旅 の 始 ま り ( 2 )


 バートの母はピアン首都で『SHINING OASISシャイニング・オアシス』という名の小ぢんまりとした食堂を営んでいる。ここは昼間は食堂だが、夕方を過ぎると酒も飲めるようになる。二階には二人部屋が三つあり、宿泊もできる。交代制だが一応、入浴もできる。昼にランチを食べに来る人、夜に酒を飲みに来る人、そのまま入浴して泊まっていく人。客はそこそこ多く、特に昼時と夜は賑わっていた。
 サウスポートを追われ、家族ともはぐれたリィルは、バートの家で住み込みで働くことになった。バートと母は「別に働かなくても」と言ったのだが、リィルは住まわせてもらうからには働きますと言って譲らなかった。
「すみません、宿泊部屋ひとつ占領しちゃって」
「良いのよ。私とリィル君の仲でしょ。遠慮なんかしないで。それに昼時は忙しいから、正直、手伝ってもらえるのはすっごく助かるのよ。コイツは手伝いサボってばっかで何の役にも立ちゃあしないし」
 バートの母ユーリアは息子を横目で見ながら言った。だってめんどくせーんだもん、とバートが良くわからない言い訳をする。
 リィルがバートの家で寝泊りするようになってから数日後。一人の女性が『SHINING OASIS』を訪れた。開店直後で、客はまだ一人も居なかった。
「こんにちは」と言って、女性は食堂の扉を開けて中に入ってきた。
「いらっしゃい」
 厨房で準備をしていたバートの母が明るく声をかけた。バートとリィルは慌てて水とおしぼりを持って出て行った。
 女性はバートたちと同じくらいか少し上の年齢に見えた。ストレートの髪を肩まで伸ばしている。見慣れない顔だった。
「とりあえず空いている席へどうぞ」
 リィルは笑顔で女性に言った。こいつ接客業に向いてるな、とバートは思った。バートは接客が下手で、母に「少しはリィル君を見習いなさい」とまで言われていた。
「あ、ごめんなさい。ええと、ちょっとお聞きしたいことがありまして」
 女性は席に着くそぶりは見せずに言った。
「なんだ、客じゃねーのかよ」
 バートは思わず声に出してしまった。むっとしたような女性と目が合う。まーまー、とリィルがバートをなだめた。
「よろしければ座ってお水でも。せっかく持ってきちゃったし」
「そうね。……ありがと」
 女性は手近な椅子に腰かけると、リィルから水を受け取って微笑んだ。
「で、聞きたいことってのはね、」
 水を一口飲んで、女性は口を開いた。
「私、人を探してるの。……『エニィル』っていう名の男性なんだけど」
「!」
 バートとリィルはその名を聞いて目をみはった。エニィル――行方不明の、リィルの父の名だ。
「おいリィ……」
「『エニィル』さんを探して、ここに来たんですか? 何かあてでもあって?」
 バートを制して、リィルが口を開いた。バートは会話はリィルに任せることにした。
「ん、」
 女性は小さく頷いた。
ピアン首都(ここ)で色々聞いて回って。……あ、元々はサウスポートに住んでいたんでしょう。でも、サウスポートって、あんなことになっちゃったから」
「…………」
「エニィルさんが来るとしたらここだって、噂で聞いてね。……その様子だと良く知ってるんでしょう、エニィルさんのこと」
「知ってますけど……」とリィル。
「貴女は、どなたなんですか? 何故彼を探しているんですか?」
「あ、申し遅れちゃったけど、」と女性は言った。
「私の名前はキリア。キグリスから来たの。エニィルさんを探しているのは、とあるお方のめいを受けてね。決して怪しい者じゃないから」
「キグリス?!」
 バートは声を上げた。キグリス王国は、ピアン首都の北の山を越えたところ、大陸の中央に位置する王国で、ピアン王国とはあまり仲が良くなかった。数年前、国境付近で小競り合いをやらかしたこともある。
「キグリスで悪い?」
 女性――キリアは強気に言い返してきた。
「今、ピアンだキグリスだって言ってる場合じゃないでしょ。そのこと一番良くわかってるの、ピアンの人たちなんじゃない?」
「まーまーまー」
 リィルがバートとキリアの間に割って入ってきた。そしてキリアを見て言う。
「エニィルは俺の父です。――さっき、『とあるお方のめい』って言いましたね?」
「ああ……貴方、息子さんだったのね」
「『とあるお方』って誰ですか? 父さんの知り合い?」
「……それは……、ええと……」
 キリアは口ごもった。
「お互い隠し事は止めませんか? あ、場所変えて話そうか」
「そうね。それが良いわね」
 いつの間にかバートの母が背後に立っていた。
「二階に行ってきたら? あとで差し入れ持って行ってあげるわよ」
「すみません、ユーリアさん。行こう、バートも」
 リィルはバートとキリアをうながして、二階へと向かった。

 *

 三人は階段を上り、二階の宿泊部屋のひとつに入って、扉を閉めた。部屋の中にはベッドが二つあり、間に小さな机が置いてある。バートとリィルが片側のベッドに腰かけ、キリアはもうひとつのベッドに腰かけて机を挟んで二人と向かい合った。
「どっちから話すべきかなー」
 と、リィルは口を開いた。
「貴女が俺の父さんのことをどこまで知っているかによるんだけど、父さんの知り合い?」
「キリアで良いわよ。私はごめん、知らないの。でもおじいちゃんは良く知っているみたいだった」
「おじいちゃん?」
「キグリスの大賢者、キルディアスが私の祖父なの。……ピアンの人なら知らないか」
「キグリスの大賢者……」
 バートはつぶやいて、正直に知らない、と答えた。
「俺は、噂程度には」とリィル。
「おじいちゃん――大賢者キルディアスに頼まれて、ここに来たってわけ」
 とキリアは言う。
「エニィルさんの安否と所在を確かめてきて欲しいって。私が塔を出たときには、もうサウスポートの噂はキグリスまで届いていたんだけど……」
「父さんの行方は……わからないんだ」
 とリィルは言った。リィルは自分の家族がバラバラになったこと、姉が敵に捕まったこと、もしかしたら家族に会えるかも知れないと思ってここにいるが、未だ誰にも会えないことをキリアに伝えた。
「そう……」キリアは残念そうに言った。
「貴方も、大変ね……」
 バートの母ユーリアが三人分の飲み物と焼き菓子を持って部屋に入ってきた。三人は焼き菓子を食べ、飲み物を飲んで、ふうと一息ついた。
「さーてーと。どうしよっかな」
 と言いながら、キリアは立ち上がった。
「お仕事中、突然ごめんね。私そろそろ行かなくちゃ」
「どうすんだお前、これから」バートは尋ねてみる。
「エニィルさんの件は、正直、どうしようかなってところ」とキリア。
「まあ、所在不明ならそう報告するしかないんだけどね。数日経ったらまたお邪魔させてもらうかも」
「そっか」
「……それと。私が首都に来たの、もうひとつ理由があるのよ」
 そう言ってキリアは、何故かはあ、とため息をつく。
「?」
「ううん、なんでもない。時間があれば食堂でお昼食べて行きたいところなんだけど、ごめん、もう行かなくちゃ」
「気にしないで良いよ。また食べに来てくれれば」とリィル。
「ありがとう。お父さん、見つかると良いわね」
 キリアは言った。
「私も『めい』のこともあるし、こっちはこっちでエニィルさん探すから。何か情報あったら伝えるわね」
「それはすごく助かるよ」
 リィルは礼を言った。



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