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夕方、キリアが目覚めるとサラが向かいのベッドに寝転んで分厚い本を広げて熱心に読んでいるところだった。キリアは上半身を起こすと大きく伸びをした。
「あ、キリア。起きたのね」
気付いてサラが声をかけてきた。
「おはよう。……あいつらは?」キリアは尋ねる。
「暇だから町ぶらついてくるって言ってたわ」
「貴女は行かなかったの?」
「あたしは一応お忍びだからあまり出歩かないほうが良いって、リィルちゃんが」
「そっか。姫様は姫様だもんね……」
サラと会話しながら、キリアは別のことでほっとしていた。バートもリィルもピアンの王女も、ちゃんと自分が目覚めるまで待っていてくれたのだ。キリアは実は、眠りにつく直前、「目が覚めたら誰もいなかったりして」ということをうっすらと考えていた。バートとリィルとサラは幼なじみで仲の良い感じだったが、キリアだけは国籍も違う
(置いていかれるなら置いていかれるで……良いわよ、別に。ひとりは慣れてるし)
キリアはそんなことを思いながら、眠りについたのだった。
「サラ、で良いわよ。呼び捨てで」
突然サラが言ってきた。
「え」
「バートもリィルちゃんもそう呼んでるもの」
「……そう。それは、ありがと……」
キリアはとりあえず礼を言った。そういえば自分はいつの間にか年下の王女に呼び捨てにされてるなと思ったが、別に嫌な気持ちはしなかった。
*
『隠れ家』で四人で夕食をとり、温泉に浸かり、ぐっすりと眠り、次の日の朝、四人はリンツを発ち北を目指すことにした。二人乗りの
リンツの町の出口、ヴェクタ乗場に向かう途中、キリアはある建物の前ではっとして足を止めてしまった。聞き覚えのある名称の看板の、古びた小さな建物だった。
「どうしたの、キリア?」
先を行くサラが振り返ってキリアに尋ねてきた。
「ううん、何でもない」
と言って、キリアは何事もなかったかのように歩き出した。
(そっか……。アイツ、出身はピアンのリンツだったんだっけ)
昔のほろ苦い思い出を思い出しかけて、キリアは首を振って思い出を振り払った。
リンツを朝に出て、順調に街道を進めば夕方にはピラキア山脈の
明るい草原の街道を
「バートのお父さまは強いのよ」
と、サラは自分のことのように得意げに語った。
「そして、息子のバートだって、お父さまの強さを受け継いで超一流の剣士なんだから」
「ちょっと……いや、かなり変わり者だったけどな、うちの父親」
とバートは言う。
「クラヴィス将軍の噂は色々聞いてるわよ」とキリア。
「そういえば、王宮でも『SHINING OASIS』でも会えなかったけど……」
「…………」
バートとリィルは顔を見合わせた。クラヴィス将軍失踪の件は、キグリスには伝わっていないはずだった。バートはサラに無言で『余計なことは喋るなよ』という合図を送った。
*
父親の話題が出たので、バートは父親のことを思い出していた。
バートの父親は変わり者だった。口数が少なく、自分のことはあまり語らなかった。父親の素性、出身地すら不明だった。母親ユーリアと結婚してピアンに落ち着くまでは、パファック大陸の各地を流れていた、と聞いた。
そんな色々怪しい父親だったが、何故かピアン王宮内での人気は高かった。炎の精霊剣技の腕はピアン随一と言われ、ピアン国王も絶大な信頼を寄せていた。口数の少ないところも周囲には「神秘的」などと思われていたらしい。バートの父親は何者も無条件で虜にしてしまうような、不思議な魅力を備えていた。
そんな父親が、ある日突然、ピアン王国から姿を消してしまったわけだが、ピアン王女であるサラにも、親友であるリィルにも話していなかったことがあった。
ある晩、バートが自室で寝ていると、階下から怒鳴りあうような声が聞こえてきた。バートはそっとベッドを抜け出し、階段を下りた。怒鳴りあいの声は父母の寝室の中から聞こえてきた。怒鳴っているのは母親ユーリアの声だった。父親も何か言い返しているようだった。普段は口数の少ない父親だったが、その日は珍しく良く喋っていた。
(こんな真夜中に夫婦喧嘩かよ……。起きちまったじゃねーかっ)
喧嘩の内容についてはバートは興味なかった。バートは階段を上り、自室に戻った。あの二人が本気で喧嘩するなんて珍しいなと思いながら眠りについた。
バートの父親が「消えた」のはその翌日のことだった。
母親は心当たりについては「知らない」と繰り返すだけだった。喧嘩の原因については、未だ母親から聞き出せずにいる。バートとしてもあの夫婦喧嘩は聞かなかったことにしておきたい。