c r o s s i n g ( 2 )


「大した子ですね」
 リィルの後姿を目で追いながら、アビエスは心の底から感心しているようだった。
「リィルのことか?」とバートは言う。
「まあ、わりとな。俺も付き合い長いからわかってっけど。……さてと。お喋りはこれくらいにして、俺もあんたをちょちょいと片付けて後追っかけるか。……そういやエニィルさんに大至急伝えたいことって、何だろ」
「あの子、あのままだと半日と経たないうちに命を落としますよ」
「え」
 アビエスの言葉を聞いて、バートは絶句した。
「説明してあげましょう。あの子は偶然、私とファオミンの会話を聞いてしまったのです」
「ファオミン?」
 その名前はバートが初めて聞く名前だった。
「ええ。彼女はガルディア軍第六部隊・副隊長を務めています。そして彼女は、『とある理由』のため、今リンツにいるピアン王の暗殺を企てているのです」
「……っ、何、だと……!」
 バートは事の重大さを呑み込んで青ざめた。さっきのリィルの必死の様子を思い出す。
「それで、ファオミンとやらは!」
「彼女はもうリンツに向けて旅立ちました。今から追ったって、どんなに速い乗用陸鳥ヴェクタを使ったとしても彼女に追いつくことは不可能でしょう」
「で、でもリィルは、エニィルさんにって」
「彼が何を考えているかは、だいたい想像がつきますが」
 アビエスは呆れたように笑った。
「彼、そのことを父に伝えさえすれば、自分の命なんてどうなっても良いって考えているようですね。潔いというか、諦めが早いというか……少々失望しましたよ」
 アビエスは懐から小さな小瓶を取り出すと、バートに掲げて見せた。
「ファオミンは『毒』を使いました。あの少年はこの解毒薬を使わない限り、半日と経たないうちに全身に毒が回って死ぬでしょう。彼はこの解毒薬には見向きもしませんでしたが」
「…………」
 バートはアビエスの手にある解毒薬をじっと見た。
「……あんたに勝てば、それを奪ってリィルを助けられるっつーわけか」
 バートはアビエスを見て言った。
「そういうことですね」アビエスは微笑んだ。
「私と貴方が戦う理由としては上等でしょう」
「ああ」バートは低く呟いた。
「上等だぜ……」

 *

 エニィルは厳しい表情でペンを走らせていた。宛名はピアン王、ピアン王女、念のためキグリスから来たキリアにも。これでおそらく、配達途中でどんな間違いがあっても最低誰か一人には届くだろう。エニィルは三通の手紙を三羽の青い小鳥に託して、小屋の窓からリンツに向けて放った。
 先ほど帰ってきたリィルは今は部屋のベッドにぐったりとその身をうずめていた。苦しそうな様子に心が痛む。彼は「自業自得」と言うだろうが、クラリスのときもそうだったが、リィルは本人無自覚でかなり無茶をやらかす性格をしているのだ。
 彼はガルディアの女将軍の使う毒を受けたらしい。治癒技術にある程度長けているエニィルにとっても毒はやっかいだった。精霊のエネルギーを使えば外傷ケガはふさぐことができる。しかし、体内を巡る毒を抜くことや、失われた血液や体力を回復させることはできない。今回のリィルの場合、肩の傷も出血も大したことはなかったのだが。
 息子が辛そうにしているのを見るのは、親としては非常に辛い。できることなら代わってやりたいと思う。それは兄であるフィルも同じなのだろう。フィルは泣きそうな顔でリィルのそばを離れない。でも兄だからこそ涙を流すのはこらえているのだろう。
 エニィルはフィルを安心させるように穏やかに微笑んでみせた。
「おそらくアビエスの持っている解毒薬は本物だ。ガルディアの女将軍がそんな危険な毒を持ち歩いているんだからね。だとしたらバート君がアビエスを倒せば解毒薬は手に入る」
「でも、バート君は多分そのこと知らないだろう」
「だから君が行くんだよ、フィル」
「そうか……」
 呟いて、フィルは立ち上がった。エニィルは水の精霊で一振りの剣を形作ると、フィルに手渡した。ここまででかなりの回数「精霊」を使ってしまった。今日はもうこれ以上大がかりな精霊は使えないかもしれない。
「良かった、俺にできることがあって」
 手を伸ばしてフィルは剣を受け取った。フィルはバートほどではなかったが剣は使えた。
「順番が大切だから良く聞いて」
 エニィルはフィルに言った。
「多分、バート君はまだユーリアとエルザに連絡を取っていない。僕たちもすぐリンツに向かいたいから、そっちが先だ。バート君ならしばらくは一人で大丈夫だから。まずはユーリアとエルザを探すんだ。リィルの話によると、ユーリアは多分厨房にいるから。そして彼女たちに乗用陸鳥ヴェクタを用意してもらって。それからフィルはバート君のもとへ。解毒薬を手に入れたらすぐに戻ってきて。アビエス相手にあまり深入りはしなくて良い……。六人揃ったら乗用陸鳥ヴェクタでリンツに向かう」
「そうか。このタイミングで脱出するんだな」
「もうこうなってしまった以上、チャンスは『今』しかないからね」
「随分急展開だな……」
 フィルは呟いて、よし、と気合を入れた。
「行ってくる」

 *

 バートはアビエスから少し離れたところで剣を握りしめ、息を切らせていた。アビエスはバートよりは短い剣を二本、その両手に握っていた。その二本の剣は、父親――クラリスと同じように、何もない虚空から『取り出した』剣だった。アビエスが剣も使えてしかも二刀流なんて聞いてねーぞとバートは思った。
 こいつは、強い。バートは剣を交えながら直感的に感じていた。父親のような圧倒するような強さでは無いが、見た目より奥深く底の見えないような恐ろしい強さを秘めている。
「あんた……」
 呼吸の合間にバートは言葉を搾り出した。
「もしかして……、相当、つええだろ……」
「お褒めの言葉、ありがとうございます」
 アビエスは微笑んだ。
「ちくしょ……。俺、こんなところで手こずってる場合じゃねーのに……」
 バートはリィルのことを思った。さっきまでそこにいたリィルの口調、リィルの表情を思い出す。あのとき、リィルは半日後には死ぬ覚悟だったのだ。それなのにそんな素振りはちっとも見せなかった。もちろん自分は何も気付かなかった。それが、悔しい。アビエスからそれを聞いて、バートは心臓が凍る思いをした。もし自分がリィルの立場に立たされたのなら――そこまで考えてバートははっとした。
「でも俺は!」
 短く叫んでバートはアビエスとの間合いを一気に詰めた。渾身の力を込めて剣を振り下ろす。受け止めたアビエスの剣は弾き飛ばされ宙を舞った。アビエスが唇の端をゆがめる。
「死ぬなんて許さねー! 死んじまったらおしまいじゃねーか! そんなの俺は許さねー!」
 バートは激しい攻撃の連続で防戦一方のアビエスを壁際に追い詰めていった。アビエスの繰り出した剣をなぎ払うとアビエスは剣を取り落した。バートは追い詰められたアビエスの首筋に素早く自らの剣をつきつけた。
「…………」
 二人はしばらく無言でにらみ合っていた。
「……フ」
 アビエスは目を閉じて小さく笑った。
「さすがはクラリス様のご子息……とでも言っておきましょうか」
「……真面目にやれよ」
 バートは剣をつきつけたまま低く言った。
「アンタ、全然本気出してねーだろ。戦いの最中に薄笑い浮かべたりして……」
「何を言っているのですか。貴方が強かったと言っているのです。貴方の勝ちですよ」
「フザケんな!」
 アビエスの態度にバートは無性に腹が立った。悔しいが、コイツは強いのだ。強いからこそこうやって余裕をかましていられるのだ。敢えて本気を出さずに、必死にあがいている自分たちを高いところから見下ろして楽しんでいるのだ。勝ったというのに、父親と戦ったときとはまた違った悔しさがこみ上げてくる。
「バート君!」
 そのときバートを呼ぶ声が聞こえた。
「フィル兄?!」
 こちらに走り寄ってくるのはリィルの兄・フィルだった。右手に一振りの剣を握っている。
「おやおや」アビエスは呟いた。
「良いタイミングですね。二対一では本当に分が悪い」
「バート君、大丈夫か?!」
「ああ。全然」
 フィルに言われて、バートはうなずいてみせた。
「アビエスとかいったな」
 フィルはアビエスのそばまで来てにらみつけて言った。
「アンタがうちのリィルをあんな目に……」
「それは正確ではありませんが」
「解毒薬は?」
 フィルが言うと、アビエスは右手で茶色の小瓶――解毒薬をバートの前に差し出した。バートは左手を伸ばしてそれをひったくった。
「さあ、それを持って早く行きなさい。時間がありませんよ」
 アビエスは穏やかな微笑みを浮かべている。……不思議な光景だった。もし、その微笑みが本物だとしたら、とバートは考える。一体、俺は、何のためにコイツと戦ったんだ?
「では。私はこれで。健闘を祈ります」
 アビエスは優雅に一礼すると、二人に背を向けて悠然と歩き出した。その背はあまりにも無防備だった。しかし、バートもフィルもアビエスを追って決着をつけようとか止めをさそうとか、そういう気持ちにはなれなかった。アビエスもそれはわかっているのだろう。
「……オヤジが深追いするなって言ってたからな」
 何かを吹っ切るようにフィルは言った。
「ヤツのことは忘れて戻ろう」
 そして改めてバートの姿を見て、フィルは声を上げた。
「バート君、傷開いてるじゃないか!」
「え……あ」
 今まで夢中で気が付かなかったが、胸に巻かれた包帯に赤い血が染み出していた。そりゃあれだけ動いたんだからな、とバートは納得する。大丈夫か、と聞かれてうなずいたが、歩き出そうとした瞬間、胸に鋭い痛みを感じて呻いて膝をついた。フィルが顔色を変える。
「ヤバイな……早く治さないと」
「今は良い……」
 フィルを見上げてバートは言った。
「それより早く戻らないと……」
「でもバート君、まともに歩けないんじゃないか」
 バートは首を振って痛みをこらえながら立ち上がった。自分よりヤバイのがいるから一刻も早く戻りたかったのだ。
 フィルはため息をついてバートに背を向けて片膝をついた。
「じゃあ、おぶってってやるから。ほら、捕まって」
「……やっぱり今治して下さい」



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