c r o s s i n g ( 3 )


 ピアン王宮の厨房に駆け込んできたのは今度はフィル――エニィルの長男のほうだった。バートの母ユーリアはフィルのただならぬ様子を見て何となくぴんときた。ユーリアの予想はほとんど当たっていた。まったくあの子は案の定ね、と思いつつ、エルザちゃんのことは任せてと言ってフィルと別れる。そしてエルザのもとへと急いだ。
 乗用陸鳥ヴェクタの用意はエルザに任せ、ユーリアは厨房に戻った。いくつかの瓶を手にしてエニィルたちが軟禁されている小屋へと向かう。
 ユーリアは医務室から拝借したものや、王宮の庭に生えている薬草をこっそりコレクションしていたのだ。その中に毒の回りや症状を抑えるものがある。ユーリアはキッチンを借りるといくつかの薬草を煎じてリィルに飲ませた。
「大丈夫だからね」
 リィルの枕元にかがみこみ、ユーリアは優しく言った。
「もうすぐウチのバカが解毒薬持って戻ってくるから。あのバカはバカだけど友達思いなのよ。何てったって私の子だもの」
 ユーリアはリィルの柔らかい髪を優しく撫でてやる。
「それにフィル君だって……エニィルの息子なんだから」
 ユーリアは立ち上がるとエニィルのそばまで歩いた。小さな声で申し訳なさそうにささやく。
「ごめんなさい。やっぱり『毒』も特定できないし、完全に取り除くのは無理だわ……」
「そうか……」
 エニィルは小さく息をついた。
「薬草コレクターのユーリアならもしかして、って思ってたんけど」
 そのとき、扉のところでがたがたと音がした。
「ただいま、お父さん」
「エルザ」
 到着したのはエニィルの長女、エルザだった。
「エルザちゃん、乗用陸鳥ヴェクタは」
 ユーリアが尋ねると、
「任せて。ばっちりよ」
 エルザがうなずいたところで、再び扉のほうで音が聞こえた。エルザはそちらのほうへ頭をめぐらせる。
「あ。あいつらも帰ってきたみたい」
 ちょうどそのとき、フィルとバートも戻ってきた。これで六人が集結した。バートは傷が開いたようだったが、あの様子だとフィルが治してやったんだな、とエニィルは思った。あとは六人でヴェクタに乗ってここを脱出するだけとなった。
 フィルはその手に茶色の小瓶を大切そうに握りしめていた。しかし、それをリィルに飲ませるときになって、
「これ……、本当に『解毒薬』……なのか……?」
 そんなことをフィルが言い出した。
「フィル兄……?」
「だってアイツ、やけにあっさりとこれを俺たちに……」
「……そう言えば」
 バートも急に不安になってきた。
「まさかアイツ……リィルに変なもん飲ませようと企んで……?!」
「私は本物だと思う」
 と言ったのはエルザだった。
アビエス(あの人)のことだからね、多分。っていうか――」
 エルザはベッドに横たわるリィルをちらりと見て厳しい表情で言った。
「飲ませるしか選択肢ないでしょ? 飲ませなかったら確実に死ぬ。飲ませた方が助かる可能性はある」
「確かにその通り」
 リィルはゆっくりと上半身を起こすと、瓶を持つフィルに向かって右手を差し出した。
「飲むから、それ貸して」
 リィルの具合はリィルが小屋にたどり着いたときよりも少し良くなっているようだった。ユーリアが飲ませた薬草が効いているのだろう。
「…………」
 フィルは茶色の小瓶をじっと眺めていたが、意を決したようにふたを外すと、そのまま自分で一口飲み込んだ。誰も止める間もなく、皆は無言でフィルの様子を見守るしかなかった。数秒後、
「……大丈夫だ」
 と言ってフィルは弟に瓶を渡した。リィルも受け取って飲んだ。
「……バカ?」
 エルザがこわい顔でフィルをにらむ。
「このくらいやらせてくれ」
 フィルは真面目な顔で呟いた。
「じゃあ、行こうか」
 エニィルが言って、六人は小屋を出て、三人三人に分かれて二匹の乗用陸鳥ヴェクタに乗り込んだ。前のヴェクタにバート、フィル、エルザ。後ろのヴェクタにエニィル、リィル、ユーリアが乗り込む。
「オヤジ、どこに向かえば良い?」
 振り返ってフィルが尋ねた。ここから一番近いのは裏門だが、長い間使われていなかったその門は、今は扉を固く閉ざしているはずだった。
「表門」
 エニィルの代わりにエルザが答えた。
「それが一番安全なルートだから。色々裏工作しといたからね、このときのために」
 エルザの言うとおり、六人はあっさりと表門までたどり着くことができた。エルザが色々と偽の情報を流して逃げ道を確保しておいた、ということらしい。
 王宮の出口――表門には門番の若いガルディア兵が二名いるだけだった。こちらに気付いてぎょっとしたように六人を見ている。
「通してくれないかな」
 ヴェクタの上からエニィルはにっこりと微笑みかけた。
「それとも戦う? 六対二だけど」
 二人の門番はお互い顔を見合わせていたが、うなずき合うと覚悟を決めたらしく同時に剣を抜いた。それを見てエニィルはため息をつく。
「オヤジ、良いから」
 力を使おうとしたエニィルをフィルは止めた。エニィルはバートの大怪我を癒し、『伝書鳥』三羽とフィルの『剣』を生み出している。明らかに力の使いすぎだった。まだ限界ではないだろうが、エニィルの力は切り札だから温存しておきたい。
 フィルは剣を片手にヴェクタを降りた。バートもフィルにならう。
 門番たちの剣の腕は思ったとおり大したことなかった。バートもフィルもそれぞれ数回剣を合わせたが、力の差は明らかだった。
「仕方ないよ。君たちは良く戦った。偶然ここに居合わせてしまった――運が悪かっただけ」
 バートとフィルに打ちのめされ、門を開けさせられる羽目になった若いガルディア兵二人に、エニィルはそう声をかけてやった。
 表門を抜け、二匹のヴェクタは猛スピードでピアン首都を駆け抜けた。夕陽はだいぶ低い位置から、メインストリートを赤く照らしている。ピアン首都と外の世界を隔てる城壁、最後の城門はもう間もなくだった。
 その城門の前に『彼』は立っていた。ガルディアの軍服。長いストレートの黒髪を後ろでひとつにくくっている。腰に挿した剣。こちらを見つめるまなざし。何も読み取れない表情。
「……クラリス」
「父親……」
 ユーリアとバートはそれぞれ彼の名を呟いていた。
 ユーリアは夕陽に赤く染まる地面に降り立った。それを見てバートも剣を握りしめ、ヴェクタを降りた。二人でゆっくりと、クラリスに歩み寄る。
「行くのか」
 バートを見て、クラリスが口を開いた。
「止めるのか?」
 バートは父親をにらむ。
「止めるってんなら、力ずくで……」
「ダメだ、バート君!」
 剣を抜こうとしたバートは鋭い声に止められた。エニィルだった。エニィルもヴェクタを降りて、足早にこちらに歩み寄ってきた。
「クラリス」
 エニィルはクラリスに微笑みかけた。
「僕たちは君と戦うつもりはない……戦いたくないんだ」
「…………」
 クラリスはエニィルを見つめて黙っている。
 エニィルはユーリアを見た。ユーリアもエニィルを見る。それから、クラリスを見上げた。
「ユーリア」
 クラリスもユーリアを見て、言った。
「どうしても、行くのか」
「ええ」ユーリアはしっかりとうなずいた。
 そして、口を開く。
「だから……貴方も来て、クラリス。私たちと一緒にリンツに行きましょう」
「それは、ガルディアを裏切れということか」
「そうよ」
「それは、できない。少なくとも、今は」
「……わかってるわよ、言ってみただけ」
 ユーリアは寂しそうに笑うと、クラリスに背を向けた。夕陽に赤く染まる地面を踏みしめて、ヴェクタに向けて歩き出す。
「さようなら」と、小さく呟いた。クラリスに届いたかどうかはわからない。
「僕もユーリアと同じことを言いたかったんだ」
 と、エニィルは言った。
「でも僕が言っても答えは同じだろ」
 クラリスはエニィルを見て無言でうなずく。
「でも……」エニィルはバートを見やった。
「もし、同じことをバート君が言ったら……?」
「な……?」
 急に話をふられてバートはうろたえた。その前に、バートは母親の言ったセリフも信じられなかったのだ。ピアンを裏切って、多くのピアン兵を傷つけた父親に、一緒に来て? 俺だったらそんなセリフ死んでも言うもんかと思っていたところだったのだ。
「エニィルさん、俺は――」
「わかってる」
 エニィルはバートを見てうなずいた。
「じゃあクラリス、改めて」
 エニィルはクラリスを見て言った。
「僕たちはここを抜けてリンツに行きたい。それを見のがして欲しい。君だって君の息子やユーリアや僕を傷つけることは望んでいないはずだ……」
「…………」
 六人が見守る中、クラリスは黙ったまま背を向けて城門まで歩いていき、門を開けた。
「……ありがとう」エニィルは微笑んだ。
「信じていたよ、クラリス」
 エニィルは歩いてヴェクタに戻った。フィルがバートに乗ってと声をかけてくる。
「父親……」
 バートは父親に何か言わなくてはと思った。しかし、何も言葉が出てこない。
「元気で、バート」
 いつもの声の調子でクラリスは言った。
「…………」
 バートは父親に背を向けてヴェクタまで歩いた。自分たちは何をやっているのだろう、と思った。家族なのに。親子なのに。リィルとリィルの父は同じヴェクタに乗って同じリンツを目指すのに。それが普通のことなのに。
「……そうか」
 バートは小さく呟いた。え?と隣のフィルが聞き返してくる。
「父親は……アイツは、『クラリス』は、もう『父親』なんかじゃねーんだ……。アイツはガルディアの将の、敵将の『クラリス』なんだ……」
「バート君……」
 バートの言葉を聞いて、フィルが悲しそうに呟いた。

 *

 陽はだいぶ落ち、あたりは闇に染まり始めた。六人を乗せた二匹の乗用陸鳥ヴェクタは北のリンツを目指して駆けていた。リンツに着くのは明日の昼頃になるだろう。先にピアンを発ったファオミンに追いつくことはできないが、ファオミンが到着するより早く、エニィルの飛ばした伝書鳥がリンツに着くはずだ。その報せが届けば、むざむざピアン王が暗殺されることはないだろう。やるだけのことはやった、とエニィルは大きく息をついていた。
「父さん」
 一緒に乗っているリィルが声をかけてきた。だいぶ具合は良くなっているようだった。やはりアビエスの持っていた解毒薬は本物だったのだろう。
「何? リィル」
「今ここから手紙飛ばしたら、ファオミンが着くまでに追いつけるかな?」
「今なら多分ね。何か伝え損なったことでもあるのか?」
「うーん……」リィルは口ごもった。
「……俺たち六人とも無事でピアンを脱出しましたってことと。それと……面と向かって言い辛いことを、ちょっと、ね。先に伝えとこうかなって」
 そう言って、リィルは意味ありげに微笑んだ。



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