LAST WAR

 大陸を平定し乱世を終えるための戦いも、あと少しで終わる。
 俺たちは最後まで残った凌統国を攻めるため、敵の本国・北海の地に遠征に来ていた。自軍の本陣の幕舎の中で、我が君――皇帝陛下、っていうか元直さんを囲んで、テーブルの上に地図を広げて、最後の作戦会議が行われていた。
「ここが俺たちの本陣。こっちが敵の本陣」
 元直さんは地図上の二点を指さすと、顔を上げて俺たちを見回した。
「ここから敵本陣までたどり着くには、北ルートと南ルート、二つのルートがある。で、兵を二手に分けるわけだが、俺と呂布殿と夏侯覇は、北ルートから敵の本陣を目指す。残りのみんなは関羽隊と行動を共にしてくれ。関羽殿は、ここ、」
 と言って、元直さんは、地図上の南ルート上のある拠点を指して言った。
「この拠点をみんなで守ってくれ。そのうち敵軍が攻め込んでくるだろうから撃退してくれ」
「承知つかまつった」
 関羽さんが重々しくうなずいた。
「俺たちは北ルートのこの拠点で敵を迎え討つ。ええと、指示は以上だ。後は、まあ戦況に応じて適当に指示を出すから俺の指示を待ってくれ。くれぐれも、勝手に自陣を飛び出して敵拠点を落としに行かないように」
「ああ、わかっているよ、『皇帝陛下』」
 郭嘉さんが元直さんに向けてにこやかに笑った。うっ、と呟いて、元直さんは赤くなる。
「や、やめてくれないかな、その呼び方。呼ばれ慣れていないから、調子狂うんだ……」
 ――皇帝に就任してから何ヶ月経っているんだよという『皇帝』の言葉に、場の空気が少し緩み、自然と皆の顔に笑みが浮かんだ。
 敵国を攻める侵攻戦、あるいは自都市を守る防衛戦のとき、元直さんは配下の将たちにけっこう細かく指示を出す。昔はわりと自由にやらせてくれていたんだけれど。ある戦で一度、大負けをやらかしてしまったことがあった。戦力的には互角以上だったはずの敵軍に、大敗。大半の将が負傷してしまった。
 それがきっかけだったんだと思う。それ以来、元直さんは堅実な戦をするようになってしまった。防衛戦でも侵攻戦でも、必ず自軍が有利になるような状況で敵軍と戦うよう、各将軍に指示を出す。
 今の元直さんのやり方に別に不満は無い。元直さんはいつも一番に俺たち配下の将のことを考えてくれている。――元直さんは昔からそうだった。昔から変わらない。
 こほん、と元直さんはわざとらしく咳払いをした。
「じゃあ、いつも通りに。身の危険を感じたらすぐに知らせること。守ってる拠点が敵の手に落ちたときも知らせること。作戦は、『とりあえず命大事に』『とにかく命大事に』『迷ったら命大事に』『何が何でも命大事に』『兵糧拠点は最後まで温存』だ。では、解散。小休止後、みんな持ち場についてくれ。銅鑼の音を合図に開戦する。
 最後の戦いだけど、いつも通りにやる。誰も撤退させないし負傷させない。――関羽殿、孫堅殿、奉孝……」
 元直さんの言葉に、呼ばれた別動隊の面々が元直さんを見た。
「敵の本陣前で合流しよう。そしてみんなで、全員で、敵本陣に突入しよう」
「承知つかまつった」
 関羽さんたちは大きくうなずき――正真正銘、最後の戦いが始まった。


LAST WAR


『最終戦は何かが起こる』
 そんな都市伝説がある。どういうことだ。この世界における『最終戦』なんて一回しかないはずだろ。
 或る半裸の鈴の兄ちゃん曰く、
「俺のときは、あと少しで敵の本陣落とせるってえところで、敵の軍師・諸葛亮のヤローが大水計を発動しやがってよお。みんな綺麗に流されちまったんだぜ。俺も気がついたらどっかの堀の中?に落ちててよお。侵攻戦で、自ら撤退を決めたのはあの最後の戦が初めてのことだったんだぜ。武だけじゃなく、知も大切なんだってこと思い知らされちまったなあ」
 また、或る酒飲み姐さんはこう語ったそうだ。
「私のときは大変だったわよ。目の色変えた敵将七人が君主である私一人のところに殺到しちゃってね。一人で戦場をあちこち逃げ回ってたわ。その間に配下のみんなが敵本陣に突入しちゃって。君主である私を差しおいて」
 とまあ、これは、いつか語られるかもしれない別の話なんだけど。
 俺たちの最終戦は、先の二名の君主のときとは違って普通に順調に進行していった。南ルート隊は一つの拠点を(陥穽を仕掛けた上で)四人がかりでがっちり守って敵を迎え討っていたし、元直さんと呂布さんと夏侯覇さんの北ルート隊も、虎戦車を配備した拠点に敵将たちをおびき寄せて次々と撤退させていった。
 北ルート隊と南ルート隊は、戦前の打ち合わせ通り、敵本陣のひとつ前の敵拠点で合流した。その敵拠点は、元直さんが撃剣で暴れ回りつつ郭嘉さんが放火してナイスアシスト、といった感じで七人がかりでやりたい放題やってあっという間に落としてしまった。残った敵拠点は、もう目の前にそびえ立つ丘の上の敵本陣のみとなっていた。
 元直さんは弓使いの敵将・老いて尚盛んな黄忠さんと交戦していた。黄忠さんは撃剣で刻まれ火をつけられ、今にも倒れそうになりながらも元気に元直さんに向かって矢を放っていた。そんな黄忠さんの矢を避けきれずに多少は食らいながらも(防御して下さい)、元直さんは敵本陣に逃げ帰ろうとする黄忠さんを逃がさない!とばかり追撃して、ついに崖下に追いつめてとどめを刺そうとしていた。
「弓兵隊!」
 元直さんが肩で息をしながら左手を掲げて叫んだ。背後に控える弓兵たちに援護射撃を命じ、確実に黄忠さんを仕留めるつもりだ。
 崖下に追いつめられた黄忠さんは――顔を上げて、元直さんを見て。何かを呟いて、ニヤリと笑った。
 え。この状況で何故笑える――? 俺は何か少し嫌な予感がしてしまった。
「撃て――!」
 元直さんの叫びに応じて、背後から一斉に矢が放たれた。無数の矢が雨のように降り注ぐ。黄忠さんはもう、どこにも逃げられないはず。俺は捕縛用の縄を取り出した。
 そのとき。
「っ、しまった……!」
 目の前に立つ元直さんが、何故か焦ったような声を発した。俺ははっと顔を上げた。
 無数の矢が雨のように降り注ぐ。
「みんな、逃げろ――!」
 無数の矢は、崖の上から、降り注いでくる……俺たちに向かって。
「……?」
 元直さんとほぼ同時だったんだ。同時に、黄忠さんも部下に『斉射』を命じていたんだ!
 と、頭で理解して状況を飲み込むのに十秒くらいかかってしまった。逃げなきゃ、と思っても足が上手く動いてくれなかった。
 元直さんは大きな手で俺の背中を思い切り押した。よろめきながら振り返ると、元直さんは俺の盾になる位置に立ちはだかって、撃剣を天に向けて振りかざして落ちてくる矢を斬り払っているところだった。
 俺はその場から離脱しながら元直さんに叫んだ。
「元直さんも早く!」
「俺は大丈夫だから……!」
 と言っているそばから、払いきれなかった矢が数本、元直さんの身体に突き立った。
 全然大丈夫じゃないじゃないか!
 元直さんの手から撃剣がこぼれ落ちる。
 元直さん自身も、ゆっくりと、その場に崩れ落ちる。
「う……っうわああああ!」
 俺は叫んで無我夢中で元直さんに駆け寄ろうとした。が、動けなかった。その場で身じろぎすらできなかった。俺は後ろから大きな身体に羽交い締めにされていた。
 呂布さんだった。
「あの矢の雨の中に突っ込んでいく阿呆がどこにいる」
 呂布さんの低い声が頭上から降ってきた。
「で、でも、だって、元直さんが!」
「安心しろ。ヤツのカタキは俺がとってやる。捕縛用の縄の用意をしておけ」
「は、……はい……」
 やがて降り注いでいた矢の雨が止んだ。呂布さんは宣言通り、方天画戟を振るって黄忠さんにとどめを刺し、でも俺が捕縛の準備に手間取っている間に黄忠さんは本陣に帰ってしまった。
 元直さん――我らが皇帝陛下も、本陣行きの救急馬車に載せられて運ばれていってしまった。後には俺たちだけが残った。

 *

 敵本陣のひとつ手前の拠点。孫堅さんがそこを兵糧拠点に改築し、俺たちは敵本陣とにらみ合いを続けていた。
「フン、皇帝になっても相変わらずアイツは雑魚いな」
 皆で焚き火を囲んで。鳥の丸焼きに豪快にかじりつきながら、呂布さんが呆れたように吐き捨てた。……本人居ないからって言いたい放題だ。
「フフ。まったく皇帝陛下は。こんなに美しい女性を泣かせるなんて、この戦が終わったら少しお小言を言ってあげないとね。今夜、酒でもさしつつさされつつ」
 郭嘉さんが俺の姉ちゃんを見ながら微笑んだ。姉ちゃんのことを気にかけているように見せかけて、頭の中は多分今夜飲むことでいっぱいなのだろう。
「あーあ。あの感じじゃあ全治四、五ヶ月ってところかしらね。まったく、最後の最後でヘマするんだから。これで例の都市伝説にまた新たな一ページが書き加わったわね」
 旦那が本陣に運ばれていったっていうのに、姉ちゃんは焼き菓子をつまみながら案の定全く心配していない様子だった。姉ちゃんも皇后にもなれば肝も据わってくるのかな。……いや、姉ちゃんの地だよな。
 でもまあ確かに、倒れた元直さんは死ぬような怪我じゃ無かったと思うし、運が良ければ軽傷で済むかもしれないし。それに、これは最後の戦いで、この戦いが終わったらしばらくは戦争は無いだろう。例え重傷だったとしても(元直さんの運を考えるとこちらのほうが確率が高い)、何ヶ月でもかけてゆっくり休んで療養すれば良いだろう。
「ガッハッハ。しっかし記念すべき今年度撤退第一号が皇帝陛下とはなあ」
 顔を赤くした孫堅さんが愉快そうに笑って言った。孫堅さんはもう飲んでいた。もしかして、飲むためにここを兵糧拠点に改築しましたね?孫堅さん。
「あら、そうかしら」
 と言ったのは俺の姉ちゃんだった。
「実際は今までにも何度かあったんじゃないの? 自分で『無かったこと』にしているだけで」
 ――なにそれこわい。
 と俺は反射的に思ってしまったのだが、夏侯覇さんは肉まんをかじりながら首を傾げていた。
「あ、もしかして、時々陛下、戦の最中に『肉まんが俺を呼んでいる』とか言ってフラリと居なくなりますよね? あのとき、実はこっそり本陣に帰ってまた再出撃とかしてたんですかね?」
「それも有り得る話ね。まあ、とにかく。ぶっちゃけあの人個人の『武』なんて大したことないわよ。いつ本陣送りにされたっておかしくない戦い方してるもの。そんなの見てればわかるじゃない」
 姉ちゃんは焼き菓子を食いながら涼しい顔で辛辣な意見を述べた。
「でも、今回のは……元直さんは、俺をかばって」
 俺は一応元直さんを擁護する意見を述べてみた。
「お前は気にするな。あれはヤツが黄忠を深追いしすぎた所為で逃げきれなかっただけだ。あそこまで追いつめるのにヤツ自身も相当体力を消耗していたようだしな。ヤツの詰めが甘かっただけだ」
 呂布さんは一見怖いけど俺に対しては優しいなあ。……ていうか、何故みんな『皇帝陛下』に対してこうも言いたい放題なのだろう。
「さってと……、じゃあ、そろそろ」
 と言って、肉まんを食い終わった夏侯覇さんが元気良く立ち上がった。
「皇帝陛下にはゆっくりと休んでてもらって、今の内に、俺たちだけでさくっと敵本陣を制圧しちゃいましょっかね」
「しかし未だ出撃命令が来ない」
 関羽さんがさかずきの酒をぐいっと飲み干しながら言った。……貴方も飲んでいるんですか。
「えー。命令来るまでここで待機ってことですか? 暇ですよー身体(なま)っちゃいますよー」
 夏侯覇さんが駄々をこねる。
「確かに暇ね……」
 姉ちゃんがため息をついた。他のみんなも食事の手を止めてうなずいた……そのとき。
 遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。リズム良く、こちらに向かって駆けてくる。蹄の音がだんだん大きくなってくる。
「遅くなってすまない! みんな無事か?!」
 みんなで貯めた『馬基金』で先月購入したばかりの立派な黒毛の馬、絶影から飛び降りて、元直さんが慌ただしくこちらに駆け込んできた。
「遅かったな。もう始めてたぞ」
 と孫堅さんが杯を掲げてみせる。
「……誰も先に始めててくれとは言ってないが」
「しかし兵糧拠点で待機とは、他にすることも無かろう」
「あ……もしかして、敵将、君主の他には劉備と黄忠が残っているはずなんだが、この拠点には攻め込んでこなかった……?」
 元直さんの言葉に、その場のみんなは一斉にうなずいた。
「なんだ……」
 元直さんは天を仰いでため息をついた。
「この拠点で楽しく炊き出ししていれば、煙に釣られてこちらに出て来てくれるかなと思ってたんだけど」
「彼らも本陣を落とされたら終わりだからね。後が無いから必死で本陣を守ってるんだと思うよ」
 と、郭嘉さんが言った。
「自由にやらせてくれても良かったのよ? そうしたら貴方が復活してここに来る頃には、敵の総大将を引きずり出してやっていたのに」
 と、姉ちゃんが元直さんを見上げて言う。元直さんは苦笑した。
「結果論だけど、まあ、そういうことになるな。俺も慎重になりすぎていたかな」
「良いわよ。『いつも通りやる』んでしょ」
 姉ちゃんの言葉に、元直さんは「ああ」と小さくうなずいた。
「……ていうか、別に無理して来なくても良かったのよ。私たちに本陣特攻を命じて自分は大人しく休んでれば良かったのに」
「そういうわけにもいかないよ。俺はまだまだ元気だし動けるし。向こうさんも自分の国の命運を背負って君主自らが戦場に出てくるんだ。俺も君主として、その思いに答えなくてはならない。それが礼儀ってもんだよ」
「うん、そう言うと思ってた」
 と言って姉ちゃんは微笑んだ。
「……では、あらためて、みんな、」
 元直さんは俺たちひとりひとりの顔を見回した。
「今まで俺に従ってきてくれてありがとう。みんながいたから、みんなのおかげで、俺はここまでやってこれた。あと少しだ。あと少し……みんなの力を、貸して欲しい」
 元直さんの言葉にみんなの顔が引き締まった。真剣な表情で、ゆっくりと、大きくうなずく。
「遅くなってしまったけれど、これより、みんなで敵本陣に総攻撃を仕掛ける。後込みしてはいられない。行くぞ!」
 おお、と全員のときの声が上がった。気合いのこもった声は快晴の青空に吸い込まれて溶けていった。


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