大 賢 者 の 塔 ( 1 )


「もうすぐね」
 サラがキリアに声をかけた。
「久しぶりの里帰り……楽しみ?」
「うーん、微妙なところね」キリアは苦笑した。
 キリア達は乗用陸鳥ヴェクタに揺られてキグリスの大草原を進んでいた。目指すはキグリス首都の西に位置する、大賢者の塔。
 ヴェクタはかなり大型の陸鳥で、大きいものならその背に四人は楽々乗れる。バートはヴェクタの翼のところにもたれかかって自分の剣を抱えて目を閉じて寝息を立てていた。リィルは頬杖をついてぼんやりと草原の彼方を眺めている。
 キリア達四人を乗せたヴェクタの後を、少し離れて小型のヴェクタがついて来ていた。そのヴェクタには、リィルの父エニィルが乗っていた。
 ピラキア山を後にしたキリア達五人は、麓の町ギールを通過し、まっすぐに塔を目指していた。
(……里帰り、かあ)
 キリアは心の奥底でそっとため息をついた。

 *

 キリアが「大賢者の塔」に連れてこられたのは九歳のときだった。以来、十年間、ほとんど塔から出して貰えず塔の中で暮らしていた。
 九歳までのキリアは、キグリス首都の南東に位置するワールドアカデミーで教育を受けていた。ワールドアカデミーには国境を越えて学問を志す多くの生徒達が集められていた。リネッタとキリアは同級生だった。ついでに、リンツで再会した医師エンリッジとも同級生だった。
 ワールドアカデミー時代のエンリッジに関する思い出は何ひとつ良いものが無かった。キリアにとっての彼はクラス一の乱暴者、赤毛のいじめっこガキ大将だった。キリアはクラスの中では勉強は良くできたし先生の言うこともきちんと守る優等生だったから、エンリッジ率いるクラスのはみ出し者グループに目をつけられよくいじめられたものだった。
 久しぶりに見たエンリッジは随分と印象が変わっていた。勉強嫌いでサボリ魔で「オヤジの職業なんか継ぐか!」が口癖だったエンリッジが、炎の精霊の力を人を傷つけることにしか使っていなかったエンリッジが、今ではその力で医師として人を癒しているというのだから、一体彼に何が起きたのだろうと勘繰ってしまう。
 しかし、エンリッジが、キリアがワールドアカデミーをやめた一因になっていたことは事実だった。日々のストレスに悩み勉強が進まないキリアを見かねて、せっかく才能があるんだからと、キリアの父が祖父キルディアスに預けたのだった。
 大賢者の塔でキリアは一室を与えられ、リスティルという青年から色々教えを受けた。リスティルはリネッタの兄で、長い髪を持つ穏やかな青年だった。キリアは、リスティルの教えのもと、様々な知識――主に古代語や考古学――を吸収していった。
 何不自由のない塔での生活。確かにワールドアカデミーの同級生達とのような煩わしい人間関係に悩まされることはなくなった。しかし、同時に失ったものも多かったと思い知った。ワールドアカデミーをやめたことについては、後悔はしなかったけれど。
 塔での生活で感じていた何か物足りない気持ちは、いつしか外の世界への憧れとなっていった。そして、祖父とリスティルの間で揺れ動く微妙な気持ち。そういうものを抱えてキリアは何年も生きてきた。
 そして、塔を出て本格的に遠出をする機会が与えられた。キリアは一人、「塔」を出て、国境の向こうの旅に出た。そして、ピアン首都でバートとリィルとサラに出会い、バートとサラを追ってリィルと二人でリンツを目指し、リンツからは四人旅となった。ピラキア山、炎の扉、ギール、道の駅、バートの父の来訪、キリアの伯父による襲撃。そして、ピアン首都陥落の、報せ。
 その報せを聞いて、キリア達は急いでリンツに引き返したのだが、無理が祟ってサラは高熱を出して寝込んでしまい、バートとリィルはキリアを置いて二人だけで敵の本拠地に乗り込んで行ってしまった。そのときは、もしかして、四人での旅はもう終わってしまったのではないかと思った。バートとリィルのことは良い旅の仲間だと思っていたけれど、彼らの方は、自分のことをどう思っていたのだろう。二人に置いていかれて、キリアは改めてそのことを思い知った。二人にとって、ピアン王女であるサラはともかく、自分は、つい最近知り合ったばかりの、しばらく一緒に旅をして、旅が終わったらあっさり別れてしまえるような存在だったのではないか、と。それは、すごく寂しいことだと思った。でも、もしそうだったとしたら、受け入れなくてはならない事実なのだろうと覚悟していた。
 でも、バートとリィルはリンツに――キリア達のもとに帰ってきてくれた。ガルディアの本拠地に軟禁されていたバートの母ユーリアやリィルの父エニィル、それにリィルの姉と兄と一緒に。そのこと自体は嬉しいことだったが、状況が状況なだけに、素直に喜びを分かち合うことはできなかった。特に、父親と決別してきたというバートのことを考えると。
 ――それにしても色々なことがあったな、とキリアは思い出す。塔の中にいたのでは絶対に体験できなかったこと。四人での道中は色々あったけれど、楽しかった。キリアにとっては初めての体験で、この旅がずっと続けば良いと、心のどこかで思っていた。もうあの塔には帰りたくない、と。
 でも、やっぱり、結局こうして帰ってきてしまった。キルディアスの命どおり、エニィルとサラを連れて。リンツでバートとリィルに置いていかれたときに旅の終わりを覚悟したが、今度こそ本当に旅が終わってしまったのかもしれない。長いようで短い旅だった。

 *

 塔の最上階の一室でキルディアスはベッドに横たわっていた。かたわらの椅子にリスティルが座っていた。キリアをみとめてキルディアスが上半身を起こした。
「おじいちゃん」
 キリアは青ざめた。一瞬、今までの自分の旅が全否定されたように思えてしまった。
「具合、悪かったの?」
「大したことはない」
 背筋を伸ばしてキルディアスはわずかに笑った。
「リスティルが大げさなだけだ」
「しかし、もう若くはないんですから、お身体を大切にしなければ」
 リスティルはキリアと目を合わせて微笑んだ。
「お帰りなさい、キリアさん。長旅お疲れ様でした」
「ただいま、リスティル」
 キリアも自然に微笑んでいた。
「大賢者キルディアス様、」
 キリアは口調を改めた。
「ご命令どおり、ピアンのサラ王女をお連れしました。そして、」
「お久しぶりです、キルディアス様」
 エニィルがキルディアスの前に進み出た。キルディアスは目を細めた。
「無事であったか、エニィル」
「一度ガルディアに捕まりましたが、バート君とリィルに助けられました。そして、バート君とリィルを助けて旅をしていたのがキリアちゃんとサラ王女で。本当に良い仲間ですよね」
 そんなふうにエニィルに言われて、キリアはなんだか気恥ずかしかった。
「ほう、そちらの少年が」
 キルディアスがリィルを見た。
「次男のリィルです」
「大きくなったな」
「おかげさまで……喜んでいただけるのでしたら、長女と長男も連れてくれば良かったかな」
 と言って、エニィルは笑った。



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