ガルディアの暗殺者ファオミンの毒を受けたピアン王女サラは医院のベッドで眠っている。エンリッジがサラを助ける手段を持っていないと知ったキリアは、随分とひどい言葉を彼にぶつけてしまった。完全な八つ当たりだった。そのことは今では激しく後悔している。そのときリネッタも言っていたが、一番辛いのはきっと医師である彼なのだ。それに何もできないのはキリアだって同じなのだ。
ベッドに横たわり、苦しそうな呼吸を繰り返すサラ。まだ泣かない、とキリアは唇を噛みしめた。まだサラは生きている。サラだって頑張っているのだ。エンリッジたち医師団も何とかサラを助けようと奔走しているのだ。まだ諦めない。
ファオミンを捕らえている、というのが唯一の希望だった。ファオミンはリンツの地下牢に厳重に監禁されることとなった。もし王女が助からなかったら死を、というのが王宮関係者たちの大半の意見だった。しかしピアン王は静かに首を振り、彼女は絶対に殺すなと命を下した。ガルディアの者を生かして捕らえておくことはこちらの益になる、というのだ。
「申し訳ありません……」
ピアン王の前でキリアは顔を上げられなかった。
「そなたが申し訳なく思う必要はない」と王は言う。
「サラがああなったのは、サラの責任だ」
そうではなくて、とキリアは思う。キリアは悔しかったのだ。自分がついていながら、ピアン王女を、いや、サラをこんな目に遭わせてしまったのだから。自分が許せなかった。
キリアは一歩一歩踏みしめるようにリンツのメインストリートを歩いていた。向かう先は、ファオミンが囚われている地下牢だった。彼女からサラを助ける方法を聞きだすのは難しいだろうと思う。たったひとりでリンツに乗り込んで来るなんて、相当の覚悟があったに違いない。
(それでも、やってみなくちゃ……!)
薄暗い地下牢に下りると、ディオル将軍が灯りを掲げて立っていた。キリアを見とめて静かに会釈する。
「王女の様子は?」ディオルが尋ねてきた。
「相変わらずです」キリアはうつむいた。
「そうか……」
「それで、ファオミンは」
「こっちも相変わらずだ」
ディオルは灯りを掲げて歩き、ある鉄格子の前で立ち止まった。ぐったりと床に横たわる赤い髪の女が照らし出される。
「彼女もまだ意識が戻らない」とディオルは言った。
「最悪、毒でこのまま死ぬという可能性もあるだろう」
今のキリアにはこの女の生死なんてどうでも良かった。ただ、この場にこれ以上いてもサラを助ける方法は見つからないとわかっただけだった。
キリアは地上に上がり、外に出た。傾き始めた陽が高い空から照らしてきてまぶしかった。空は憎たらしいほど青く澄み渡っていた。その青色はサラの瞳の色だ。
「キリア?!」
ふいに自分の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。心臓がどきん、と音を立てた。キリアは声のしたほうを振り返った。駆け寄ってくる二人の足音。もう目の前だった。
――あんなに再会を待ち望んでいたのに。キリアはまともに視線を合わせることができなかった。
「おいキリア、しっかりしろよっ」
肩をつかんで揺さぶられた。
「何があった? 話してくれないか?」
落ち着いた声で問いかけてくるもう一人。
「サラが……」
そこまで言って、キリアはこらえきれなくなって涙をこぼしてしまった。
「ごめんなさい……私……」
「サラが?!」
「父さんの伝言は? ファオミンは?」
「伝言は見たの……」
キリアは力なく呟いた。
「それで城壁の外で迎え撃って……そのときサラが、毒を……」
「毒……」
「それで解毒薬が……もう助からないって、アイツが……」
「……リィル」
バートがリィルを見た。
「ん」
リィルはうなずいて、上着の胸ポケットから何かを取り出してバートに手渡した。
「こんなこともあろうかとは思ってたけど……まさかサラが、ね……」
「おいキリア、サラのやつどこにいる?」
「大丈夫、助かるよサラは」
「え?」
キリアは顔を上げて、バートとリィルの顔を見た。二人とも真剣な顔をしていて、でも絶望はしていない。
「助かるって、本当?」
「父さん!」
リィルが後ろを振り返って叫んだ。こっちに向かって早足で歩いてくる四人の姿。ショートカットの女性はバートの母ユーリアだった。眼鏡をかけた背の高い男性に、リィルに似た雰囲気の青年。リィルと同じ茶色の髪を肩まで伸ばした女性。
「ちょっと先行ってるから!」
「走るぞ、キリア。案内してくれ!」
「う……うんっ」
うなずいてキリアは走り出した。すぐ後ろを走ってついてくる二人。夢と現実の境目を走っているようだった。高い空から照らす陽がまぶしくて、目がくらんで倒れるんじゃないかと思いながら走った。
キリアとバートとリィルはサラの眠る病室に駆け込んだ。
バートはゆっくりと部屋の中央まで歩くと、サラの枕元にかがみこんだ。
「サラ……」
バートは呟いた。
「無茶しやがって……」
サラの瞳がゆっくりと
「バート……おかえりなさい」
「ああ。ただいま」
サラと視線を合わせて、バートもわずかに笑みを浮かべた。
バートはサラの背を支えながらゆっくりと上半身を起こさせた。手にした瓶のふたをあけると、サラの口元に持っていって飲ませてやる。サラは何も問わずにその液体を飲み込んだ。
「もう大丈夫だからな」
バートに言われて、サラは微笑んでうなずいた。バートに背を支えられながら、再びサラは身体を横たえた。
「解毒薬だよ」
リィルの声がしてキリアはリィルを見た。
「効き目は保障つきだから、大丈夫」
「そう……良かった……」
キリアは大きく息を吐き出した。体中から力が抜けてその場にへたりこんでしまった。まだ意識は夢と現実の狭間をふらふらと漂っているような感じだった。
*
サラの病室にピアン王が入ってきて、エンリッジたち医師団が駆け込んできて、アルベルト将軍やディオル将軍、リネッタやウィンズムたちもやってきて……大勢になってしまったのでいったんキリアたちは病室を出ることにした。廊下にも人が溢れていてキリアたちは医院からも出ることにした。
ゆっくり話ができるところに移動しようか、ということになって、キリア、バート、リィル、ウィンズム、リネッタの五人は中央公園へ向かった。この頃になってようやく、これは現実なんだという実感が戻ってきた。サラは無事に助かりそうで、バートとリィルもちゃんとリンツに帰ってきてくれたのだ。それはとても嬉しいことなのだろうと思う。自分がこんなに冷静なのはどう喜んで良いのかわからないからなのだろう。
「二人とも無事で良かった……って言いたいとこだけどさ」
バートとリィルの姿を見て、リネッタが言った。
「……あんまり無事ではなかったようだな」
とウィンズム。
「まあ、色々あったんだよね……」
リィルが言い、バートもうんうんとうなずいた。バートは上着の下に包帯を巻きつけていたし、リィルも左肩に包帯を巻いていた。しかも「どうしてタイミング良く解毒薬なんて持ってたのよ?」と問い詰めると、リィルも同じ毒で死にかけていたということが判明した。まあ無事だったから良かったようなものの、とキリアはため息をついた。自分がその場にいたらと思うとぞっとする。
「キリア、ごめんっ!」
リィルが両手を合わせて頭を下げた。
「怒ってる……だろ?」
「うん、すごく」
キリアは微笑をリィルに向けた。
「でも大事なところでサラを助けてくれたから帳消しにしてあげる」
それを聞いてリィルはほっとしたような笑顔になった。そして、「ちょっと」と言ってキリアの手を引いてバートとリネッタとウィンズムから遠ざかる。三人から十分に距離を取ったところで、リィルは少し言い辛そうに口を
「でさ、キリア……」
「ん? なあに?」
「……返事、聞きたいんだけど」
「は? 何の?」
「まずはイエスかノーか」
「だから何のこと?」
「あれ? 届いてない?」
リィルが顔色を変える。
「エニィルさんからの伝言?」
「その後のもう一通。キリア宛に俺から」
「知らないわよそんなの」
キリアは首を横にふった。リィルはうっとか呻いて顔を赤らめた。そんな表情初めて見た。
「じゃあ俺の送ったやつ、どこ飛んでったんだよー!」
青空を仰いでリィルは叫ぶ。
「やっぱ父さんの見よう見まねで成功するわけなかったかーっ」
はあ、とため息をついて、リィルはがっくりと肩を落とした。
「何送ったの、私宛って」
キリアは問い詰める。
「ノーコメント」
と言ってリィルは口を閉ざす。
「イエスかノーかってまさか……違うわよねっ?」
「……そっちのほうが良かった?」
リィルが力なく聞き返してくる。
「別に」
キリアはそっけなく答えた。
(第2部・完)