旅 の 始 ま り ( 3 )


 その日の夜。バートは自分の部屋の灯りを消してベッドに入った。バートの部屋は二階の一角にある。元々は宿泊部屋だったらしいが、ここはいつの間にかバートの部屋ということになっていた。つくりは二人用の宿泊部屋と同じだが、ベッドは一つしかなく、もう一つのベッドの代わりに大きめのテーブルが置いてある。ちなみに、バートの父母の寝室は一階にある。
 コンコン。最初は空耳かと思った。少し後、再びはっきりと窓をノックする音が聞こえた。バートは起き上がって灯りをつけ、窓の外を見てぎょっとした。
「な、なんでお前、こんな時間に……」
 バートは慌てて窓を開けた。そこには金髪の少女、ピアン王国王女サラが「やっほー」と笑顔で手を振っていた。
 バートが開けた窓から、サラはお邪魔します、とつぶやいて部屋の中に入ってきた。ここは二階である……。バートはため息をついた。どうやって上ってきたんだ、とは聞かない。バートの部屋の窓の外はベランダになっていて、そこから屋根、塀とつたって通りに下りられるのだ。運動神経の良い者なら、その逆もわけなくできる。サラは小さい頃から良く王宮を抜け出してはバートの部屋に侵入してきたので、そのことに関してはバートは驚かなくなっていた。
「どうしたんだよサラ、こんな夜中に」
 午前中は突然変なキグリス女が来たし、今日は千客万来だな、とバートは思う。
「ねえバート」サラはバートを見て言った。
「伝説の大精霊……”ホノオ”に会いに行かない?」
「……はああ?」
 バートはその場でこけそうになった。真夜中に一国の王女が民家に乗り込んで来て何を言い出すのかと思えば……。

 *

 この世界には「精霊」が存在する。自然界に存在する不思議な「気」のことである。精霊には土・火・風・水の四種類がある。ヒトは個人差はあれど、これらの精霊を自由に操ることができる。精霊の力は物を破壊する力にもなり、傷を癒す力にもなる。
 ただし、ヒトが操れる精霊は四種類のうち一種類のみである。火に属する者は火の精霊、水に属する者は水の精霊を扱える。その属性は、その者が生まれた季節によって決まっていた。
 そして、精霊たちを統べる「大精霊」の存在が、古くから信じられていた。火の精霊たちを統べるのは、大精霊”ホノオ”。水の精霊たちを統べるのは、大精霊”流水ルスイ”。風の精霊たちを統べるのは、大精霊”風雅フウガ”。土の精霊たちを統べるのは、大精霊”陸土リクト”。四体の大精霊は、普段は人知れずどこかでひっそりと眠りについている、と言われている。そして、二千年前、この大陸が危機に陥ったときには、人間たちに力を貸し与えた。そして今は再び長い眠りについている――。
「……で。”ホノオ”ってのは一体どこにいるんだ」
 バートは一応聞いてみた。
「知らないのバート。有名な伝説じゃない。ピアンとキグリスの国境、ピラキア山脈よ」
「へえ。そんな伝説があったのか。てか、国境っつったら随分遠いな」
 国境に辿り着くまでには、首都を出てから乗用陸鳥ヴェクタを走らせて数日はかかる。
「詳しい話は行きながらにしましょ」とサラは言った。
「さあ、早く準備すませちゃってね」
「……っおいっ!」バートは思わず大声を上げた。
「まさかお前、今から行く気満々なのか?」
「もちろんよ」サラは笑顔で答える。
「オイ、いくらなんでも冗談、」
「本当のこと言うとね……」
 サラは急に声のトーンを落とした。
「……あたし、命を狙われてるの」
「な、何っ?!」
 バートは声をひそめて驚いた。
「どういうことなんだよサラ……!」
「だから、王宮を抜け出してここまで逃げてきて……できるだけ早く、遠くに逃げなくちゃならないの。お願いバート。あたしもう頼れるのが、バートしかいなくて」
「何てこった……」バートはうめいた。
「そうならそうと早く言えってんだ! 待ってろっ、今から準備すっから……」
「ごめんね……巻き込んじゃって」
「何を今更」
 バートは短く言い捨てると、慌てて外に出る支度を始めた。突然のことだが、もしかしたら数日かかる旅になるかもしれないので、それなりの準備をしなければならない。
「そうだ、リィルも連れてくか」
 バートはふと思いついて言った。リィルはバートの隣の部屋でぐっすり眠っているはずだ。
「そうね、リィルちゃんもいてくれたほうが心強いわ」
「いざって時のために、人数は多いほうが良いよな」
 と言いながら、バートは廊下に出てリィルの部屋の扉を開け放つ。
「おいリィル――」
 ぐっすりと眠るリィルを叩き起こそうとして――バートは止めた。リィルがここに居るのは、リィルの父母や兄がここに来るからかもしれなくて、それをリィルは待っているのではなかったか。わざわざ、王女の命を狙う者から逃げるという、危険な逃避行の旅にリィルを連れ出す必要はない。
「サラ、やっぱりリィルは寝かしておくことにした」
 部屋に戻ってバートはサラに言った。
「あいつ、夜だめなんだよな。起こしても起きねーし。はっきり言って足手まといになるだけだし」
「そうなの……。残念ね」
「俺たちが急にいなくなって心配するといけねーから、書き置きだけ残しておくか」
 バートの母ならいくらでも心配させておけば良いが、リィルについてはそうもいかない。バートは戸棚をあさってペンとメモ用紙を取り出すと、短い伝言を書いて、そのへんの封筒に入れた。封筒の表には「果たし状」と書かれていたが気にしている時間はない。バートはその封筒をリィルの部屋に投げ込んだ。



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