旅 の 始 ま り ( 4 )


 扉を叩く音がする――。リィルははっと目を開けた。窓から差し込む光で部屋の中は明るかった。太陽がいつもより高い位置にあるような気がする。
「リィル君、起きてる? いーい? 入るわよ」
 バートの母ユーリアの声が聞こえてきた。はいー、と返事をして、ふとベッドの脇に落ちている封筒が目に留まった。
 扉が開けられてユーリアが入ってきた。
「うちのバカ息子知らない?」とユーリアが尋ねてきた。
「いつまでたっても起きてこないから、どうしたのかと思ってアイツの部屋覗いてみたらいなくって」
「そういえば、今日は起こされなかったな……バートに」
 リィルはここ数日ひとりで起きたためしがなかったな、と思い返していた。寝起きの悪いリィルを叩き起こすのはバートの役目だった。
「ええと、バートがいないんですか?」
 大あくびをしながら、リィルは床に落ちていた封筒を拾い上げた。「果たし状」の文字が目に飛び込んできてぎょっとした。
「??」
 リィルは首を傾げながら封を開けた。
『リィルへ サラが命を狙われているらしい。二人でできるだけ遠くに逃げることにした。ついでに大精霊”ホノオ”にも会ってくる。バート』

 *

 リィルとユーリアは、一階の食堂で少し遅めの朝食をとっていた。
「じゃあ……、サラちゃんが命を狙われてて、うちのバカと二人で逃亡中、ってことなの?」
 と、ユーリア。
「どうやらそうみたいで……」
 リィルはコーヒーを口にしながら答えた。
「心配だわ……サラちゃんが」
「……バートの心配はしないんですか」
「それにしても、『ついでに』以下の意味が良くわかんないわね。大精霊……”ホノオ”?」
 ユーリアが書き置きを手に首を傾げた。
「”ホノオ”ってピラキア山脈でしたっけ。国境付近まで逃げるつもりだって意味なのかなあ」
「随分遠くじゃない。いつ帰ってくるつもりなのかしら。……当分帰ってこないつもりなのかしら」
「いつまでも二人で逃げ続けるわけには……。ってか、サラが狙われてるってどういうことなんだろう。それが解決すれば、帰って来るのでは」
「そうね。久しぶりに王宮行ってみようかしら。この書き置きだけじゃあねえ。何が起こってるのか、確認してこないと」
 そうですね、とリィルがうなずいたとき、がたん、と音を立てて扉が開けられた。まだ開店時刻ではなく、扉には「準備中」の札がかかっているはずだった。扉の鍵は開いていたらしい。
「キリア?」
 駆け込んできた女性を見てリィルは声を上げた。昨日もここに来ていたキリアだった。
「すみませんっ、ちょっと……」
 キリアはずっと走ってきたらしく、息を切らせていた。ユーリアが水の入ったコップを持ってきてキリアに渡した。
「……聞きたいことが。サラ王女、ここに来てませんか……?」
「え……」
 とだけつぶやいて、リィルは固まってしまった。
「他言無用の極秘情報なんだけど……サラ王女が……昨夜から行方不明で……」
「……?」
 何故キリアがサラのことを知っているのだろう……。キリアは何者なのだろう、とリィルは考える。そういえばキリアは最初から色々あやしかった。まさかキリアが王女の命を狙う暗殺者……?とまでリィルが思ったとき、
「どうしよう……やっぱり悪いことしちゃった……。王女がいなくなっちゃったの、きっと、私の所為……」
 キリアは言って、コップに口をつけるとうつむいてしまった。その姿は本気で落ち込んでいるようで、とてもキリアがサラの命を狙っている暗殺者のようには見えなかった。というか、そう信じたい。
「あのー、詳しい話、聞かせてもらえませんか?」
 リィルはキリアに言った。今日はしばらく臨時休業ね、と言って、ユーリアは扉の鍵をかけるために立ち上がった。

 *

「私が首都に来たの、もうひとつ理由があるって言ったでしょ」
 と、キリアは語り始めた。キリアは二つの命を受けてピアン首都に来たのだという。
「ひとつがエニィルさんのこと。これは昨日話した通りね。で、もうひとつが、ピアン王女のことなの。こっちはキグリス王の命でもあるの」
「ふうん。俺の父さんのことより、そっちの方が重要そうだね」
「まあね」キリアはうなずいた。
「キグリス王は、ピアンとの停戦を考えているの」
「へえ、ピアンとキグリスが停戦……、それ、良いね」
「うん。お互いにとって悪い話じゃないでしょ。だって、ねえ」
 ピアン王国最南の港町が、『異世界から来た異形の者』たちに占拠されたという情報はキグリスにも伝わっていた。キグリス側でも、その出来事を二千年前の伝説になぞらえる者が多くいるという。
 ピアンとしては、既にキグリスと小競り合いを続けている場合ではなくなっている。キグリスとしても、その敵の正体がわからない以上、大陸全土の脅威ともなり得る「彼ら」を撃破するため、ピアンと手を組んだほうが得策、というわけなのである。
「それで、キグリス王は、停戦のあかしとして、キグリス王子ロレーヌと、ピアン王女サラ様を婚姻させようとしているわけ」
「それって……」
「そう。政略結婚、てやつね」とキリアは言った。
「その話を持ってきたのよ。……あんま気は進まなかったけど。あ、停戦同盟じゃなくて、政略結婚のほうね」
「うーん確かに、結婚ってのはねえ。一生のことだもの……」
 ユーリアがつぶやく。
「……変なこと聞くけど、」リィルはキリアに言った。
「その話、本当のことだよね?」
「嘘言ってどうするのよ……。王宮行って確かめてきたら? あ、今のところ王女失踪の件は極秘情報ってことになってるけど……」
 キリアはユーリアを見た。
「ごめんなさい、色々調べさせてもらっているんです。『SHINING OASIS』の女将おかみさんが、ピアンの将、クラヴィスさんの妻だってことも。なので、貴女だったら、きっと王宮で色々教えて貰えると思います」
「ユーリアさん」
「……そうね。私行ってくる」
 ユーリアはそう言って立ち上がった。
「王宮には行こうと思っていたところだったのよ。リィル君、留守番よろしくね」
「はい」リィルはうなずいた。
 キリアは色々しっかりしていそうだ、とリィルは思った。今の話が本当か嘘かどうかはバートの母が王宮に行けばわかることだ。問題は……『サラが命を狙われている』というバートからの伝言。これは、今回の政略結婚絡みのことなのだろうか。……それとも。
「そういえば」とキリアがリィルに尋ねてきた。
「昨日一緒にいた……バートだっけ。彼は今日はいないの? 彼、クラヴィス将軍の息子さん、よね?」
「そうだけど。……ごめん突然話変わるけどキリア、サラはなんでいなくなっちゃったんだと思う?」
「そりゃあ……、私が持ってきたキグリス王子との政略結婚が嫌で……じゃないの?」
「これ、」
 リィルはキリアにバートからの伝言を見せた。
「……どう、思う?」
「…………」
 キリアはメモ用紙に書かれたバートの文字を凝視していた。
「ピアン王女が……命を狙われて……? それは私、初耳ね」
「そうかー。まあ、この件についてもバートの母親さんが情報集めてきてくれると思うからそれを待つとして……」
「……なんで『ついでに大精霊”ホノオ”』なのかしら。ここは突っ込むところで良いの?」
「たぶん」リィルは答えた。

 *

 しばらくして、バートの母ユーリアが『SHINING OASIS』に帰ってきた。
「やっぱりサラちゃんが行方不明になっちゃってるってのは本当ね……みんな必死で街中探し回ってるわ」
 とユーリアは言った。
「ユーリアさん、サラが命を狙われて……って件は?」
 リィルは尋ねてみる。
「そういう話は聞かなかったわね」
「そうですか……」
 リィルは重い口を開いた。
「……まさかとは、思いますけど」
「王女が首都から逃げ出すための口実だったりして……?」
 と、キリアが続ける。
「断言はできないけどね」
「うう、もしそうだったとしたら……そこまでピアン王女追い詰めちゃったのね……私」
 キリアはそう言って、がっくりと落ち込んだ。
「それでもし本当に王女に何かあったら……キグリスとピアンの国交回復は絶望的……おじいちゃんにもキグリス王にも怒られる……どんな顔してキグリスに帰れってのよ……」
「キリア、」リィルはキリアに声をかけた。
「サラ王女が、無事にピアンに戻れば良いんだよね?」
 キリアはリィルを見てうなずく。
「俺、二人を探しに行きます」
 と、リィルは言った。
「二人のこと心配だし、探しに行って、連れ戻してきます」
「でもリィル君、貴方ここで……」
 とユーリアが言いかけると、
「良いんです。何となくですけど……俺の家族は、ここで待ってるだけじゃあ、会えないような気がするんです」
「……そう」
「私も一緒に行きます」とキリアも言った。
「どうせこのままじゃあキグリスには帰れないし」
「わかったわ。くれぐれも気をつけてね」とユーリアは言った。
「……まあリィル君たちなら、うちのバカ息子と違ってしっかりしてそうだから安心ね」
「ありがとうございます。……すぐに見つかると良いですけど」
「幸い、あてはあるからね」
 キリアが言い、リィルはうなずいた。
「夜のうちに首都を出たってことよね……。半日弱遅れか。追いつくかな?」
「バートたちが『リンツ』で一晩宿泊……ってことになったら、希望はあるかな。その分こっちは強行軍になるけど」
「とにかく、私たちもすぐに出発しないとね」
 とキリアは言った。

 ひとつめの旅が、始まろうとしていた。



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