水 の 迷 宮 ( 7 )


 日が暮れて、相変わらずリィルは行方不明のままだった。四人はレティスバーグ博士と別れ、窓の外に湖の見える食堂で夕食をとっていた。
「明日の朝になっても帰ってこなかったら、日の出とともにボートに乗って」
「ああ」
「そうね」
 キリアの言葉に、バートとサラは大きくうなずいた。
「もう止めないよ。気がすむまでやってみると良い」
 エニィルはかたい表情のまま言った。
「でも、どうしても、三人で、なのか? 何度も言ったが、リィルは『迷宮』にいるとは限らない」
「だったら、どこに消えたっていうんですか?」
 キリアは自分の感情をセーブしながらエニィルに問いかけた。
「それは、わからない。僕は可能性の話をしているんだ」
「とにかく、三人で行かなきゃだめなんです。後で、色々後悔したくないんです」
 サラはエニィルを見据えてきっぱりと言った。
「……サラちゃんが、そう言うのなら仕方ない」
 大精霊”流水ルスイ”の力を手に入れたエニィルは、何故か相当切羽詰っているように見えた。思い返せば今までもそうだったのかもしれないが、今のエニィルははっきりと旅を進めることを急いでいた。それでもエニィルはサラの意思を覆してまで無理やり連れて行く気はないようだった。
 エニィルさんが全てを語ってくれないのが悪い、とキリアはエニィルを見つめて思っていた。エニィルは明らかに何かを隠している。……多分、リィルの行方については知っているのだ。
 エニィルと再会して、キリアは迷宮の中でエニィルとリィルに出会ったことをエニィルに告げた。エニィルは驚いていた。
「ついに僕の幻まで出現していたか」
 エニィルの言葉を信じて、あのエニィルが幻だったとして。エニィルと一緒にいたリィルはどっちだったのだろう。リィルが幻だったとしたら、本物のリィルの行方は本当にわからない。リィルが本物だったとしたら、リィルは迷宮の中でエニィルの幻と戦って、それからどうなったのかはわからないが、未だ迷宮の中にいる可能性が高い。
 今晩だけ待ってみる。明日の朝になってもリィルが帰ってこなかったら、日の出とともにボートに乗って、という結論がバートとキリアとサラの中で確定しかけたときエニィルが口を開いた。
「悪いけど、そんな時間はないんだ。大精霊”流水ルスイ”の力は手に入れた。僕たちは一刻も早く、最後の大精霊”陸土リクト”のもとに行かなくてはならない」
「ちょっと待って下さい。まさかリィルちゃんを置いて?」
 サラが驚きの声を上げた。
「レティに伝言を頼んでおく。リィルも馬鹿じゃないと思うから、戻ってきたら追っかけてくるだろう」
「そんなんで良いんですか? 息子でしょう、心配じゃないんですか?」
「だから、だよ」
 エニィルは淡々と言った。
「もし帰ってこないのがバート君やキリアちゃんやサラちゃんだったら、それこそ置いていけないよ」
「私はリィルが見つかるまでここを動く気ありません」
 キリアは言った。
「俺も」
 バートもすぐに言う。サラが何か言いかけたのをさえぎってエニィルは言った。
「じゃあ、キリアちゃんとバート君は残っていても良い。その間に、僕とサラちゃんで”陸土リクト”のもとに行く。そういうことで、良いかな」
「え、あたし?」
 サラは不思議そうにエニィルを見た。
「”陸土リクト”の力を得るためには、君が必要なんだ、サラちゃん」
「あたしの属性が、ですか」
「いや、もっと根本的な、『鍵』に関わることだから」
「嫌です」
 きっぱりとサラは言った。
「あたしもリィルちゃんが見つかるまでここを動く気ありません」
 だよな、とつぶやいてバートが頷いた。
 そうか、とキリアは思った。サラの気持ちも自分の気持ちと同じなのだ。大精霊のことより大切な、譲れないことなのだ。
 キリアはエニィルにぶつけてみたい疑問をいくつも持っていた。しかし、声に出して聞くことはできなかった。エニィルはキリアが疑問に思っていることを知っていて敢えて話さないに違いないのだ。それを無理やり聞き出して、エニィルとの関係を壊すことがこわかった。
 食事を終えた四人は宿に戻ってそれぞれの部屋で眠った。

 *

 日の出前。
 研究所の扉を叩く音がした。控えめな音だったが、古い本を読んでいたレティは顔を上げ、立ち上がって扉のもとまで歩き、扉を開けた。
 外は暗い。中の灯りに照らし出されてエニィルが立っていた。
 レティは彼を中に招き入れようとしたが、エニィルはここで良い、と断った。そして静かに言った。
「最後の、お別れに来たんだ」
「!」
 レティは顔をこわばらせた。エニィルはそれに気付かないふりをして淡々と続けた。
「やっぱり君にはきちんと言っておかなきゃって思って。きちんとした『お別れ』は、君にしか言わない。……言えないんだ、僕は弱いから。今までありがとう、そして、……ごめんね」
「…………」
 レティは絶句するしかなかった。いつかこういう日がくると覚悟はしていた。しかし、あまりに突然だった。
「だって、でも、貴方は昨日……。それに、まだ時間は……」
「うん、でもね――」
 エニィルは微笑んだ。
「……色々考えたんだけど。やっぱり、今、このタイミングで、ってのがベストだと思ったんだ」
「そんな……」
「ありがとうレティ。君には迷惑ばかりかけてしまった。家族には言えないからって君を……」
 レティは首をふった。両の目に涙がこみあげてきた。
「私は、迷惑だなんて思ったことはありませんでした。……嬉しかったです」
「……レティ」
「頼られるって、自分を必要としてもらえるって、誰かの役に立つって、嬉しいことなのです」
「そうか」
「貴方が決意したのなら、私は止めません」
 レティは言った。本当は止めたかった。しかし、辛い別れはいつかはやってくるのだ。それが先延ばしになるだけだ。
「私に、何かできることはありますか」
 レティはエニィルに尋ねた。
「多分、みんながここに来る。僕からの伝言として、伝えて欲しいことがある」
 レティに最後の言葉を残して、エニィルは研究所の扉を閉めた。大きく息を吸い込んで何気なく空を見上げる。薄明るい暗い空に、星々が光を放っている。冷たい空気、波の音。今日はいつものように晴れるだろう。
「やっぱり最後に会いたかったな。それだけが心残りだよ……、ルト」
 エニィルはリィルの母親の名前を呟いた。

 *

(……ル、リィ……ル……)
 誰かがリィルの名前を呼んでいた。何も見えない、真っ白な空間で。
(――誰……?)
 リィルは頭を巡らせた。周りは何も見えない。
(……な、ら、リィ……ル……)
(え……? なに……?)
(……さ よ な ら……)
(……父、さん……?)

 太陽の姿は未だ見えないが明るくなってきた頃。
 リィルは湖畔のベンチに腰かけてうつらうつらとしていたが、そろそろ起きなくてはと思って立ち上がった。寝ているんだか起きているんだかわからないような一晩だった。何か時間を無駄に過ごしたような気がする。
(悲しい夢でも見たのかな。何で俺、泣いているんだろう)
 リィルは目をこすった。指が涙で濡れた。頬は乾きかけている。
 リィルは自分が泊まっていた宿屋に向かって歩き始めた。一歩歩くたびに、一段階ずつ意識がクリアになっていく。歩くたびに、次から次へと記憶が奥底から浮かび上がってくる。――あまり、思い出したくなかったことも。
(父さん……)
 リィルは上着のポケットの中の小さな鏡を確認して、空を見上げた。



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