動 か す 力 ( 6 )


 ピアン王宮、厨房。
 医務室から戻ってきたユーリアは、『この場』にいるはずの無い少年に出くわしていた。ユーリアに背を向けて厨房内をしげしげと眺めているのは、茶色の髪をした、バートよりは小柄な少年。
「リィル君?!」
 その声に少年の動きが一瞬固まり、それからゆっくりと振り返る。
「あ……ユーリアさん」
 リィルはばつの悪そうな笑顔になってユーリアを見た。

 *

「あっきれた……」
 厨房のカウンターに立ち、ユーリアは二人分のカップに珈琲を注ぎながら、大げさにため息をついてみせた。
「なんでキミが王宮内こんなとこうろついてんのよ。キミって捕まってエニィルと一緒に監禁されてたんじゃなかったの?」
 ユーリアは両手にカップを持って、ダイニングテーブルまで歩く。
「でも、あの小屋の鍵、簡単に開きましたよ」
 リィルは温かいカップを受け取って軽く頭を下げた。
「キミが鍵開けしたの?」
 ユーリアは椅子を引いて腰掛けながら尋ねる。
「はい。でも父さんチェックが入って。父さんなら半分の時間で開けられるって」
「…………」
 ユーリアは自分の珈琲に口をつけると、大きく息をついた。
「エニィルったら何企んでるのかしら。あ……もしかして、キミが王宮内うろついてるのも、エニィルに何か指示されて?」
「いえ、別に……。上手くいってバートか姉貴に会えれば良いかなって、それだけです」
「なんだ、残念」ユーリアはつまらなそうに呟く。
「だったら、キミ、それ飲む間くらいは見逃してあげるけど、キミが王宮内うろちょろしてんの、ガルディア(ここ)の連中に見つかったらヤバいんじゃないの? 悪いことは言わないから、それ飲んだら大人しく戻ったほうが良いわよ」
「はーい」
「今の返事。真心がこもってないわね……」
「ぎく……」
 リィルが恐る恐る顔を上げると、ユーリアは楽しそうにリィルを見つめていた。
「やっぱりキミ、エニィルに似てるなー」
「え? そうですか?」
「見た目もエニィルの若い頃にそっくりだし。大人しそうな顔してすっごい大胆なところとか」
「はあ……どうも」
 リィルは少し考えてから、
「バートもユーリアさんに似てると思います」
「何それ、褒め言葉?」ユーリアは声を立てて笑った。
 リィルは飲み終わったカップをテーブルに置くと、姿勢を正した。
「俺が出てきた一番の目的は、バートのお見舞いなんです」
「お見舞いって……キミだってどっちかというとお見舞いされる方の立場だったんじゃないの?」
「俺はもうすっかり元気だから良いんです。でも、バートは……どうなんです?」
「口だけなら元気で医務室で寝てるわよ」
「そうですか……良かった」リィルはほっと息をついた。
「あのバカは一度痛い目見ないと治らないのよ、バカが」
「き、厳しいですね」
「だって……相手の力量も見抜けないで戦いを挑むなんて……」
 そこまで言って、ユーリアは何かをこらえるように言葉を詰まらせる。
 暫くの沈黙。
 リィルはたまらなくなって口を開いた。
「……ごめんなさい」
「?」
「謝りたかったんです……。バートがあんな怪我したの……俺の所為だから……」
「な? どうしてそうなるの?!」ユーリアは驚きの声を上げた。
「俺……俺が、ちゃんと止めれば良かったんです。俺だってクラリスさんの強さはわかってましたから。戦ったらどっちが勝つかってことくらい、ちゃんとわかってたんです。でも俺は……」
「良いのよ、別に。キミの所為じゃないわ」
 ユーリアはリィルに微笑を向けた。
「あの人には……常識は通用しないの。そんなん長年の付き合いでわかってるの。『わかんない』ってことを、わかっちゃってるの……。でも仕方ないわよね」
 何が仕方ないんだろう――と頭の片隅で考えながら、リィルは再び口を開く。
「それと、俺、カッとなってクラリスさん傷つけようとしてしまって……ごめんなさい」
「律儀ねえ。そんなこと私に謝らなくたって良いのに」
「ははは……とにかくこれで、ひとつスッキリしました」
 ごちそうさまでした、と言って、リィルは椅子から立ち上がった。
「あとはバートにちゃんと会って……医務室ですよね? それと、もし姉貴の居場所を知ってたら教えて貰えると嬉しいんですけど」
「ねえ、リィル君」
「はい?」
 ユーリアは立ち上がったリィルを見上げ、一呼吸置いてから続けた。
「キミが行っちゃう前に聞いておきたいんだけど。……キミは何をどこまで知ってるの?」
「…………」
「エニィルは当分子供たちには話さないって言ってたけど……もう、事情が事情だし。聞いた……でしょ?」
「……はい」
 リィルはゆっくりと頷いた。
「全部、聞いたの?」
「多分、本物の『鏡』のこと以外は」
「そう……」ユーリアは複雑な表情になって俯いた。
「それで、どう思った?」
「……うーん……」
 ユーリアに聞かれて、リィルは腕を組んで考え込んだ。
「どうって言われても……別に。今までどおりです。何も変わりません」
「……そう」ユーリアは微笑んだ。
「そう、ね。そうよね。変なこと聞いちゃったわね。ごめんね、リィル君」

 *

 裏庭近くの小屋の前で、バートは鉄格子のはまった窓の中を覗き込んでいた。小屋の中からは、リィルの父エニィルと兄フィルが、小屋の外に立つバートを見ていた。
「なんだ……入れ違いかよっ」
 二人から一通り話を聞いて、バートはがっくりと肩を落とした。
「なんだか発想が似ているんだね、キミたちは」
 エニィルが感心したように言った。
「以心伝心っていうか、仲良いなあ」
「仲良い? 別にフツーだろ、俺とリィルは。それに以心伝心て……ホントに以心伝心なら小屋の中で大人しくしてろってんだ、リィルのやつ」
「ははは……リィルも同じこと言って悔しがってるんだろうなあ」
「オヤジのん気に笑ってる場合かよっ」
「大丈夫だよ」エニィルはフィルに言った。
「バート君が病室にいないことがわかれば、リィルは諦めて帰ってくるだろう」
「そうかあ? むしろバート君のことあちこち探し回って余計なことに首突っ込んでるんじゃあ……」
「悪い……フィル兄。エニィルさんも……。こんなところに閉じ込めて……」
 鉄格子を握り締めて、バートは呟いた。
「別に閉じ込められてるわけじゃないよ、どっちかというと、自主的に留まっているだけ」
 そう言って、エニィルは微笑んだ。
「この小屋抜け出すこと自体は容易いよ。現にリィルは出て行ったわけだし」
「あ……じゃあ、なんでエニィルさんたちは逃げ出さないんですか?」
「だって、俺たちだけで逃げ出すわけにはいかないだろう?」
 フィルはため息をついた。
「?」
「エルザだよ……。アイツがガルディアに潜り込んじまってるから、こっちが迂闊に動いて良いものか、判断つきかねてるんだ」
「いーんじゃねーか?」
 バートはあっさりと言った。
「え?」フィルは驚いて聞き返す。
「エルザねーちゃんのことなんてどうでもいーじゃんか。つまり、今までは本気で動く気なかったってことだろ?」
「…………」
 フィルは言葉に詰まり、横目で父の横顔を伺う。エニィルの顔からは微笑が消えており、真剣な眼差しをバートに向けていた。
「逃げ出せるんなら……エニィルさんが本気を出せば、こんなとこ簡単に逃げ出せるはずなんだ……。姉ちゃんに連絡とる方法だって、いくらでもあったはずだろ……。なのに、なんで貴方たちは今まで大人しく捕まってたんですかっ! リィルは、命懸けで乗り込んできたんですよ、ここにっ!」
 そこまで言って、バートははっとしたように言葉を止めた。
「もしかして凄く失礼なこと言ったかも……悪ぃ……」
 バートは小さく呟く。
「違う……俺が許せないのは……ガルディアと父親で……」
「バート君……」フィルが呟いた。
 エニィルは小さく息を吐き出す。
 ――つまり、今までは本気で動く気なかったってことだろ?
 確かに、そうだった。
 しかし、もちろん、永遠に動く気がなかった、というわけではない。
 何かを、待っていたのだ。
 そして……それは、来てしまった。
「確かに、バート君の、言うとおりだね」
 だから、もう、答えは出ていた。
 あとは、口に出して言うだけだった。
「じゃあ。……そろそろ、本気で考えてみようか」
「「えっ」」バートとフィルの声が重なる。
「バート君ならある程度自由に動けるだろう。君のお母さんとエルザに伝言を頼みたい――良いかな?」
「は……はいっ!」
 バートは顔を輝かせ、声を弾ませた。

 *

「なあ、オヤジ……」
 バートが去って行った方を見つめ、フィルはぽつりと尋ねた。
「もし、リィルとバート君が、ここに来なかったら……それとも。リィルとバート君は絶対に来る、ってわかってて、待ってたのか?」
「リィルたちについては、来ない可能性は否定できない――それくらいだった、かな」
「じゃあ」とフィルは言った。
「もし来なかったら……俺たちはずっとここで動けなかったのか?」
「まさか」
 エニィルはフィルの方に向き直った。
「僕たちが動かなくたって、僕たちを取り巻く状況はどんどん変わっていく――。そういうことだよ」
「……?」
 父の言うことがいまいち飲み込めなくて、フィルは黙った。エニィルは手を伸ばして、フィルの肩を軽く叩く。
「さあ、フィル。動き出したら後には引けないからね。今のうちに覚悟を決めておくんだよ」



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