行軍

「うおおおおっ!」
 叫んで元直さんは敵兵の群に向けて短刀を飛ばした。次の瞬間、自身も地を蹴ってものすごい跳躍力で敵の真っただ中に突っ込んでいく。
「危ない元直さん、修羅ですよ!」
 思わず叫んだが元直さんには当然聞こえていないのだろう。突如として飛び込んできた元直さんに、敵兵たちは驚愕に目を見開いている。元直さんは外套の裾をひるがえしながら躊躇なく袈裟に斬り下ろし、逆袈裟に斬り上げ、敵兵たちを次々に打ち倒していった。
 ふう。戦場で愛用の筆(一応「武器」)を握りしめ、俺は一人、そっと息をついた。敵兵たちはみんな、鬼神の如き形相の元直さんに倒されていく。俺の出番なんて無いじゃないか。やっぱり元直さんに護衛なんか必要なかったんだ。一体何の為に俺は元直さんについてきているんだろう。
 元直さん――我が君、っていうのも変だから、「元直さん」で通すけど、元直さんは焦っていた。一分一秒でも早く、この敵の駐屯地を制圧してしまいたいようだった。気持ちはわかるけど、なんていうか、元直さんの戦い方はどこか危なっかしいというか、見ているこっちがハラハラする。君主自ら敵の群に飛び込んでいって、身軽さを武器に敵陣を駆け回り飛び回り敵兵を翻弄する。それが元直さんの、彼の愛用の武器「撃剣」の戦闘スタイルだから。……っていうか「撃剣」ってそういう武器で良いんだっけ? 俺は最初、撃剣って実戦用の武器じゃなくて曲芸に使うものだとばかり思っていた。元直さんは絶対に曲芸師になっても食っていける。以前、街に旅芸人の一座がやってきたときにも(長くなるので割愛)今年の忘年会の一発芸大会も期待していますよ、元直さん。
 話が少し逸れたけど。元直さんが焦っているのは、敵の大軍が、遠くの味方拠点を守っている我が軍の別動部隊に対して激しい攻撃を仕掛けてきているからだった。そしてその「別動隊」を指揮して、寡兵で拠点を死守しているのが、俺の姉ちゃんだった。姉ちゃんの側には郭嘉さんと夏侯覇さんもいる。しかし、味方武将が三人で守っている拠点に、敵武将は六人で攻め寄せてきていた。その報せを聞いたとき、俺はすぐにでもその拠点に救援に駆けつけようと思ったのだが、元直さんが、
「行くぞ。愚図愚図するな!」
 と俺に声をかけて駆け出したのは、姉ちゃんが守る拠点とは反対の方向だった。
「え? 元直さん?」
 俺は走って元直さんに追いついて隣に並んだ。元直さんは俺より頭ひとつ分は背が高い。一緒に駆けながら見上げる元直さんの横顔は、しっかりと前を見つめていた。
「関羽殿と孫堅殿に伝令を出しておいた。そちらの拠点は守る必要が無いから至急彼女たちの救援に向かってくれと。……ちょっと距離があるから、間に合うと良いんだけど」
「俺たちは救援に行かなくて良いんですか?!」
「俺たちのほうがよっぽど彼女たちの拠点から離れているんだよ。良いかい、だから俺たちは、今から敵の拠点を三つ落とす」
「え……」
「幸い『こっちルート』には敵の将は居ないみたいだ。敵将の居ない敵拠点なんて速攻で落とせるよ。そしてここから三つ目の敵拠点、そこが、敵本陣と『あっちルート』を繋いでいる要のポイントなんだ。だから、そこさえ落としてしまえば、」
「……姉ちゃんたちが守っている拠点は、助かる?」
 ああ、と元直さんはうなずいた。
「補給路が断たれれば、敵将たちは彼女たちの拠点を攻め続けることはできないだろう。そして、全軍あげて俺たちが落とした拠点を奪い返しに来るはずだよ」
 え。ちょっと待て。それってつまり……六人の敵将たちが一斉にこちら(二人)に向かって進軍してくるってことか?
「こぉらリッキー! 手が止まってる!」
 立ち尽くす俺に元直さんの叱責が飛んできて、俺はハッと我に返った。あ、「リッキー」ってのは俺の本名じゃなくて愛称な。リッキーって呼ぶのやめて下さいって言ってるのに。
「はっハイっ!」
 俺は慌てて土螻筆を構え直した。はあ。俺も覚悟を決めて突っ込むしかないか……。

 *

 元直さんと俺(主に元直さん)で敵陣で暴れ回って一つ目の敵拠点を落とした。敵将の居ない敵拠点を落とすことなんて、元直さんが言っていたとおり簡単なことだった。
「よし次っ!」
 一息つく間もなく叫んで元直さんは元気良く次の敵拠点に向けて駆け出そうとしていた(徒歩で)。――この君主、完全に馬の存在を忘れているんじゃないだろうか。
 それとも。まさか徒歩の俺に気を使ってくれているのだろうか。いやまさかね。この敵拠点だって、ほとんど元直さんが一人で落としたようなものだし。まさか、馬を呼ぶことも忘れるくらい、動揺してるのかな……姉ちゃんの拠点が、攻められているから。
「……信じて、いるよ」
 ぽつりと、元直さんが呟くのが聞こえてしまった。小さな、弱々しい声で。
「だ、大丈夫ですよ!」
 俺に向けた言葉じゃ無かったんだろうけど。俺は反射的にそう返してしまっていた。
「郭嘉さんも夏侯覇さんも姉ちゃんを守ってくれていますし! 彼らしぶといですし! もうじき関羽さんと孫堅さんも合流しますし!」
「そう、だね」
 元直さんは一瞬弱々しく微笑むと、すぐにきりっ、と表情を引き締めた。
「あと二つだ。二つ目の敵の拠点を落としたら、死地はこちらになる。気を引き締めていくぞ」
「うああそれはそれでヤだな……」
「ごめん、な」
 元直さんは確かにそう呟いて。次に落とすべき敵の拠点に向けて駆け出すべく地を蹴った。
「え……っ」
 俺は慌てて元直さんの隣に並んで元直さんを見上げた。
 元直さんは戦場では、そう「戦場では」めったに見せない、悲痛な表情を浮かべていた……。
「……俺の所為せいだ」
 と、元直さんは自責の言葉を吐き出した。俺は息を詰めて聞くしかなかった。
「俺の読みが甘かったから、俺が敵将たちの動きを読み切れなかったから、君の姉さんや奉孝や夏侯覇を死地に追いやってしまった……」
「元直さん……」
「そして今から、君をも死地に追い込もうとしている。敵将は各個撃破が基本なのに……完全に俺のミスだ。でも大丈夫、最低でも、君のことは俺の命に代えても守るから」
「…………」
 元直さんの口からそんな言葉たちがスラスラと出てきて、俺は絶句してしまった。
 俺たちはいつも、防衛戦でも侵攻戦でも、苦戦という苦戦を経験せずに、当たり前のように普通に勝ってきた。当たり前のように……それぞれが元直さんの指示に従って、拠点を守り、拠点を落とし……そういえば元直さんは「敵将の居る」拠点に攻め込めという指示を出したことは一度もなかったな、と、はっと思い当たった。
 元直さんは、いつも、ちゃんと考えてくれているんだ。俺たちが安全に、無茶をせずに、危険にさらされずに勝てる方法を。
「ああ、でも心配しなくても大丈夫、無茶はしないしさせないから」
 と言う元直さんは、いつの間にかいつもの「戦場の」元直さんに戻っていた。
「この戦は『防衛戦』だからね。いざとなったら、俺たちが落としてきた拠点を餌に戦場を逃げ回って時間を稼ぐよ。疲弊した敵さんたちはそのうち引き上げていくはず――」
「申し上げます!」
 と叫んで、そのとき俺と元直さんの間に一人の伝令兵が割り込んできた。
「え、伝令? ……あーわかった。姉ちゃんが弱音吐いたとかそういうんだろ」
「違います」
「じゃあ郭嘉さん?」
「違います。関羽殿と孫堅殿が無事、姫さまたちと合流したそうです」
「姫さまって言うのやめようよ……姉ちゃんそんなガラじゃないよ」
「そうか。これで少しは保ちそうだね。俺たちも急ごう……みんな無事でいてくれ……」
「申し上げます!」
 元直さんの言葉に重ねて、二人目の伝令兵が駆け込んできた。
「姫さまが『団結』を発動いたしました」
「え、そういう伝令もいちいち来るんですか」
「そうか。……もしかして:もう向こう、大丈夫なんじゃね?」
 ボソリと元直さんが呟くと、
「申し上げます!」
 と叫んで、三人目の伝令兵が駆け込んできた。
「姫さまが『斉射』を発動いたしました」
「姉ちゃんいつの間に覚えてたんだよ……」
「そうか。……いよいよもって、大丈夫そうだな……」
 元直さんはほう、と息を吐き出した。
 その後。
 案の定というか何というか。俺たちのもとに次々と届けられた伝令によると。姉ちゃんと郭嘉さんと夏侯覇さんと、駆けつけた関羽さんと孫堅さんの五人で、拠点を攻めていた六人の敵将たちを次々と撃破していったのだそうだ。俺たちは二つ目の敵の拠点を落として、拠点の中央に腰を下ろして並んで肉まんを食いながら一息ついていた。
「すげえな姉ちゃんたち……見直しちまった」
「まったくだよ」
 くすり、と元直さんが優しく微笑んだ。
「君の姉さんには、また助けられてしまったな。俺はダメだな……みんなに助けられてばかりだ」
 元直さんはあたたかい肉まんを一口かじって、天を見上げて、
「俺は……こんな俺だけど『君主』なのにな。戦乱の世で苦しんでいる民たちも、俺なんかに従って命を懸けて戦ってくれているみんなも、俺が、守らなくちゃならないのにな」
「元直さん、」
 ――その言葉だけで。その気持ちだけで、十分です。
 と、俺は、言葉には出さずに、そっと思った。
 君主になっても、部下を持っても、隣に並んでいる変わらない元直さんが、嬉しかった。
 そしてこの人は、将来、たとえ(うっかり)『皇帝』か何かになってしまったとしても変わらないんだろうな……と、並んで肉まんを食いながらボンヤリと思ってしまったし、
 実際、そうだったのだ。


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