートをじっと見つめた。
「この、得体の知れない黒い砂漠に足を踏み入れてみる、ってことね?」
 キリアの言葉に、バートはうなずいた。
「二手に分かれたっていーんだぜ」
 とバートは言う。
「俺は歩いて進んでみるから、キリアはヴェクタでリンツに戻って……」
「冗談じゃないわよ」
 キリアはバートの言葉を途中でさえぎった。
「二人でヴェクタに乗って進みましょう」
「その前に」
 と言って、バートは黒い砂に向かって歩を進めた。
「この黒い砂漠が、ちゃんと歩けるものなのか確認しとかねーと」
「気をつけてよ」
 キリアの声を聞きながら、バートは右足で黒い砂を踏んだ。
 突然、踏みしめた黒い砂が大量に舞い上がった。黒い砂は意思を持った生き物のようにバートの身体に絡みついてくる。黒い砂はすごい力でバートを砂の中に引きずりこもうとしてくる。
「バート!」
 キリアの叫び声。
 キリアがバートの左腕にすがり付いてくる。黒い砂はキリアも巻き込んで二人を呑み込もうとする。
「バカ、離れろっ」
 バートはキリアを突き飛ばそうとしたが、そのときにはもう、二人はなす術もなく黒い砂漠に呑み込まれていた。残されたヴェクタが悲しげな声で鳴いた。

 *

 バートとキリアは暗黒の空間に立っていた。立っているといっても、そこには床はない。壁もなく、天井もない。上も下も右も左も前も後ろもわからない。暗黒の空間なのに、お互いの姿ははっきりと見える。バートとキリアはお互い手を伸ばせば届く位置で向かい合って立っている。
 キリアはあたりを見回して、自分たちの存在を確認して、大きくため息をついた。
「『扉』の中の異空間に、水の迷宮に、ツバル洞窟の不思議な岩石……。常識では信じられないような体験ならたくさんしてきた。こうなったらもう、何が起こったって受け入れてやるわよ」
 あたりの黒さは、黒い砂漠もそうだったが、純粋な闇の黒色ではなく、全ての色を混ぜ合わせた黒、混沌の闇色だった。
「おっ前なあ……」
 バートはため息をついた。
「お前まで呑みこまれてどうするんだよ」
「とっさに手が出ちゃったのよ、悪い?」
「……ばか」バートは呟く。
「っていうか、ここで争ったって仕方ないでしょ」とキリアは言う。
「ここってどこなんだろう。あの黒い砂漠の中? それとも、また異空間か何か?」
 バートが何か言いかけたとき、二人の頭上に、あたたかく輝く太陽のようなものが現れた。バートとキリアははっとして上を見上げた。暗闇の中、オレンジ色に輝く炎に二人の頬が照らされる。炎はゆらゆらと輝きながら二人の頭上を通過していった。二人はそれを目で追う。
「何、あれ?」
「追おう」
 バートは炎に向かって駆け出した。
 炎は移動を止めた。バートも動きを止める。キリアはじっと炎を凝視する。
 炎はゆらめきながら人の形をかたちづくった。
「よく来た、バート」
 人型の炎が言葉を発した。二人が良く知っている声だった。
「……まさか、父親……?」
 バートはつぶやいた。さっきの声は、まぎれもなくバートの父親、ガルディアの将クラリスの声だった。
「本当に、父親なのか?」
「もちろん」
「…………」
 バートは人型の炎をじっと見つめた。これが、あの、父親――? しかし炎の発する声は確かにクラリスの声だった。声だけなら本物のクラリスだと、バートには言い切れる自信があった。
 バートは腰の剣を確認した。今まで愛用していた剣は、ツバル洞窟でクラリスに奪われてしまっていた。この剣は、バートが勝手に持ち出した、リィルの兄フィルの剣だった。
「……もし、あんたが、俺の父親だってんなら、」
 バートは半信半疑ながらも、人型の炎に向けて言葉を発した。
「まずは説明してもらおうか。ここはどこなんだ? あの黒い砂漠は何なんだ? 街は、ガルディア軍は……。そんで、これが一番大切なことだけど、サラとリィルはどうしたんだっ?!」
「貴方は何故、そんな姿をしているんですか?」
 キリアも炎に問いかける。
「ガルディア軍は、四大精霊全てを手に入れて……。それで、何かが起こったんですか? その結果が、あの黒い砂漠なんですか? それからサラとリィルの安否も! 答えて下さい!」
「ひとつずつ、答える」
 炎はクラリスの声で答えた。

 *

「まずは、『ここ』について」
 と、クラリスは語り始めた。
「ここは、”ケイオス”。四大精霊が目覚めさせた、闇色の混沌。全てを呑み込んで成長する、次元を侵食する異次元」
「”ケイオス”……?」
 バートはつぶやいた。初めて聞く言葉だった。
「今、四大精霊が、って言いましたね?」とキリア。
「やっぱりガルディアは、四大精霊を使って、何かやったんですね? それで、かつてのピアン首都だった街並みが、城壁が、王宮が、この大地から消えた……。黒い砂漠に、呑み込まれて?」
「そう」
 クラリスは答える。
「黒い砂漠は……”ケイオス”は、街ごとガルディア軍をも、呑み込んだのね」
「そう」
「そして……」
 キリアは静かに口を開いた。
「私とバートも、呑み込んだ。多分、リィルとサラも」
「そう」
「ここは、”ケイオス”の内部なのね」
「そう」
「冗談じゃねーぞ」
 バートはすぐに言った。
「俺はこんなわけわかんねーのに呑み込まれたままなんてごめんだっ! 今すぐにでも帰らせてもらうぜ、地上に!」
「どうやって?」
 炎はクラリスの声で問う。
「力ずくで」
 バートは剣を抜き放った。腕を真っ直ぐに伸ばして剣の切っ先を人型の炎に向ける。
「例えば、アンタを倒したら、俺たち外に出られるんじゃねーか?」
「バート、早まらないで」
 慌ててキリアは言った。
「まだ、聞きたいことがあるの」
「キリア」
「クラリスさんも呑み込まれたんですか? ”ケイオス”に」
 キリアはクラリスに尋ねる。
「それに、ガルディアはどういうつもりで”ケイオス”を目覚めさせたんですか? まさか、自分たちが呑み込まれるために、ってわけでは……」
「この大陸を、この惑星ほしを、全てを手に入れるため」
 と、クラリスは答えた。
「全て、を……?」
「そう。このまま、”ケイオス”は大地を、生き物を呑み込みながら、成長を続ける。やがてはこの大陸全土を呑み込み、この惑星ほしを呑み込む」
「……?」
 バートとキリアは思わず顔を見合わせていた。クラリスの言葉は、あまりにスケールが大きすぎて、実感がわいてこない。
「……それが、ガルディア軍の、望みなんですか?」
「いいや」
 キリアの問いを、クラリスは否定した。
「これは、俺の、望み」



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