ピアン王国、リンツの町。
その日の朝、キリアは宿屋の一階の食堂で遅めの朝食をとっていた。同室に泊まっているリネッタとウィンズムも一緒だった。コーヒーを飲みながらパンをかじっていると、宿屋の
読み進めながらキリアは心臓が大きな音を立てるのを抑えることができなかった。たった二人で敵の本拠地に行ってしまったバートとリィルのことは毎日ずっと気にかけていたのだ。一人で
エンリッジは、今まで一緒に旅してきた『仲間』に、紙切れ一枚で『さようなら』なんてつもりじゃないだろ。あいつらは絶対にここに帰ってくる。キリアはここで待っていれば良いと主張した。あいつらはキリアたちのことを本当に思っているからこそ、二人だけで行ったんだと。帰ってくるのはキリア達の待っている『ここ』しかない、と。
エンリッジの言葉に従ってここに留まってしまったことが正しかったのかどうかはずっとわからなかった。待つことしかできない日々は、長く、非常に辛かった。答えの出ない自問自答ばかりを繰り返していた。
「で、りっさんのお父さんは何て?」
手紙を読むキリアにリネッタが尋ねてきた。
「バートとりっさんは無事お父さんに会えたってこと?」
ウィンズムは黙々と食事を口に運んでいたが、ときどきちらちらとキリアの顔をうかがっていた。やはり気にはなるのだろう。
「うん、そうみたいだけど……。……?! ちょっと待って!」
キリアはほとんど叫ぶように言って椅子をがたんと鳴らして立ち上がった。ウィンズムがぎょっとしたように食事の手を止めてキリアを見上げる。
キリアは早口で叫んだ。
「ガルディアの女将軍がピアン王を暗殺するためにリンツに向かったって。今日の昼前には到着するって!」
「ええ?!」
リネッタも叫んでいてもたってもいられないというように立ち上がった。
「……なんでそんな大事な情報を直接ピアン王に届けないんだ」
ウィンズムがぼそりと呟く。確かに、と思いつつ手紙を読み進めて納得する。
「……そっか。私宛てに出したのは『念のため』ってことだったのね。私に届いてるってことはピアン王とサラにも届いてるってことだから一安心……かな?」
「だったら『念のため』の意味ないじゃん」
とリネッタが指摘する。あ、そうか、とキリアは苦笑した。
「とにかく大急ぎでピアン王とサラのところに向かったほうが良さそうね」
「私も行く」
と言ってリネッタはウィンズムのほうを見た。有無を言わせぬ口調で言う。
「ウィンズムも行くよね?」
三人は急いで食事を済ませると、宿屋を出てリンツ中央医院に向かった。
*
医院の白い廊下を歩き、キリアとリネッタとウィンズムは王の病室に通された。室内のベッドではピアン王が上半身を起こしてこちらを見ていた。窓辺からやわらかな光がさしこみ、ピアン王の金の髪がやさしい光を放っている。サラと同じ青い瞳。王らしい威厳、カリスマ性、それでいておだやかで気さくな雰囲気も兼ね備えている。さすがピアン王、とキリアは思った。
サラは熱も下がりすっかり元気になったようだった。部屋には、ピアン王と王女サラ、キリアたち三人の他に、ピアンの軍服を着た二人の男が立っていた。アルベルト将軍とディオル将軍だとサラが紹介してくれた。アルベルトは小柄でディオルは大柄。対照的な二人だった。
「王、どうなさいますか」
緑の軍服に身を包んだアルベルト将軍が尋ねた。王とサラのもとには無事エニィルからの伝言は届いていた。
「こういう手も考えられます――。こちらに届いた伝言のことは、向こうは知らないはず。敢えてこちらは暗殺者に気が付かないふりをしてここにおびき寄せるのです。もちろん王には別の安全な場所に移っていただいて。相手を油断させておいて捕らえるのです」
「それだとガルディアの暗殺者をリンツの町に入れることになるな」
と、王は言った。
「あたしもリスクが大きいと思います、アルベルト将軍」
とサラも言った。
「リンツを囲う城壁の外、城門前で、正々堂々と暗殺者を迎え撃つべきです」
サラの言葉に、青の軍服に身を包んだディオル将軍が静かにうなずいた。
「それだと兵を分散させることになりますが」とアルベルトは言う。
「敵はおそらくピアン首都方面、つまり南門から現れると思いますが、念のため北門と王のおそばにも配置しておいたほうが良いでしょう」
「私たちにも協力させて下さい」とキリアは言った。
「サラの――ピアンのお役に立ちたいんです」
「大賢者キルディアスのお孫さんであったな」
ピアン王はキリアを見た。
「感謝する。これからもキグリスとピアンが良い関係を築いていけることを願う」
「私もです」
キリアは答えた。
*
サラとキリアたちは南門、アルベルトは北門に向かった。ディオルは王のいる医院の守りにつくことになった。いくつかの小隊にも連絡を取り、準備が整い次第各門と医院の守備にあたることになった。
メインストリートを南門目指して駆けていると、まばらな通行人の中に、私服のエンリッジの後姿があった。遠くからキリアはわかってしまったが、もちろん気が付かないふりをして追い越していくつもりだった。しかしキリアの隣を走るリネッタは見逃さなかった。
「エンリッジ!」
リネッタの声に驚いたように長髪の青年が振り向いた。
「今ヒマ? だったら一大事なの、ついて来て!」
「ちょっと、リネッタ」キリアが咎めるように言うと、
「ひとりでも多いほうが良いって。毛嫌いしてる場合じゃないでしょ、キリア」
そして、キリア、サラ、リネッタ、ウィンズム、何も知らないまま連れてこられたエンリッジの五人は南門に辿り着いた。緊急連絡用にと
サラが南門を開け、五人は閉ざされた町の中から外の世界へ一歩踏み出した。一面の青空に雲の海。吹き抜ける風に草原の草が揺れる。この草原の南の遥か彼方に、今は
「なるほどな、そういうことだったのか」
ウィンズムからひととおり話を聞いたらしいエンリッジがうなずきながら言った。
「そういうことならオレ、愛用の剣でも持ってくるんだったなあ」
「……戦えるのか?」
ウィンズムが胡散臭そうにエンリッジを見上げる。
「こう見えて、エンリッジってウチのクラスで一番強かったんだよ」
と、リネッタはウィンズムに言った。
「加えて今は『治癒』もできるから戦力として大いに使え――あっウィンズムっ、アンタが使えないなんて一言もっ……拗ねないでー」
そっぽを向いてあらぬ方向へ二、三歩歩き出したウィンズムをリネッタは慌てて追いかけてその腕にすがりついた。ウィンズムがうっとうしい、とでもいうように無言で振り払おうとする。
「そういやアンタ、『バートの真似』できるんじゃない?」
リネッタが振り返ってエンリッジを見て言った。
「バートの真似?」サラが聞き返す。
「あ? ああ、『炎の精霊剣』のことか? 昔ふざけてそんなことやってたっけ……今でもできっかな……」
サラは凍りついたような微妙な笑顔でエンリッジを見上げていた。「バート」と聞いて胸の中で色々な思いが渦巻き始めたのだろう。
「……アイツらもうすぐここに帰ってくるんだってな、楽しみだな」
サラの様子を見て察したのか、エンリッジが明るく安心させるように言ってきた。ここで待ってて正解だったろ、オレの言ったとおりだっただろ、と言ってきたら殴ってやろうとキリアは身構えていた。それくらいキリアは複雑な思いを抱えていたし、おそらくサラもそうに違いなかった。
とにかく、一刻でも早く会いたい、と思う。全てはそれからだ。それしか考えられなかった。