水 の 迷 宮 ( 3 )


 バートとサラはひたすら果てのない通路を歩いていた。話すための話題も尽きてしまい、ただ黙々と歩いた。床を踏みしめる度に床からの冷気が体中に染みこんでくるような感覚。どのくらいの時間こうして歩いているのだろう。だんだん頭が痛くなってきたのは寒さの所為だけではないだろう。
(何なんだよ、一体――)
 これは本当に現実なのだろうか。夢でも見ているのではないだろうか。
 バートは隣を歩くサラの様子をうかがった。疲れたり落ち込んだりしている様子は見えない。彼女はむしろこの状況を楽しんでいるように見えた。バートは盛大にため息をつきたくなった。
(なんでこの状況で楽しめるんだよ)
 これは本当に夢ではないのか。バートがそう確信しかけたとき。
「あ」
 サラが声を上げた。
「あっ」
 バートもほぼ同時に声を上げていた。サラが「見て」と前方をまっすぐに指さした。永遠に続くかと思われていた通路に初めての変化が見られた。遠くの前方に見える「それ」を確かめたくて、バートとサラは歩調を速めた。近付いてくるにつれ、それはだんだんはっきりと二人の行く手を阻むように立ちふさがった。
 それは、金属製の扉だった。――過去に二度、見たことのあるような。
「これが『扉』だったのね」
 と、サラが言う。
「ってことは、今まで歩いてきた通路は扉の中じゃなかったのね。まぎらわしい空間ね」
「開くかな?」
 バートは手を伸ばしてみた。
「これがあの『扉』ならあたし達じゃあ無理じゃないかしら」
 サラの言葉を聞き流しながらバートは扉を押してみた。いくら理屈うんぬんを言われたって、バートは現実で体感しなければ納得しない。何事もやってみなければ気がすまないのだ。バートは開くとも開かないとも思わなかったが、扉を押してみると扉は簡単に動いて開いた。
「あらあ」
 サラが驚いたような声を上げてバートを見た。バートは得意げに笑みを返した。
 扉の向こうから白く霞む冷気が流れ出てきた。中の様子は真っ白な霧のようなものに満たされていてよく見えない。
「扉だとしたらなんで開いたのか良くわからないけど……この中に”流水ルスイ”がいるのかしら」
「かもなー」
 とサラに答えながら、バートは何故か扉の中に入るのを躊躇していた。本能が「入るな」と警告してくる。命に関わるかもしれない、と。しかし――バートはサラを見た。行き止まりで、扉が開いて、隣にサラがいて。この状況で中に入らずに引き返すことなんてあり得るだろうか。
 バートは先に入ろうとしたサラを制して意を決して扉の中に足を踏み入れた。今まで以上に冷んやりとした感覚に全身が包まれる。真白の世界を一歩一歩進む。振り返るとサラがついてきている。距離はそんなに離れていないのに、白の霧が濃すぎて霞んで見える。
 バートは得体の知れない不安に襲われた。サラに向けて手を伸ばす。
「つかまれ」
「え」
「はぐれんなよ」
「……ありがと」
 バートはサラの手を握った。壊れそうなほど小さな手。細い指。あたたかい。この小さな手で彼女は戦ってきたのだ。
 バートは安心して前だけを見て進んでいける。
 ふいに、無音だった空間に声が響いた。良く知っている声。バートははっとして凍りついたように足を止めた。
『やはり、行ってしまうのだな』
『はい』
 真白の空間に響く、二人の男性の声。
『私としては、もうしばらくここに留まっていて欲しいところだが』
『それは、無理な話です』
 しばらくの沈黙。
『……仕方ない。約束、だったからな』
『そういうことです』
「お父さま……?」
 後ろのサラが小さく呟いた。握った手を通してサラの緊張が伝わってくる。
『私に君を止める権利はないな』
 ピアン王の声。
『はい』
『……君の奥さんは泣くだろうな』
 もう一人の男は答えなかった。
『君の息子さんは……怒るだろうな』
『それは、悲しいことです』
「……なんの冗談だよ、これ……」
 バートは低く呟いた。
 ピアン王はため息をついたようだった。
『……元気でな』
『王も、元気で』
 ここで、会話は終わった。そして白い霧が晴れていった。

 *

 リーガル湖畔に小さな木造の小屋が建っていた。扉には、『リーガル湖畔”迷宮”研究所』という札がかかっている。その木製の扉を叩くと、中から一人の女性が現れた。歳は二十五、六といったところ。長いストレートの黒髪に、丈の長いスカートのワンピースを着ていた。眼鏡をかけていて、控えめな印象の女性だった。
「ジュリア=レティスバーグさんですか?」
 キリアは尋ねた。女性は怪訝そうな顔をしながらもうなずいた。
 キリアは町の人にレティの居場所を聞き回り、ここに辿りついたのだった。キリアは時間を惜しんで早速本題を切り出した。
「人を探しているんです。エニィルという男性で……ご存知のはずですよね? 彼、こちらに来ていらっしゃいませんか?」
 エニィル、と聞いてレティは驚いたように目を見張った。
「貴女は、一体……」
「あ、申し遅れてすみません。私、キリアといいます。エニィルさんと一緒に旅をしている者です。彼、昨日の夜から行方がわからなくて……。そして大変なことが起きちゃったから探してるんです」
「大変なこと……?」
「湖で人が三人、忽然と消えちゃったんです。三人のうちの一人はエニィルさんの息子です。だから私、エニィルさんに知らせなくちゃって……。エニィルさん来てませんか?」
「いや、」
 レティは短く答えて、首を横に振った。
「そんな……」
 希望が断たれてキリアはしばし呆然としてしまった。
「あの……せめてどこにいるか、心当たりはありませんか?」
「彼なら昨夜遅くに、ここに訪ねて来たが」
「ええっ」
 キリアは驚いてレティを見た。レティは無表情で続けた。
「しばらく話し込んで、だいぶ遅くに『明日改めて来る』と言って帰っていった。そうか、それ以来行方がわからないのだな……」
「お話って、何の話をしてらしたんですか?」
 何かの手がかりになるかも、と思ってキリアは質問してみたのだが、レティはしばらく困ったように黙りこんだ後、
「……すまない。込み入った話だし、人に話すわけにはいかない内容なんだ」
「そうですか……」
 キリアはレティの様子から、何となくまずいことを聞いてしまったかな、と思った。
「とにかく、彼が行方不明で、君の友達の三人が湖で消えてしまった、というわけなのだな」
「はい。私、どうしたら良いか……」
 キリアはすがるようにレティを見る。
「湖で消えたという三人のことだが、」
 と、レティは言った。
「おそらく、『迷宮』に飲み込まれたのだろう」
「迷宮……。って、『あの』迷宮……?」
 キリアは小屋の扉にかかっていた『”迷宮”研究所』という札のことを思い出しながら尋ねた。
「過去に何件もの例がある。半数以上の者はちゃんと『迷宮』から帰還した」
「半数以上って……じゃあ帰ってこなかった人もいるってことじゃないですか!」
「そういうことになるな」
 レティは目を伏せてうなずく。
「私も『迷宮』に入ります」
 と、キリアは言った。
「レティさんは迷宮の研究をなさっているんですよね? その『迷宮』について、わかっていること全て教えて下さい」
「それは構わないが……。『迷宮』が何なのか、知っているのか?」
「噂は聞いたことがあります。キグリスにも何箇所かあるみたいです。この世界とは違う次元に存在する異次元空間……。それを『迷宮』っていうんですよね?」
 言いながらキリアは、そういえば『迷宮』って『扉』に似ているな、と思った。『扉』を開けるとその中が異次元空間になっていたなんて、つい最近知ったばかりのことなのだが。もしかしたら、三人が飲み込まれたという『迷宮』と『水の扉』、何か関係があるのかもしれない。
(でも『扉』は超古代の遺産で、『迷宮』が発見されたのは中世代以降なのよね……。うーん、まだ直接的な繋がりは見えてこないか……)
 キリアが扉と迷宮について考えを巡らせていると、「私も迷宮に入ろう」とレティが言ってきた。
「彼は『迷宮』のことを知っている。もしかしたら、彼もそこに入ったのかもしれないから……」



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